「孤立は良くない」、そうですね

 最近なんだか、ひとに頼る、とか助けを求める、とか、いわゆる援助希求というやつをするのがとても億劫になってきた。

 理由は何度か書いた通り、助けを求めてみても状況は良くならないし、それどころか余計に悪化するように思えるから。

 みんな確かに、「良かれ」と思って励ましたりアドバイスしてくれたりする。でもそのひとつひとつがわたしを傷つける。

 お医者さんに低気圧だと落ち込むという話をしたら、体質改善しようと言われた。小麦を食べるなとか甘いものを食べるなとか冷たいものを飲むなとか。確かに正論なのかも、効くのかも。でもそんなに頑張れない。何かこなした日にはご褒美のお菓子を食べたい。たまには新作のフラペチーノも飲みたい。それが、とりあえず明日も生きよう、という気持ちに繋がっていることもあるのに。トーストやパスタの方が作るのも簡単で、鬱で動けない時もなんとかご飯を食べられているのに。
 それで心が折れて、水とカロリーメイトしか食べない日が続き、もういいやと思ってアドバイスを無視した。また同じことを言われるのが嫌で病院をサボった。お医者さんがどんどん「助けて」「苦しい」と言えない相手になっていく。

 友達と交流した方が良いとも言われた。まあ言われなくても誘われたら遊びに行くし、友達のことが嫌いな訳じゃないけれど、健康な友達と一緒に過ごすのは辛い。休日何してるとか、ストレス発散の話とか、恋人の話とか、そのひとつひとつがわたしの中で病気と関連付けられてしまう。微笑んでやり過ごせば良いのかもしれないけれど、今なら良いのかなってつい口を滑らせるように悩みを少し打ち明けて、的外れな励ましや上滑りのアドバイスを貰って傷つく。もちろん友達は優しさで言ってくれているのは分かる。でも鬱のひとに「頑張れ」って言っちゃうみたいな励ましに傷つくのも罪でしょうか。
 それは傷ついたと主張するとか言って欲しい言葉を引き出せるまで愚痴を言い続けるなんてもっと駄目なことだと分かっているから、うんありがとうと言って話を終わらせる。
 これ以上傷つきたくないから、友達に何か相談したりお願いしたりするのをやめる。そんな場面に遭遇したくないから、遊びに行くのをやめる。

 カウンセラーさんに、そうやって人と触れ合うのが苦痛だからひとりでいたいと話した。でも孤立は良くないと言われた。確かに統計上そうなんだと思う。でもわたしは統計の数値のひとつなんかじゃない。そうだったとして、外れ値だったとしたら、わたしにとって統計なんて意味ない。
 わたしは今までの人生で、いちおういつも「友達」と呼べる人はいた。でも括弧付きの「友達」であることが多かった。いつもどこか寂しかった。愛想笑いばかりしていた。昔からそうで、これが普通なのか分からない。友達ってそんなもので、みんなそんな友達と過ごして「孤独じゃない」と言っているのだろうか?それならやっぱりわたしは外れ値だ。
 とりあえず表面上の孤立は避けて生きてこられた人生だけれど、いま精神疾患になった。どうやらわたしにとって孤立を避けることはあまり健康にいい影響を与えなかったようだ。やっぱり外れ値じゃないか。


 ひとと交流するほどに傷つく。助けを求めるたびに傷つく。それでもまだひとの中で生きていかなきゃいけない?友達や恋人が必要?助けを求め続けなくちゃいけない?まだ頑張らなくちゃいけない?

 もう頑張りたくないんです、悪いけれど。

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