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クイズと受験勉強は似ている

 小川哲著「君のクイズ」の感想に見せかけた自分語りです。ネタバレを含みます。

 オモコロの原宿さんが面白いと紹介していたので、気になって買っていた本だった。少し時間ができたのでやっと読めた。

 全体的な感想としては、もっと面白いと期待しちゃってたかな、という感じだった。けれど、それ以上に共感できる部分が多くて、クイズの世界が身近に感じられた。特に、大学受験とクイズは似ていると思った。

 わたしがクイズを魅力的に思ったのは「高校生クイズ」で、この本にも協力している当時開成高校だった田村さんを見た時だ。高校生どころか大人でも解けなさそうな問題を解いていく姿が格好良かった。わたしは当時中学生くらいだったが、こんな高校生になりたいと思った。

 しかしわたしは高校生クイズには出なかった。わたしの頃には少しゲーム色が強くなっていたし、一緒に出てくれる友達もいなかったし、受験もあるしと様々言い訳をして出なかった。ほんの少し後悔している気もするけれど、数年前の放送を見ていると出なくて良かったとも思った。わたしはクイズがやってみたかったのであって、みんなで何かに乗ってどうのこうのみたいなことは別にやりたくはなかった。

 その頃何にハマっていたのかというと、受験勉強だった。ちょっとした参考書オタクだった。勉強法の本も色々と読んで、過去問も結構やったと思う。当時のセンター試験は、問題形式を考えて国語と地歴は共通一次まで遡ることができたのでそうした。他のものも追試含めセンター試験過去問は全部解いた。

 勉強法の本にも書いていてが、「出題者はどうしてこの問題を出したのか」という視点は結構大事だ。それがクイズに似ているところのひとつめだ。国語の文章問題で棒線部を引いた位置。もちろん吟味され尽くした場所に線が引かれる。指示語の理解を問いたいのか、この段落に重要なことが書かれているから要約させたいのか。古文文法で重要な助動詞を正しく訳出できるか確かめたいのか。漢文の再読文字の理解は。
 それを知っていると、早押し、ではないが必要最低限の解答を作るのが早くなる。入試はクイズと違って満点を取る必要はない。合格点を取ればいいのだ。そのために出題者の意図を考え、それに乗る。そうすれば大幅に点を落とすことはない。
 どの科目にもそういう、「きみはこれを分かっているか」と問いたくなるものがある。物理量の定義を正しく理解しているか。公式を導出できるか。小説にも出てきたが、オスマントルコの戦力とそれが他地域へ与えた影響を知っているか。ほかにも、たくさん。でも有限個だ。たかだか有限個。なぜなら、大学入試は高校の学習指導要領から外れた問題を出せないから。

 受験勉強のやり方そのものも、主人公の三島に共感できるところが多かった。ある事柄からある事柄へ連想していく。たとえば本に出てきたOTPP。最後のPは重合を表す言葉だろう、と書かれていたが、正確には最後から二つ目のPだが、これはpolymerizedだそうで、その予想は正しかった。ポリマーというのは化学ではよく扱われる。身近なものにたくさんあり、たとえばペットボトルの材料とかだから、出題されやすいのだ。きみたちがいつも使ってるそれ、何から出来てるか、教科書に載っていましたよ。理解していますか?それを聞きたいのだろう。そしてポリメラーゼという言葉を見て、今度はDNAポリメラーゼが思い浮かぶ。生物だ。この大きなタンパク質を使って生物はDNAを複製する。セントラルドグマの一部。セントラルドグマとは……
 そうやって、一つの事柄からできるだけ色々なことへ広げていく。こうした関連というのは、受験問題でも結構狙われやすい。だから”受験のプロ”なる人がいるとしたら、三島のような思考回路になるだろうと思う。

 こう考えると、東大理三という最難関の大学入試を突破した本庄絆はクイズ向きの人間だったと言える。クイズに順応するのが早かったのは、受験に順応していたから。だとわたしは思った。
 東大理三の入試問題は、実は東大の他の理系の入試問題と全く一緒だ。ただ受験者と合格者のレベルが違うのだ。東大の問題を、限りなく速く正確に解ける人たち。それが理三に受かった人だ。

 理三の知り合いは何人かいるけれど、世間の想像よりは普通の人が多かったかなと思う。もちろん変な人だなと思う人もいたけれど、話しやすくて良い人でスポーツもできるというような、好青年たちだった、というのが印象だ。彼らは頭脳のせいかもともとの性格のせいか、「周囲が求める像」としての振る舞いをしていたのかもしれない、と本を読んで思った。もちろんごく自然に朗らかに話し好きだからスポーツに励んでいた人がほとんどなのだろうけれも。


 本庄絆が求められた人物をひたすら演じていることが、とても苦しいと思った。本人はあまり苦痛には思っていないようだったけれど。でもいつか破綻する可能性がある演技のようにも思えた。いや、仕事上のことだけ、となれば耐えられるのだろうか。プライベートで自分を出せれば。しかし本庄絆がそのように周囲の期待に応えている一因にはいじめがあって、そのせいで危うく思える。

 小説では本庄絆は「東大医学部の」「東大理三の」と肩書きがブレる。テレビではよくあることだ。世間の人はあまり理三と言われてもピンとこないだろう。東大の一年と二年の前半は、全員前期教養学部に入っており、そのあと各学部に分かれる。つまり本庄絆が一年生あるいは二年生のときに、東大医学部の、と言われると厳密には間違いなのだが、テレビや他のメディアは躊躇いなく間違いを犯す。わかりやすく面白い方を選ぶのだ。
 本庄絆が医学部に入り、卒業したのかは(あるいはするつもりなのかは)よく分からない。本格的に医学生になると、テレビ出演はまだしも個人YouTubeはかなり忙しくなるだろう。両立するつもりなのか、それとも医師になる道にははなから進まないのかは分からない。
 個人的には、少しだけ、なんだよと思う。意地のためにクイズで稼いでいるようにも見えてしまったからだ。せっかくたくさんの人と戦って受験に勝ち抜いたのに、医者にならないのかよと少し思ってしまう。しかし本庄絆も、やはり正解のピンポンに人生を肯定されたことは間違い無いのかもしれない。人生を肯定してくれるものに人生を捧げるのは理解できる。

 受験勉強とクイズは似ている。「君のクイズ」を読んでよりそう思った。はじめに挙げた田村さんや、クイズノックの伊沢さんをはじめ、クイズ界にいわゆる高学歴な人が多いのは、やはり受験の立ち回りとクイズの立ち回りの共通点があることを示しているのではないだろうか。単に頭がいいとか知識があるからクイズをやっているのではなく、構造的に受験とクイズが似ているから、彼らはクイズが得意だし、たぶん好きだ。順序が逆で、クイズが好きだから受験勉強もできた、という方が実際に近い気もするけれど。

 クイズの世界をのぞいて、わたしも人生を肯定されてみたくなった。けれど、クイズ以外でもそんな場面はあるし、クイズも漫然と解いていたら肯定なんてされない。自分の人生のいろんなことが今につながっていて、今やったことを誰かに喜ばれる、それが人生全ての肯定ではないかと思った。

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