【小説】アースジャンキーたちの、限りなく自由なあの世生活

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

アースジャンキーの大学生活


「もう少しマトモなモノを見せて頂かないと…コレじゃあ集まった意味がないですよね。」

 あの温厚なテレビ局員のプロデューサーがキレていた。会議室にいる30人がオレを見て残念そうな顔をする。そう、全てオレのせいだ。制作会社の社長が顔を真っ赤にしていた。
 
 フリーランスで番組ディレクターをしているオレは、数ヶ月前から周囲には内密に〈番組のかけ持ち〉数を3つに増やしていた。妻の買い物依存で借金が出来た為だ。家庭の為とかなり無理をした結果、睡眠を極限まで減らして仕事をしている。
 
 今日は電車で寝落ちして局プレビューに30分遅刻したうえ、間に合っていない完成度50%のサイテーなVTRを発表した。ここ数ヶ月いろんな現場で〈やっちゃいけないタイプ〉のミスが続いていた。まさに地獄だ。多分次で番組は降ろされるだろう。

(明日からまた別番組を探さなくてはいけない、ツテの残りももう無いが、どうしたものか…とりあえず3時間だけ寝よう。)

…そう思いながら、ストレス太りの中年のオッサンはネットカフェの座敷で48時間ぶりのまともな眠りについた。


♢ 

「ガハッ!ハァハァハァ、強烈だな〜死ぬかと思った。」

〈アース世界〉につながるターミナルプールの一つで、オレは水に浸かった顔の部分を引き上げた。専用のフェイスマスクから水がしたたり、直ぐに霧散してなくなっていく。
 
(コレはマジでヤバいな。刺激が強すぎる。イタ気持ちいいのが強すぎるんだよ!)

 思わずニヤけてしまう口元を手で隠すオレの名前は〈ダダ〉。大学4年の春を迎えている。

オレたちのクラスで最近取り組んでいる〈アース最大深度実習〉は〈アース世界〉で人生の最も不遇でネガティブな3年間を体験するという〈短期集中講座〉だ。

 正直なはなし、オレはこの実習で〈快感〉を感じ初めてしまっている自分に気がついた。
 学びの喜びとは違う、純粋な〈快感〉。
 ネガティブなコントラスト体験を快感として感じてしまっている自分…

 (こんな事、誰にも言えない。)

〈変態性〉に目覚めてしまったのだ。

〈アース〉の中への強烈な没入感。〈アースの中〉で生きているという実感。
 負荷がかかるほど、アドレナリンがドバドバ吹き出す。
 オレはすっかり興奮しサバイバルモードになった〈アース〉の自我に同調し、コントロール不能になるほどの〈振り切った感情的反応〉を体験する。
 どうやら魂であるオレは、それを〈快感〉として捉えるようだ。

 こういう〈変態性〉をもつ魂《コン》を〈アースジャンキー〉というらしい。誰にもバレないようにしないといけない。

 そんなオレをよそに、隣のブースはずいぶんと真剣に取り組んでいるようだ。

 〈アース〉にダイブ中のクラスメイトを取り囲む存在が5つ。気分調節機器を手早く操作している。
 このターミナルの〈ガイド職員〉である天使様が、せわしなく指示を飛ばす。

「そこのアニマルスピリットさんは〈孔雀〉かしら?もっとエナジーを多めに出して下さい。彼女ががもっと高価な洋服を欲しがるようにしなければならないの。特に〈外見の意識の高さと優越感〉の出し惜しみは厳禁です。買い物の抵抗をなくす為〈自由に羽ばたく気持ち〉も入れて見ましょう。」

 タスク達成の為、ちゅうちょは出来ない。

「〈指導霊〉のみなさんは、〈孔雀〉の出したモノを片っ端から〈表層意識〉に注入するのよ。それと〈深層意識〉にある〈不安〉を全てリストアップしてメモリが8になるまで刺激してください。満たされた気分になるのは、買い物時限定よ。」

 〈ガイドスピリット〉の皆さんは、日々、生徒たちが考えたタスクをこなす為の手伝いをしてくれている。〈アース〉世界へダイブする事で生徒たちは〈徳〉を積み、〈ガイド〉のみなさんも手伝う事で〈徳〉を積む…いわゆるウィンウィンの関係だ。



 ターミナル脇のエディットルームでは、ダイブ明けの2つの魂《コン》が並んで〈アースの記憶〉の編集作業をしていた。

 今日体験したなかのネガティブな記憶をピックアップし脚色、トラウマとして整理保存する事で、〈アース世界〉のオレたちは後に記憶を何度も繰り返し自動再生する事が出来るようになる。そしてそれは〈絶望〉や〈後悔〉や〈自己否定〉などを促す材料になるので、今の時期は特に大事な作業なのだが、今回は何しろ量が多い。
 〈アース〉のオレがほとんど寝ていないからだ。
 さらに、次のダイブまで時間は残りわずかなので、ちょっと悲壮感を漂わせてしまっている。

「ダダくん、さっきの3ヶ月はかなりキツそうだったわね。なんだか私、買い物を楽しんでばかりで申し訳ないわ。」

彼女はパートナーでクラスメイトの〈ニニさん〉だ。〈アース〉ではオレの奥さんをやってもらっている。どうやら気を使わせてしまったようだ。

 「いやいや、そこはお互い様でしょ。コレから〈離婚シークエンス〉もあるし、ニニさんものんびりしてらんないよ。」

 〈アース世界〉で一年後、オレは無職となっていて彼女に暴力をふるい離婚する予定だ。
 その時の〈自殺未済シーケンス〉で、講座の最終目標である〈最大深度の負荷〉状態を体験する。

オレが通っている【アース魂《コン》立大学】は、文字通り〈アース世界〉を人類の立場から学ぶ為の大学で、生徒数は1億魂《コン》。
 卒業までに〈アース内で覚醒〉する事を目指す特殊な大学だ。
 ちなみに入学試験なんて〈アース〉チックなものはもちろん無い。自動的に初めからそうなると決まってるものだ。決めたのはオレがオレである前のオレなので、理由は一生わからないモノだし、そもそも考える意味もない。

 進学しない魂《こん》は、とっとと上位世界へ方向性を定めて旅立っていく者もあれば、そのまま〈アース世界の人生〉を繰り返し体験し続ける者もいる。

 魂《こん》としての一生もそれぞれなのだ。
 
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忘れるモード

「あなたはいつから働くつもりなの?いい加減にしてもらわないと…」

妻はオレを気遣う様子もなく、侮蔑するように吐き捨てる。

「知るかよ!誰のせいでこうなったと思ってるんだ!全部おまえのせいじゃないか!」

「大きな声を出さないで!借金の事お母さんにバラしたあなたが悪いんじゃないの?」

 仕事を失って半年、何もする気が起きず、自宅に引きこもっているオレは、妻に対して膨れあがる怒りのコントロールを手放しそうになり、焦って家を出た。しばらく夜中の街を徘徊した後、ネットカフェに向かう。子供たちに夫婦げんかを見せるよりはましだ。

(積み上げてきたキャリアを全て失った。カードの返済期限があさってに迫っている。どうすればいい…無理だ。もう無理だ。上の娘はもうすぐ小学校にあがるというのに…)



「ブハッ!ハァハァハァ…きっくぅー」

〈アース〉とこちらを繋ぐターミナルプールから顔をあげたオレは、フェイスマスクの下で笑っていた。

(今回のは凄かった!なんだあの反応は、アレが怒りなのか、怒りはあんなにも激しくなるものなのか!どれだけのアドレナリンが出たのだろう…)

オレは〈快感の余韻〉に浸りながらも、ニニさんにバレないように、〈真顔に戻して〉マスクを外す。

「ダダくんのアバター、かなり怒ってたね。私のアバターコントロールが上達してるせいもあるのかなぁ?〈暴力シーケンス〉にうまく向かえてるみたいね。」

「〈オレの実家の件〉を持ち出してきた時は、ニニさんがコントロールしてたの?アレは結構効いたな。〈オレの地雷〉に設定してたワードを見事に言い切ってたね。ありがとう。」

「いいえ、向こうと繋がるパイプの設定を細くしただけだよー。あとは勝手に自我の私がうまく反応してくれた。ガイドの皆さまは専属になって長いからそのせいが大きいと思う。」

こんなに真面目に学ぶニニさんを横目に、オレは〈不謹慎な念〉が出そうになるのを必死でおさえていた。

(ニニさん、イヤな役をやってもらった挙句、オレ実はこっそり快感を感じてしまっているんだ。変態なオレでごめんよ。)



 うちの大学は2年から〈アース体験システム〉のオプションな〈忘れるモード〉が標準搭載となる。
 
 コントラスト体験を通して自分を知り、より多くの〈徳〉をつむ為のオプションとして開発されたものだ。

 〈ボディ〉と同調した直後から、自動的に同調した事も含めてそれ以前の自分を忘れるのだが…
 よほどの事がない限り、〈中〉で思い出す事は出来ない仕組みなので、切り離された自分が色々ネガティブな事とかを突然考え出したり、とても小さい事にこだわったりするなど、予想外の反応をする…という、オレにとっては見どころ満載の素晴らしい神オプションが〈忘れるモード〉なのだ。
 
   3〜4歳のアバターボディから使い始めるこのオプションの恩恵は多岐にわたる。

 スリル満点なうえ、こっちに戻ってきた時の〈超ホットする感じ〉がたまらない。
 
 あの「あぁ夢で良かった」という安心感は〈忘れるモード〉ならではのとても魅力的なクセになる感情なのだ。
 
 最もたまらないのは独特の〈リアル感〉だ。 〈生と死〉に代表されるコントラストの数々。
 惑星という広大な場所で時に味わう〈孤独感〉〈不安感〉はかなり刺激が強く、〈忘れているからこそ〉のヒリヒリ感がたまらなくクセになるのだ。
 
(思えばあの頃から既にオレは〈アースジャンキー〉だったのかもしれないな…。)
 
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エモーションカクテル

 
 アルバイト先のエモーションバー【エモエモパラダイス】には常連客のヒロシさんが顔を見せていてた。
 
 〈大人の雰囲気〉という念を発散させながら、キザに注文する
 
「ダダ君、いつものヤツをよろしくたのむぜ」
 
「最近〈大人の雰囲気〉出す事多いですねー。マイブームですか?」

 カクテルを調合するオレの手元を見ながら、ヒロシさんは更に〈大人の雰囲気〉を強調する。
 
「オレくらいの歳のコン(魂)ならマナーみたいなモンだぜぇ。特に今日は待ち合わせの相手が例のあの子だからねー、出す〈念〉の方向性は当然そっちになるよね。」
 
 オレはすかさず「さすがっすねー!」という〈念〉を出す。コレは接客業だから当然上手くなった。
 〈何も考えず尊敬するバシャオジサンの事だけを考える〉その後〈バシャオジサン〉を外すという2段階を1セットにして念じるのがコツだ。
 あとは〈相手を見ない〉というのも大事な基本テクだ。
 目を閉じてもっともらしく頷きながら、〈さすが〉という念のみ抽出して外側に出す。
 
 これをバレないようなスピードで念じられるようになれば、皿洗いを卒業して、バーテンダーの定位置に漂う事が許される。
 
 ヒロシさんはいつも飲むカクテルが決まっている。ヒロシさん専用のオリジナルカクテルで名前はまだついていない。
 
 以前
「ダダ君、オレのカクテルにふさわしい名前を考えてみなよ。オレのイメージってどんな感じ?」
 
 と問われ続け、アイデアを出すも全て却下され、以来半年間、次に来店するまで〈名前の候補〉を5つ考えてくるのが宿題とされている。
 
 ヒロシさん的には、狙っている彼女の前でオレに発表させて、カクテル名のトークをしながら、
いかにオレがヒロシさんを尊敬しているのかを話させながら、
自ら実感しながら、
彼女に実感させながら…
つまりそれは〈サイコーな自分〉に浸る為に考え出された必殺トークで、気に入った魂《コン》を口説く非常に効率的なテクとして重宝しているようなのだ。

 だから〈名前なんて本当はどうでもいい〉と思っているのを知っているので、オレも適当な思いつきをその場で念じる。

 そんなずっと名無しのカクテル【ひろしスペシャル】は、5つの感情エネルギーのエッセンスを混ぜて作られるオレの自信作だ。
 
 そもそも我らコン(魂)類は、日頃から大いなる全てのソースエネルギーを常に少しずつ吸収し続けている為、エネルギーを改めて吸収する必要なんてないのだが、多くのコン(魂)は夕方になるとあえてエネルギーの自動吸収モードをオフにして、枯渇状態にした後、うちの店ようなラウンジで、ソースエネルギーから分離抽出した自分好みの〈感情のエッセンス〉をカクテルにして味わうのだ。
 
 エネルギーの吸収の仕方を変える事で〈アース世界〉のような感情を人工的に再現する〈あの世の趣向品〉だ。
 
 因みにこの時エネルギーの吸収モードはマニュアルだが、万一の場合にはバーテンダーがすぐに対応できるシステムになっているので安心だ。摂取講習はちゃんと受けている。
 
 多くのコン(魂)は、〈アースの学び〉を終え自宅に帰る前のひと時を、この〈エモエモパラダイス〉のようなラウンジでエンジョイしているのだ。
 
「お待たせしました、ひろしスペシャルです。」

カウンターに置かれたカクテルグラスにシェーカーから光る液体を注ぐ。
 
「おっ、キタキタ。オレはお待ちかねだよー。もうかなりのカラカラ状態だから今日はいつもよりききそうだな。」
 
 ……と、ヒロシさんは5色に光る液体をいっきに飲み干すと、恍惚の表情を浮かべる。
 
「くぅ〜感情がしみわたる!ジーザスだぜぇ!」
 
 突然、手を広げ叫ぶヒロシさん。

 リーゼントという〈アース〉のレトロファッションを模したヒロシさんの〈最上位部分〉が微かにゆれた。

 カクテルに入っている感情をひとつずつ噛みしめるように味わっているのだろう。ちょっとだけ血走った目を見開いている。
 
 ひろしさんが何を飲んでいるか他のお客さんは知らない。今、彼がどんな気分なのか周囲は知らない。分かるのは、漠然とした〈今のオレはサイコーだ〉という念だけだ。

 感情のエッセンスは3つ以上混ぜると複雑になる為、それを飲んだ者が出す〈念〉も複雑になり、どんな念なのか周囲が細かく判断したり理解する事は難しくなる。
 
 ひろしスペシャルには、けっこうキワドイ感情が入っている。
 彼も分離的(ネガティブ)な感情で興奮する〈アースジャンキー〉のひとりなのだ。

 〈王様のように偉くなった気持ち〉をベースに、〈純粋〉と〈ナイスな自分〉を少々、〈ロックな気持ち〉で香りをつけて、最後に〈恋の予感〉を数滴たらして完成だ。
 
 ちなみに〈ゆったり感〉や〈自然との一体感〉などリラックス系をベースにするカクテルが、いわゆるスタンダードカクテルと言われている。
 
 はじめ、ひろしさんの注文通りの材料だけで作ったら〈えげつなさ〉が規定値を超えたので、オレから進言するカタチで〈恋の予感〉を足す事で、なんとかカクテルの枠におさめる事が出来た。
 オレの中でもかなり尖ったカクテルレシピだ。
 
 ちなみに規定値超えの飲み物は全て処方箋で管理されており、うちのような娯楽用の店では提供出来ない決まりになっている。
 
 店によってはコッソリ……ってところもあるらしいけど、〈エモエモパラダイス〉はその辺もキッチリした経営方針で、社会勉強にもなって楽しいのでバイトは長く続いていた。
 
 ひろしさんはいつもキャバクラのお姉さんとこの店で待ち合わせをして、少し飲んで最高の気分になってから、お姉さんのお店に同伴出勤する。
 
 最近のお気に入りはチーちゃんというキャバ嬢で、いつか一緒に〈恋愛感情〉が入ったカクテルを飲むのがヒロシさんの目的らしい。
 以前「バレないようにちょっとだけチーちゃんのグラスに〈恋愛感情〉を入れてくれ」と頼まれたが、そこはプロとしてやんわりとお断りした。
 
 やはりコン(魂)にとって、どんな感情を誰と楽しむかは重要な事だとされているからこそ、そこは自由でありたいし、その為のルールだって存在する。
 
 ヒロシさんは一言でいうと〈格好つける事が大好き〉なコン(魂)だ。
 〈アース世界〉と違ってこちらの世界では、〈誰かに迷惑をかけられる事を不快に思う事〉がない。常に互いの関係がウィンウィンである事を知っている。学び合い…というヤツだ。
 だからヒロシさんも〈格好つける事〉に一切のためらいがない。
 
 念話の最後に〈ゼ〉とか〈ダゼ〉をつける事が多いので、店員仲間の間では〈ダゼ〉というあだ名で呼ばれ、ちょっとだけ面倒な常連客さんとして親しまれていた。
 
「てんちょー。ダゼさんからポテトフライのオーダーだぜ!」
 
「オッケーダゼ!」
 
 なぜか店長命令でひろしさんが来ている時だけは、店員同士の念話の語尾にも〈ダゼ〉を付けなくてはいけないルールだ。
 
 その為店長とタメ語で念話する事になり、結果〈上と下〉について学んでみようという遊びにもつながっている。
 
「お前、オレに向かってタメ語でしゃべれて嬉しいだろ!喜んでるだろ!」

 …と怒られながら遊ぶのだ。

 ちなみに店長にとってひろしさんは地元の先輩でもあるので頭が上がらすず、ひろしさんにとってこの店は後輩の店で王様気分で思いっきり格好つけられる場所でもあるので、結果、ひろしさんにはいろんな意味で〈上と下〉の概念を教えてもらえる事になる。
 ちょっとありがたい〈ありがた迷惑〉的なあつかいだが、オレはそんな彼を少しだが好きだとも思う。
 
「いらっしゃいませ」
「おー、チイちゃん! 待ってたぜ〜! ダダ君、例のもの頼むよ」
 
続いて来店したのはヒロシさんのお気に入り、キャバ嬢のチィさんだ。

「チィに〈ちゃん付け〉していいのはオレだけダゼェ」
 …と以前〈ここだけルール〉を作っていたので、お好きなようにしてもらう為、オレはあえて〈さん付け〉をする事で〈チィちゃん〉と呼べない悔しさと〈ヒロシさんとの格の違い〉を強調する。

「チイさん生誕日おめでとう御座います!」
 
 オレは来店したチィさんに、「ダゼ……ヒロシさんから」だと言って花束を渡す。
 
「マジで〜びっくり〜、超嬉しい」
 というパッケージ感のする〈念〉がチィさんから放出されるのと同時に、100点の笑顔がカタチ作られる。
 
 彼女もまた、この業界のプロなのだ。
 
 その日チィーさんがオーダーしたカクテルは「テキーなサンライズ」。
 〈ちょっと得した気分〉と〈出勤前のイケイケ感〉と〈ビジネスライク感〉を少々入れたものを、〈的な感〉のソーダで割って全体をボカシたライトカクテルだった。
 
 このソーダで割ったら、大抵の〈念〉はボカシが入った様になるので、他の魂《こん》から何を飲んで、どんな気持ちなのか分からなくなる為、プライバシーを守りたいキャバクラのお姉さんたちに人気だ。
 〈念のボカシ〉はセクシーな印象を与える効果もあるのだという。
 
「チィーちゃんさー、2人で〈親愛感〉ベースのカクテルに挑戦してみようぜぇ。〈友愛感〉でもいいんだぜぇ。」
 
 ……というヒロシさんの誘いを
 
「そういうのは、時間をかけてもう少し先にしたほうが楽しみが出来て嬉しいし……その前に色々と欲しい服もあるの❤️服の話し聞きたいでしょ、もしかして…」
 
 ……と、やんわり拒絶していたチィさんが印象的な夜だった。
 昼の講座でニニさんのアバターが散財していたのを思い出し、また興奮してしまったようだ。

そして、やはりこの夜も、ヒロシさんおなじみの念トークが始まる…

「…どうなのよ、ダダ君から見たオレのイメージは。そこ大事だよね、カクテル名にするならね。もしもの話だぜ。もしもオレのイメージをカクテル名にするとしたらの話だぜぃ。
 でも、いい加減名前を決めていかないと、オレだってさすがに名無しのカクテルじゃあ、ずっと飲んでもいられなくなっちゃうぜぇ。」

 これは、いわゆる〈合図〉というヤツだ。こういう念をヒロシさんが出した時が、〈宿題の発表〉のじかんなのだ。

「ヒロシさんはオデコが広いので〈サンライズ〉。更に〈ブラックカード〉という自慢を持っているので、〈ブラックサンライズ〉はどうですか?」

 おでこの美しさと富への素晴らしい執着を褒め称えた100点の提案をオレは念じた。

 あとで気がついたが〈ブラックカード〉の部分をオレはその日最も強い力で念じていたようだ。〈カクテル名はよほどどうでもいい〉と思ったのだろう。

こういった機転を自然に効かせられるあたりは〈アースでの学び〉のおかげだと、あらためてその重要性を考えさせられた。

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暴力シーケンス その1

 大学のターミナルプールを背にした天使様がオレたちを前に、かなり神経質な顔をして漂っている。姿勢を正して細長く漂っているのはオレたち6魂《コン》だ。横並びで、オレ、アニマルスピリットの〈オオカミ〉、ニニさん、アニマルスピリットの〈孔雀〉、指導霊2魂が整列している。

 天使様は歌うようなメロディーに乗せて、高い声で念じる。

 「えー、いよいよこらから〈暴力シーケンス〉が始まりま〜〜す〜〜!ここは、ぜ〜ったいに〜失敗出来ませ〜〜ん〜〜。皆さん気を引き締めて〜〜、二重の確認を徹底してくださぁい〜〜。」

 オレは手首の調節機〈アースとの接続パイプの太さを調節する〉ダイアルが〈2〉になっているのを確認する。30段階の〈2〉はかなりの細さだ。そして硬くもなる…つまり折れやすくなるのだ。

(確かに、折れたら生まれるところからもう一度やり直しは面倒くさすぎる!)
 
 オレは気持ちを引き締める。

 「え〜、え〜、暴力を振るう方も、振るわれる方も〜〜、どちらもしっかりトラウマを植え付けなければなりませ〜ん〜〜。そうしないとね、しっかりと向こうで〈気付く事〉はできませんからね〜〜。」

 まぁ、〈アースでこっちに気づく〉のは、この短期集中講座の最終目標だ。
 今日のシーケンスはその布石となる重要なキーポイントだから、そりゃあ緊張する。

 (あぁドキドキする!アースでのオレは、どんな反応をするのだろうか…正直いって興奮が止まらない!あんなに切ない主人公はいない!愛憎ドラマの一番いいところだ!マズい、思わず〈念〉が漏れそうだ!〈快感を感じる変態〉だとバレてしまう! …あっそうだ!〈学びの喜びの興奮〉にして出してしまえばいいのだ!」

 立派な〈念〉を出すオレに向かって〈良し〉とうなずく天使さまは、その後30分、ヴィヴラートを効かせた〈諸注意の歌〉を歌い続けた。


「ダダくんサイド、太さ2設定でパイプ接続開始。微調節弁解放。ネガティブ深度95%を維持、各種エモエネルギー注入スタンバイ」

 天使さまが〈歌わないバージョン〉の念で、キビキビと指示をとばす。

 〈アース〉内では、この後、夫婦間の家族会議が行われる予定なのだが、そこで口論→暴力…へと発展するように誘導するのが、ガイドたちの主な役割りでもある。

 二二さんの指導霊が彼女にコッソリと耳打ちする。
 「大丈夫よ心配しなくても。アースの彼は何を言ってもネガティブに受け取ってくれるハズだから、流れに任せるようにするのよ。私たちがしっかり〈煽らせて〉見せます!」

「はい!パイプは細いけど、なんとか感じられそうだし…。頑張ってトラウマ刻んでみせます!」

 ニニさんも準備万端のようだ。それにしても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。向こうで暴力を振るう事もそうだけど、何よりも〈それにオレが快感を感じてしまう〉…というのが、不謹慎だし、失礼な事なのだ。

 「それでは〈ダダ・ニニ〉両名の同時アースダイブを開始します。座標は、東京のマンション内、23時から終わりは24時予定。体感時間は5倍、最後は暴力終わりでカットアウトします。それではレッツゴー!」

 天使さまの合図でオレの意識は〈延長」され、一部がパイプを通り〈アースのボディ〉にたどり着き、オレの意識はそれを装着した。そしてオレの殆どが〈それ〉になる。
 
 時が止まった静止画の世界が、周囲に生まれ広がり、時が動き出す。

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となりのゲイバーのママンは〈天才エアギターリスト〉

1人バイト先のラウンジを掃除していると、ドアが開く音が鳴る。

「すいませんまだ準備中… あれ、ママンさんか、おはようございます。」

「おこんばんわ♡今日もステージお借りしますわよ。」

開店前のエモエモパラダイス(エモパラ)にやってきたのは、となりにある老舗ゲイバーのママさんだ。

出会って最初の頃に「ママさん」と呼んだら

「私は〈ママ〉じゃありませんの。〈ママン〉ですのよ。ウチは〈アース〉のおフランス流の形式でやらしてもらってるお店なもんで、これからはそのようによろしくどーぞ。」

…とウインクらしき動きをして頂いた。
格式の高そうな流派でおそれ多いが、オレは尊敬の念を込めて〈ママンさん〉と呼ばせて頂いている。

日中は〈アース〉内にダイブして〈イタリアの軍人〉を体験しているそうだ。もちろん〈今は〉の話しだ。…で、夜は趣味でゲイバーというかショーパブを開いて楽しんでいる。

実はママンさん、ただの中年オカマじゃない。こう見えてスゴい魂だ。
エアーギター魂《コン》世界チャンピオンになった事があるらしい。いわゆる〈エアー〉が昔から得意で天才と呼ばれて育った…というタイプだ。

今日も出勤前のリハーサルとコンディションチェックを兼ねて、うちの店のステージで一曲かまして行くようだ。

もちろんこの世界は全てがウィンウィンの関係なので頼む方もためらいはなく、好きな時に好きな事をするし、オレも良いものを鑑賞出来るのはありがたいのだ。

「客がいないステージだからこそ出来るエアープレイもあるものなのよ。」

と、酔ったママンさんから聞いた事がある。

〈まるでそこにギターがあるように〉弾く事と〈まるでそこに観客がいるように〉弾く事を同時にするのだ。並大抵の事ではない。

ママンさんは開店前のオフモードなのだろう。いつもの虎毛皮のロングコートで、ボディビジョンを隠している。
顔の部分には、中性的な男女の顔が次々と変化している様子が映し出されている。コレまで〈アース〉で体験した人格の顔がランダムにオートで映し出される設定だろう。

歩きながらコートのボタンを全て外し、ステージに上がると合図がくる。

「じゃあダダ君、よろしく。」

オレはピンスポット照明のスイッチをオンすると、ママンさんの表情にもスイッチが入る。
ニヤリとしながら〈誰もいないホールの〉観客たちを見回す。

「エブリバディ、セイ、ほーお!」
「……。」
「エブリバディ、セイ、いぇーえ!」
「……。」

しきりに手を耳をあて、レスポンスを求めるママンさん。

 (いきなり〈あおり〉からかよ)
 少し面倒だが、しかたがない。オレ1人でも客の役をこなそうとコールに答える。

「エブリバディ、セイ、ほっほっほ!」
「ほっほっほ!」

次第にママンさんのヴォルテージが上昇していき、乱暴にコートの前をはだけると、裸にビキニタイプのステージ衣装が露出する。ママンさんのお気に入り〈スワン2世〉だ。

ママンのステージ衣装は純白のビキニで、股間のところに純白のスズメの顔がついている。顔の両横に翼がはためいているカタチだ。スズメはクッション素材で立体的に造形され、先端に黄色いクチバシがついている。そのクチバシはギターの弦に見立てられ、ギターのピックでママンさんが弾くのだが、クチバシは弾かれると「チュン」と音が出る仕組みになっている。

 ほんとうにこのスズメに生まれなくて良かったと思う。

「みんな今夜は集まってくれてありがとう!最高だぜ武道館!」

(ぶどうかんだったのか…)

「今日はそんなお前らに!私からのプレゼント…受け取ってください新曲〈デスパレード〉」

合図を聞いたオレは指定された〈いつもの〉曲を流す。〈アース〉の古いデスメタルの曲だ。

「ジャジャ〜ん」

と歪んだギターの音に合わせて、手元にあるクチバシを2回弾くと

「チュチュン」
 股間から小さい音が出る。
 ギターの音とスズメの鳴き声はほとんど同時、シンクロ率は95%を超えているだろう。
 スズメの額に現れたゲージのメモリが大きく振れている。

 (なるほど!スズメの鳴き声は〈シンクロ率〉の調整機能も兼ねているのか!さすがは元チャンピオンの衣装だ。)

 そして、ここからがママンさんの真骨頂となる。

「じゃじゃじゃジャジャジャーン」
「(ちゅちゃちゅチュチュチュン)」

だんだんとフレーズのテンポが早くなっていくと、股間のスズメの目がまばゆいばかりにヒカリ始める。シンクロ率が100%に近づいている証拠だ。

ママンさんはギラギラした目を観客に向けながらオラオラ顔で、何か罵声にも聞こえる言葉をうわごとのように叫んでいる。

そして、曲が前奏の4小節を終える時、それは起こった。

スズメの目が強烈な赤い光に変わると、顔の周りから広がるように半透明のギターが発現したのだ。

そう!こちらの世界はシンクロ率(なりきり率)が100%という事があり得る世界なので、99%を超えると〈エアー〉がエアーでは無くなる。つまり本物のギターがうっすら実体化する。

彼女がイメージしたギターは、クリスタルのような角ばった反射の仕方をしながら液体のように波うつ〈V形〉のギターで、常に音に合わせて動きアメーバーのようなカタチに伸縮を繰り返していた。

「あぁ、美しい!スゴいです、ママンさん!」

 おもわず叫ぶように念じるオレに、ママンさんがウインクを飛ばして来たので、オレは感謝と尊敬を込めてそれを受け入れる。

 そもそも前奏の間の短時間でギターを実体化させる事が出来るのは、ほんのひと握りの天才プレイヤーだけだ。
 ちなみにオレが〈イメージ〉を実体化させるまでに2時間はかかる。だからママンさんはすごい人なのだ。

 …しかし、ボーカルパートが始まると〈顔芸〉の方に神経が行ってしまい、残念ながらギターは薄くなって消えてしまった。やはり全盛期を過ぎ年齢的にも厳しいようだ。


 リハを終えたママンさんは、毎回同じエモーションカクテルを飲んでテンションコントロールをしてから出勤する。

紫色の煙を出しているショートカクテルを小指を立てながら三口、しっかりと味わって飲み干す

「…きたきたきたきたキタキタキタキタ〜!」

ママンさんは目を閉じながら、ヴォルテージの上昇を確認していると、ふいに違和感を感じる。

「あれ?いつもと違うわ。何かしら…コレは〈怒り〉ね。何かをぶっ叩きたい気持ちよ。あぁ私は一切の納得が出来ないし、納得したくもないの。最高に許せないのよ!私の自由を奪う奴らを私は許せない。あぁ、この感じ、今日はひと味違ったステージになりそうね。」

 ママンさんの瞳孔は真っ黒に大きく開ききっている
どうやら気に入ってくれたようだ。
 
(思った通りだ。おそらくママンさんも〈アースジャンキー〉のひとりなのだろう。ネガティブな感情に〈いい反応〉をしている。)

 実はこの日オレは、いつものママンさんが飲む〈ゲイ魂の基本セット〉である〈モッキンバード〉のレシピに、〈社会に抗う若者の気持ち〉と〈革命の闘争と使命感〉というきわどい〈正義感系〉を加えてみたのだ。
 ピックでバシバシされるスズメのクチバシを見て、なんとなく思い立ったのだが、思いのほかの高評価に感激する。

(ママンさんのプレイに影響を与える事ができるなんて、本当に素晴らしい。)

 気をよくしたオレは、今まで気になっていて聞けなかった事を、勢いをかりて聞いてみる事にした。

「そういえば、ママンさんのその衣装って〈スワン2世〉なのになんでスズメなんですか?」

…少しの沈黙の後、ママンさんはタバコを揉み消しながらポツリと念じ始めた。

「そもそも私は〈アースの人生〉を10回近く体験してるんだけど、その全てを男性でも女性でもない〈中性〉で体験しているかなりレアケースなのよね。そんな私にとって〈股間〉は男性のそれでも女性のそれでもしっくりこなかった。その中間、もっとこう〈真ん中感〉が欲しかった。それでクチバシのある鳥がピッタリハマったわけ。」

なるほど!確かにそれなら納得だ。

「もちろん初めに作った〈スワン一世〉は白鳥だったのよ。でも白鳥って首が長いでしょ。私の激しいピックの動きに首の部分がついてこれなかったの。破壊してしまうのよ。ギターのイメージもろともね。」

ママンさんは2本目のタバコのケムリを吐き捨てるように続けた。

「それにね、白鳥って「クワーッ」て鳴くのよ。それってデスメタルには似合わないでしょ。」

ママンさんは少女のようにハニカミながら、股間のスズメのクチバシをデコピンして「チュン」と鳴らすと、愛おしそうに微笑んだ。

魂《コン》に歴史あり…というが、オレも一度は〈アース〉で中性を体験して見るのも悪くはないと思えてきた。もちろん卒業後の話だが…。

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暴力シーケンス その2

「ふざけないで!なんで私の洋服切り刻んでるのよ!これいくらしたか知ってるの?売ったら借金の足しになったのに、自分の首を締めてる事に気がつかないの? まぁどうせカードの支払いで困るのはあなただから、私は別に困らないけどね、後悔するのね。」

 妻の言葉にオレは怒りを抑えきれず、諦めるように怒りのリミッターを解除した。

「なんで気がつかないんだよ!洋服より家族の幸せが大事なんだって気付けよ。お前にとってどっちが大事なのかっていう事だよ。」

 高価な洋服のカードローンの月々返済額は、15〜20万円、ほとんどの買い物が2年ローンだった。

(こいつにとっての〈家族〉とは、自分と子供の事を指すのだろう。そこにオレは入っていないのだ。)


 その頃ターミナルプールでは、天使さまの指示が忙しく飛んでいた。

 「よし、完全にネガティヴサイクルに入ったわね。めったな事じゃそこから出られませんよ。」

 「ダダくんの方は〈ネガティブな正論〉を活性化します。〈職場での失敗やトラウマ〉〈自信の喪失〉をかき集めて注入してください。妻を〈家族の敵〉と認識させます。同時にオオカミさんは〈敵への野生的な怒り〉をマックスまで出して噛みつく準備よ!」
 「ダダくん聞こえてるわね、〈愛と憎しみの葛藤〉で爆発させます。細いパイプだけど最大濃度で愛を流し続けてね。絶対途切れさせないで!」

 オレは天使さまの声をずっと遠くに聞きながら、〈アースのオレ〉との間にある、金属ワイヤーのように細くなったパイプを、壊れないよう慎重に押さえている。意識のほとんどがアースに没入しているので、残りの薄っすらした意識でコレをするのはかなり高度な事なのだが、たまにコッソリと手放してアースの意識を〈フリー走行〉にする。
 コレは命綱を付けずにロッククライミングをするようなもので、〈変態〉のオレは超興奮してしまう行為なのだ。


 「おまえさ、それ本気で言っているのか?何を言ってるの?バカなの?こんなバカな女をオレは選んでしまったの?」

 「は? 何それ、借金の足しになるはずのモノをハサミで切っておきながら、自分の首絞めてる方がバカっぽいけど…。」

 オレの心は発狂しそうなほど煮えくり帰っていた。

 (こいつはオレを裏切った。もう愛していないのだろう。もう失ったのだ。しかし!家族を守る為にオレはこの怒りをぶつけてなんとか修正しなければならない。仕事を失ったオレにはもう家族しか残っていない。目の前の〈家族の敵〉を叩いて打ちのめし、愛する家族を取り戻さなければならない。しかし、その敵は〈愛する家族のひとり〉なのだ。もう訳がわからない)

 ターミナルプールでオオカミが〈ガゥ〉と吠えた時、〈アース〉では妻のホホをビンタするオレがいた。絶望感が広がる時の特徴的な〈無表情〉を見せていた。
 そしてプールで水に顔をつけている魂のオレは、フェイスマスクのしたで〈恍惚の笑み〉を浮かべていた。

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ママンさんのパートナーのぽえむ朗読


 真夜中の2時をまわった頃、オレのバイト先であるエモエモパラダイスのカウンターでは、店を閉めたママンさんがいつものビキニを着たまま酔い潰れて固まっている。まっすぐ前を見て、かれこれ1時間ずっと動いていない。きっと何かの最中なのだろう。
 
 ママンさんの後ろにあるステージでは、誰に向かうでもなく、独りのオカマがポエムを朗読していた。

 「愚か者!男山と女山を歩くおろか者…
  その道が険しい事にも気づかない貧しき者たちに、私は美しく手本を見せましょう。
  二つ山の間のどセンターに流れる小川のせせらぎとなり、せせらぎの真ん中を流れるもみじのひと葉となり、男も女も置き去りにして、進み続けるゲイの王…あぁ、刮目せよ!私は最先端を進む選ばれた王…」

 …そう言って、とても厳かに、2枚のもみじの葉を乳首に貼り付け、一筋の涙を流したのは、ママンさんのパートナーをしているコブラさんだ。

 コブラが巻きついている王冠の額の部分では、カマ首から赤い舌がチロチロ出入りしている。

 〈差別意識〉を濃い目に配合した〈ロングゲイランドアイスティー〉を5杯も飲んでいるので、完全にハイになっているようだ。
 なんでも今日は〈アース〉でかなりの差別を体験して、かなり興奮していたようで、バランスを取るために〈差別する側〉に回りたいのだそうだ。
 コブラさんも〈分離的ネガティブ〉で快感を感じる〈アースジャンキー〉の1人なのだそうだ。

 「ママンとのパートナー歴は長いのよ、それこそ何度も〈アース〉で夫婦になったわ。…で今は、大戦中のイタリアで軍人同士として知り合って、今日はイチャついていた所を他の兵士に見られて、変態あつかいされてボロボロになってた…ってわけ。つまり今日は〈ロングゲイランドアイスティー〉が飲みたいの。わかるでしょ。」

 (…とさっき念じていたけど、そういう事なのか…今わかりました!)
 
 …と改めてコブラさんの奥の深さに感心していると…

「あら?ポエムは終わったのかしら?」

 ママンさんが動き出した。いったい何をしていたのだろう?さまざまな疑問が湧いてくる。気がつけば疑問だらけだ。なぜ今まで疑問にも思わなかったのか不思議なくらい疑問を抱いていると、必ず完璧なタイミングで答えはやってくる。

 「アメリカのアリゾナ州には、ある〈イワクつきの崖〉があるのよ。ロッククライマーが命綱無しで挑んで、何人も死人が出ているのだけど、さっき私はその崖になっていたの。演じていたの。なりきっていたの。エアーギターのように!目の前を滑落していくクライマーを見ながら、何もせず〈ただそこに在る〉のよ。どう?たまらなく興奮するでしょ。」

 …そして再び動かなくなったママンさんを見て、

「さすがにコレはない!」

 …と、つくづく思った。オレにはまだ出来ない領域の遊びなのだろうが〈動かない〉のは無しだろう。もちろん念じはしなかったが…。

 ふと下を見ると、ママンさんのビキニのスズメにコブラさんの王冠のコブラが噛みついていたが、オレは見て見ぬふりをした。

 ここは自由な魂の世界、そういう日があっても良いのだ。

 
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カクヨム

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