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スピリチュアルとスピリチュアリティの違いを考えると人間存在の本質にたどり着く?

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スピリチュアルの個人的印象
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スピリチュアルは世の中にたくさん情報があり
いろんな人がいろんな考え方を発信しています
ぼくがいまひとつ どっぷりスピリチュアルに没頭できないのには理由があります
たいていのスピリチュアルの話は
確信的・断定的に霊や神の世界の仕組みや体系を語っていることです
霊や神が登場しなくても アカシックレコードや量子力学的に精神は作用すると
言い切ったりしています
言い切られたことに賛同するのは信仰でありぼくはそういう意味の信仰心は持てません

■英語での意味はスピリチュアルもスピリチュアリティも似たような感じ
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ただしもうスピリチュアルという英語は日本語になっていますね
なので日本語としてスピリチュアルは上に書いたような印象になっていて
そしてスピリチュアリティはそれとは違う印象をぼくは持ちます

スピリチュアリティについてはかつて筑波大学の宗像恒次さんが
SAT療法というヘルスカウンセリングの書物の中で語っていたことがあり
その考え方がぼくは好きです

■宗像さんのスピリチュアリティの定義付け
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人間は 祖先や宇宙や神への愛や守護を求めるというイメージを持ち
そういうイメージを想像したり共感したりすることが
人間の精神性 社会性 身体性 に影響する
するは目に見えないものだが その見えないものが人間にとっては大切なのである
(SAT療法より)
そしてこのスピリチュアリティの実態は人の脳活動パターン=イメージの中に存在し、そのパターンが人間にとてつもない影響を与える。

■結局 違いは?
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今の日本で使われ地るスピリチュアルという言葉は
目に見えない部分を
はっきりこうであると断定してその仕組みと効果を言ってるように感じるのです
一方 SAT療法で使うスピリチュアリティという言葉は
日本語では精神性のその奥の脳活動の根源みたいなことを言ってる感じがします
その根源を 人の言葉で完全に言い切るのがスピリチュアルであり
スピリチュアリティの姿勢は その精神性は認めつつ
それは根源的な不思議な人の在り方だと思うだけで
勝手に解釈したりしないという姿勢です

■まとめ
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人の中の根源的イメージみたいなものが脳の仕組みのシンボルかもしれません
ネアンデルタール人も死者に花を手向けたことがわかっています
愛する人の死を悼む というこの精神活動は
どこからくるのでしょうか?
もしかしたら 哺乳類や鳥類クラスになれば どの動物も
愛する者の死を悼んでいるのでしょうか
さらにもしかしたら 生命というものは
他者の死を消滅を悼むのでしょうか
生命とは身体的な有機体でありつつ その稼働の仕組みに
スピリチュアリティの原理があるのかもしれませんね
そう思うと感動するのですが
それについて それはこういうことだと断定されると
しらけるのです

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