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 友達に病気のことを話した。おうちのことも。偏見を持たれることも馬鹿にされることも遠巻きにされることもなく、心地よい心配と配慮をくれた。

 僕が言葉を放って、それが相手に受け取られて、相手から何かが返ってくる。

 たったそれだけのことが怖くてたまらなくて、たったそれだけのことで泣きたくなるほどありがたい。

 世界は僕の敵ばかりじゃないんだ。普通じゃないところを見せても大丈夫なんだ。僕はそれを忘れて、思い出して、それの繰り返しで生きている。

 まだ信じ切ってはいない。また忘れてしまうだろう、そしてまたみんなが怖くなってしまうだろう。それを恐れている。

 忘れなくなった時、僕は僕のままであり続けられるのだろうか。今までの僕は、苦しんだ僕は、報われもせず消えてしまうのかと思うと悔しい。

 世界は敵じゃない、と信じたあと、再び裏切られるのがたまらなく怖い。次はきっと、本当に耐えられなくて死んでしまうと思う。だからあの時決めたじゃないか、誰も信じないって、そう自分を呪いながら死ぬのだと思う。

 二十数年一緒に生きてきた僕のこころ、そのこころはとても怖がりで、ちいさくて、傷ついていて、穴だらけで、何かを求めていて、それなのに閉じこもっている。それを変えられるのだろうか。変わるのだろうか。変わっていいのだろうか。そのときの僕は僕?

 小さいころ、ひとりで生きていくんだと決めた僕を裏切りたくない。でも今の僕はひとを信じようとしている。他人を信じて、自分を裏切るのだ。そんな酷い裏切りがあるのだろうかと思う。

 こころなんてない方が良かった。僕は普通じゃないのに、ご立派に愛とか恋とか友情とか感謝とかを感じてしまう。こころが動いてしまう。何も感じない方が良かった。

 この前、もう何も感じなくなったのが嫌だって書いたのにね。自分すら変わっていく日々で、何が真実で、誰を信じていいのか分からない。きっと普通の人は幼い頃に、優しいパパとママから愛をもらって、それを信じて生きていくのでしょう。でも僕にはそれがない。変化に満ち溢れた世界で、信じるものもなくただ怯えているだけ、それが僕。

 これからどうしたらいいんだろう。病気が治るってどういうことだろう。良くなるよってどういう意味ですか、先生。本当に良くなりますか、良くなったらどうなるのですか。

 ゆらゆら揺れたまま、ほんの少し仮面を外した僕は、また怖くなって、また信じようとして、それの繰り返しで、出口はまだ見えない。

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