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You are (not) a Singer.

 きみはデネボラ、獅子の尾は寡黙にして雄弁。



 ベースというのはどうやら地味なものらしい。確かにあまり目立たない楽器だ。しかしベースというのは音楽では大事だ、というのもまたよく言われることだろう。その相反する二つの印象を持つ楽器は人を惹きつける。

 私がジョン・ディーコンというベーシストに興味を持ったのは、映画のせいに違いない。あの作品の中で彼は「寡黙だがここぞという場面で鋭いことを言う」という役割を与えられていたように思える。「Another One Bites the Dust」のレコーディングのシーンはその役割の格好良さと、曲の格好良さが印象的だった。実のところ、映画でジョンが映るシーンはかなり少ないようだ。しかし彼の存在感は強烈だった。

 これではジョン・ディーコンに魅力を感じたのか、それとも彼を演じたジョセフ・マゼロに惹かれたのか分からない。しかし改めて曲を聴き、彼の人となりを伝聞とはいえ窺うことで、ジョン自身の魅力を次第に実感していった。

 当たり前の話ではあるけれど、ジョン・ディーコンはやたらベースが上手い。どこにその「上手さ」を感じるのか素人ながらに考えてみると、そのリズム感の表現にあるように思える。彼のベースには無駄な音が一切ない。必要な場所に必要な長さの音が存在している。それは確実にミュートをしているということを意味している。一見簡単そうに思えて、しかしそうではない。ついフィーリングで間延びしてしまうところ、逆に急いでしまうところ、そんな部分がない。ひとつひとつの音が緻密に計算されているように思えるのだ。リズムギターでもその才能は発揮されている。ブライアン・メイが彼の代わりをしなかったことでも明らかだが、ジョンのカッティングのキレは誰にも真似できない。
 逆に長音は美しく伸びやかだ。こちらも無意味に短くなったりしない。歌声に、あるいはギターの音に合わせてその減衰までもが操作されているようだ。空気の動きすら彼の手のひらの上で転がされている。

 そうかと思えば、ベースラインそのものはとても自由だ。彼の最初の作品「Misfire」は定番から離れた複雑な動きをしている。あげればキリがないが、ベースラインそのものが一つのメロディとして成り立って、曲にさりげなく、しかし存在感を持って彩りを加えている。その中でもリズムはブレることがない。普通だったら楽しく弾いているうちに、一拍の長さがあっちへふらふらこっちへふらふらしてしまいそうだ。彼のリズム感は天性のものなのかもしれない。
 加えて印象的なリフレインも多い。「Under Pressure」はその代表だろう。一度聴けば耳に残るリフだ(本人は一度忘れたらしいけれど)。一体どうやって作曲するのだろう。聞いた話によるとじっと静かなところで曲を考えていたらしい。頭の中に人を魅了するリズムとメロディのリストがあって、それらの新しい組み合わせを計算で導き出しているんじゃないか……なんて妄想してしまう。
 でもそれもあながち妄想ではなくて、他のメンバーが作曲している様子を見ているうちに、その奥にある理論的な部分を意識的にか無意識にか理解して、それを元に曲を組み立てているんじゃないか、などと考えてしまう。寡作ではあるがヒットを飛ばすジョンなら有り得そうだ。これも妄想だけれど。

 緻密な計算、といえばポジションの選択もそうかもしれない。ギターと同じくベースも同じ音を出せる位置がいくつかある。ジョンの演奏を見ていると、その位置も拘っているように思える。ミュートをしやすくするためか、あまり開放弦を使わないようにしているようだ。また、ハイポジションを選ぶ傾向にあるようにも思える。その狙いの一つは音色だろう。より太い弦を使うほど豊かな響きのある音になる。特にメロディアスなベースラインでは気を使ってハイポジションを選んでいるような気がする。
 かと思えば見栄え重視のところもある。「Liar」のベースソロの部分だ。上昇、下降と続く音階はもっと弾きやすいポジションが他にもあるにも関わらず、視覚的にも分かりやすく指板の上をまっすぐに降りて戻ってきている。あまり目立たないと言われがちなジョンだけれど、こういうところではしっかりアピールしているのかもしれない。ついでに「Killer Queen」でジョンのベースの動きに合わせてフレディが指でネックをなぞるところも好きだ、と書いておきたい。テレビ用のパフォーマンスだろうけれど、誰が思いついたのだろう。格好良すぎる。フレディを一瞥もしないジョンのクールさ(あるいは、シャイさ?)も好きだ。



 ジョンは歌を歌わない。クイーンは他の三人がそれぞれリードボーカルを務めることもあって、このことについて言及されがちである。しかしそこにはいい面もあるのではないか、と思う。

 一つはライブである。他の三人がそれぞれメインボーカルとコーラスをしている間、ジョンはその集中力を他に振り分けることができる。全体を俯瞰してそのコントロールが可能になるのである。楽器を弾きながら歌うというのはもちろん難しい。特に歌と楽器のリズムやメロディが違っていると格段に難易度が上がる。学生の頃の合唱を思い出して欲しいが、他のパートにつられて自分が歌っているパートのメロディやリズムが分からなくなったことがあるはずだ。それが他のパートではなく自分で弾く楽器になるのだ。これでは歌っている場合ではない。だから大抵、歌と楽器を同時に演奏する場合、楽器の方は歌にあったリズムとコードになっていることが多い(例えば「Killer Queen」とか)。ジョンは歌わないから、歌とリズムの相性を気にする必要がない。彼の才能であるリズム感とこれほど相性のいい役割もないだろう。

 先に述べたことでもあるが、そもそもジョンのベースはそれ自体が「歌って」いる。クラシックの音楽用語では「カンタービレ(歌うように)」というものがあるが、まさにそんなふうに演奏されている曲がいくつもある。個人的なお気に入りは「My Melancholy Blues」と「Sail Away Sweet Sister」。ベースによってさらに複雑な表情がつく様はまさに歌である。楽器は全て人の歌声を目指している、なんて言う人もいるけれど、ならばジョンのベースはかなりその極致に近いのではないだろうか。ジョンは歌わない、というよりはベースを歌わせているのだ。

 目立たないのに目立つ。歌わないのに歌っている。その両義的な部分が、ジョン・ディーコンというベーシストの魅力だ。



 もう直接は聞くことのできない彼の音色に想いを馳せながら。

 春のデネボラは夜空に輝く。

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