壊れちゃうって分かっていたから

 僕の家庭は機能不全だった。たぶん機能不全の定義は曖昧で、自分がそう断言していいのか、まだ自信がない。でもそもそも断言できる性質のものでもないし、してもしなくても良いのだろう。僕は「自分の家庭が機能不全であった」と断言することで、僕の辛さを言葉に出来ると思う。だからそうする。これはグラデーションだから、違うんじゃない?と思う他人がいるかもしれない。でも僕は、少なくとも僕の為に、そう断言する。


 両親は明らかに上手くいっていなかった。父親は気に入らないことがあると誰かのせいにして怒鳴った。物に八つ当たりし、威嚇するように叫んだ。暴力を振るわなかったのはまだマシだったかもしれない(小突かれたり引っ張られたりはした)。
 母親はそんな父親に初めこそ文句を言っていたが、次第にそれも諦めたらしい。それに自分が悪いんじゃないかと感じていたそうだ。典型的なモラハラだったと思う。

 そんな中に僕が生まれた。僕は物心ついた時から、父親の機嫌を損ねないことが家族の平和だと思っていた。既に家族はギリギリの薄氷の上にあった。父親が手を出せばさすがに母親は出て行っただろう。それに僕は母親が怒鳴られているのが辛かった。母は仕事も家事育児も自分でやっていて(今思えば色んな人に頼ってはいたけれど)、子どもながらに病気になってしまうんじゃないかと怖かった。倒れてしまうかもしれない。実際母が風邪を引くことは多かった。だから僕は出来るだけ良い子にして、そして家族が壊れないように頑張ろうと思った。お母さんが可哀想だった。病気になって欲しくなかった、心も体も。たぶん父親にもそう思っていただろう。誰にも苦しんで欲しくなかった。家族が壊れないで欲しかった。だから自分がどんなに犠牲になっても良かった。

 でもそれは、幼い僕の手にはあまりにも大きすぎる問題だった。

 子どもなりに必死だった。次自分がどんな言葉を発し、どんな行動を取ればもっともマシな選択になるか、そればかり考えていた。柔らかな子どもの頭はそれにばかり適応してしまった。気がつけば周りの大人をすっかり騙してしまうほどの「いい子」になっていた。自分がなにか異質な子どもで、子どもらしくない子どもだというのはその時から分かっていた。でももういい子の辞め方は分からなかったし、そもそもいい子を辞めるわけにはいかなかった。そうしたらみんな壊れてしまうって分かっていたから。

 下のきょうだいが生まれて、僕には守るべきものが増えた。一生懸命母の手伝いをして負担を減らし、きょうだいの相手をして、家事もやって。小さなおとなだった。小さな親をやっていた。実際に何度もそう言われたこともある。まだ小学生だった。

 けれど僕には守りきれないものが多くなっていった。父親はいつも怒っている。僕は頑張って宥める。母親はいつも疲れている。僕は頑張って負担を減らす。まだ幼いきょうだいに何かを我慢させる訳にはいかない。父親に怒られたら可哀想だ。だから必死に父親の地雷を踏まないように先回りした。
 それでも何も良くならなかった。父親の怒りも、母親の疲労も減ることは無かった。きょうだいは結局父親に怒鳴られて泣いていた。どんなに僕が頑張っても、なにも変わらなかった。

 だからもういいやと思った。僕は死のうと思った。こんなに苦しい。こんなに頑張った。なのに何も変わらない。誰も分かってくれない。死んだら何か変わるかもしれない。だから死のうと思った。「分かって」もらうために。

 でもそれすら出来なかった。同時に僕は別の道を見つけた。それは勉強することだった。僕が良い成績を取れば父親の機嫌は良かった。それに僕も勉強という逃げ場が出来た。だから勉強し続けた。

 それはその場凌ぎの対症療法だった。今思えばそうだ。しかも副作用の大きい。僕が良い成績を取って、世間で良いとされている大学に入ったから、きょうだいには無駄なプレッシャーを与えてしまった。父親も余計な期待をしたのだろう、きょうだいへの教育虐待は目に見えて酷くなっていった。

 僕はなんてことをしてしまったのだろう、と思った。きょうだいはさぞ僕を恨んでいるに違いない。あの時助けてあげられなかった僕を。でも大学に入ったおかげで家から逃げることが出来た。僕はもう耐えられなかった。18年間、この日を希望に生きてきたのだ。その希望を失っては、このチャンスを失っては生きてはいけない。だから僕は家を出て大学に行った。

 僕がいなくなってから、家族はゆっくりと壊れていった。きょうだいは不登校になり、家の雰囲気はどんどん悪くなり、両親はより不仲になった。けれど表面上はまだ壊れていなかった。年に2回は必ず帰省して父親の機嫌を取り続けた。それが役に立ったのかは知らないけれど、僕はまだ家族を壊すまいと必死だったのかもしれない。

 でも結局僕が先に壊れてしまった。鬱病になって大学に行けなくなった。無理矢理卒業して、大学院に行ったけれど、とても就職なんて出来る気がしなかった。壊れた僕を見て、やっとお母さんは何かが変だってことに気がついた。

 そして今や、家族は壊れてしまった。もうバラバラになるのだ。僕が自分を壊してまで守ろうとした家族は結局壊れてしまった。僕のしたことは無意味だっただろうか?

 けれど、ひとまず今、家族の誰も死んでないし、ある程度生活出来ている。だから僕の頑張りは無駄じゃなかったのだと思いたい。

 僕はどうして家族を壊したくなかったのだろう?正直両親は離婚したら良いのにとずっと思っていた。けれど口にはしなかった。口にしたら本当になる気がした。

 きっと僕は、誰にも苦しんで欲しくなかったのだと思う。誰の悲しい顔も見たくなかった。楽しく生きていて欲しかった。自分よりもみんなが楽しかったらそれで良かった。他の誰も苦しんでいないのならそれで良かった。ただ笑っていて欲しかった。本当に、それで良かったはずなのに。

 どうしたら良かったんだろう。きっとどうにもならない。幼い僕にははなから無理なことだったのだ。けれど諦めることだって、同じくらいの無理なことだった。自分のせいで誰かを壊すくらいなら自分が壊れた方がマシだった。


 これからは、自分のために生きないといけないのだろう。もう守りたい家族は既になくなったのだ。僕が壊してしまった。そして、もう僕は自由になったのだ。

 新しい僕がどこかにいる、その僕を迎えに行かなくては。

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