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〜大きなパリ〜 欧州旅行記②

パリのOperaに着く。目の前に大きく様々な彫刻がある建物があるこれがオペラ座か。

着いたのはいいが、寒い、皆んな歩くのが早いし堂々としている。僕らは泊まる場所までの道を探した。ここら辺は高級な通りで近くにはフランスの老舗デパート GALERIES LAFAYETTE(ギャラリーズラファイエット)がある。

大きなスーツケースを持って迷っている僕らは明らかに観光客で明らかにアジア人なのだ。多分この頃はよく分からない汗が出ていたと思う。スーツケースが邪魔なのでパリの東Gare de l'Est駅に預ける。これで多少は観光客には見えなくなって、身軽にもなって気分が幾分良くなった。ここまでだけでも気疲れのような感じだったので赤いテントのあるカフェに行った。

初めてフランス語で注文をした。クロワッサンはないと言われ、パンオショコラならあるよと言われ、カップチーノとカフェ・ド・クレーム、パンオショコラを頼んだ。

テラス席なので煙草が吸える。僕ら夫婦は二人とも吸うので助かる。そしてパリは何より喫煙天国でもある。お店はテラスなら大体吸える上に外でなら何処でも吸える、等間隔に灰皿付きのゴミ箱があるからパリっ子達は皆んな歩きながら吸ってポイと捨てるのだ。良い景色を見ながら外で吸うのが当たり前だから誰かに煙たがられないパリは喫煙者には最高の場所であると思う。

こんな街だから最初は躊躇していた僕らもだんだんと歩きながら吸うことに慣れていった。これを日本人が見たらお行儀が悪いと言うのだろう。秩序が全然違うところの一つに喫煙はあるだろう。

カフェ・ド・クレームとカプチーノ、パンオショコラが運ばれてきた。ギャルソンのフランス語は囁いているようで、都会的で洗練されて印象を与える。大変に優雅である。パリを歩く人達の足取りは早い。鳩も多くいて、東京の鳩と比べるとよく飛び、よく動き、のびのびしている。パリの鳩はというより後から分かるのだがフランスの鳩は低空飛行で顔面まで向かってきてスレスレで避ける習性がある。全然日本と違う。建物から鳩の性格まで。

「Ofr.Paris」という行きたかった本屋があったので2人で向かう。ここは1996年からやっているパリでは比較的若く、店員さんも若くてファッション本からアートブック、キャップや洋服のオリジナル商品まで扱うカウンターカルチャーの匂いを感じさせる本屋だ。

奥はギャラリーのようになっていて、大きな写真や小さな写真が整然と飾ってあり、そこに飾っているものにも値段が書いてあり購入が可能だ。

幾つかの本を見回して気になったのが、ジャズ関連の本が無差別に置いてある棚のところに重なっていた日本のジャズ喫茶を紹介する本。僕らの行ったことのあるお店なども紹介してあり僕は嬉しかった。日本のジャズ喫茶がパリの人達のお眼鏡にとまるのはとても光栄なことのように思えた。
日本にもアニメだけではない良い文化が確実に存在する。それを僕らのように文化を愛する日本人が支えていきたい。そんな風に思い日本に帰ったらまたジャズ喫茶に通おうと思った。

パリの街を僕らはとてもよく歩いた。喋りながら飽きもせず美しい街並みを歩く。

そろそろAirbnbで予約したアパートに向かおう。パリ東駅(Gare de l'est)に戻りスーツケースなどの荷物を持って向かう。歩いて向かおうということで20分ほど歩くことになった。

周りが徐々に夕方くらいに日が落ち始め、道中では昼間には見ないような人達が集まっていた。ここらへんは黒人街となっており、露店で小さく何かを売っているものや黒人用のカツラや整髪料、黒人用理髪店、大人数でたむろしている黒人達。僕はブラックミュージックを長年愛し黒人に憧れを感じる1人であるがここは正直言って怖い。

大きなスーツケースを持った僕らはどこか場違いであった。スリなどに会わないようにいつにも増して慎重な面持ちで歩いた。なるべく目を合わせないようにしてたと思う。ここらの黒人の集まる通りは10分ほど歩いた気がする。不安と身体の疲れもピークであった。

それから滞在するアパートへと近づき白人の方が多いボンヌーブルに着いた。観光客の姿も少なく比較的落ち着いていて現地の人達と思われる人が多かった。

アパートの玄関まで着いた。ネットの予約していたページを開き部屋までの入り方を見た、まず一つ目の扉で番号を押し扉が無事開く。少々の安堵だ。

そこから2番目の扉の番号を押し扉を開くと、急な階段となっていてボロボロで軋んだ木像であった。狭い螺旋の階段を重たくて大きいスーツケースを運び、3番目の扉で番号を押す。開いてとても狭い廊下に何個か部屋がある。

奥の左側の部屋が僕らの4番目の最後の扉に差し当たった。番号を揃え、鍵が入っているボックスを開ける。鍵を手にして鍵穴に差し込み何回かロックを開ける。開かない。

何回も試してみる。開かない。不安が押し寄せた。色んな方法を試してダメだったので、奥さんがルームホストに問い合わせる為にパソコンを取り出して書いていた。無音の狭い空間で焦っていた僕らの不安は絶頂であった。ついため息が漏れてしまい。「ここまで来たのにね。」と奥さんが言った。

5〜10分くらいそこにいたのではないだろうか。
身体は疲れており、黒人街を通ったあたりからの小さな不安が溜まってきていたところであったので、どうしたものかと思った。

すると隣の隣の部屋から鍵を開ける音が聞こえ、僕は心臓をバクバクさせた。僕らの物音でうるさいと注意されるかもしれないと思った。不安のピークであった僕はネガティブなことを一瞬考えた。
すると30代くらいの白人カップルが出てきて僕らを一目見て階段を降りようとした。

僕は思わず、「Please help me.」と言った。すると男の方が「どうした?」というような英語で何やら喋ってきて、僕がヘンテコな英語で鍵が開かないことを伝えると、「これは、ちょっとコツがいるんだよ。」といって鍵の開け方を丁寧に教えてくれた。すると開かなかった扉がカチッと飽きドアから隙間が出来た。僕は嬉しくて「Thank you so much!!」と渾身の感謝の気持ちを伝えた。
男は「Welcome!」と去っていった。嗚呼僕らはパリに来たのだと思った。

部屋は清潔で最低限の暮らしをするには申し分のない部屋だった。
この日は少しだけ部屋で休んで、少しお洒落をして飲みに出掛けようようと二人で予定を立てた。

時間は20時を過ぎていただろうか。パリは全然明るい、暗くなってきたなと思ったら22時近くを回っていた。これでは我々も夜遊びをし過ぎてしまうなと微笑んだ。
カフェのような作りの現地人に人気と言われる大衆飲み屋に来ている。僕らは煙草を吸うのでテラス席に座り、外も中もとても賑わっていた。隣の席では女子大生くらいの女の子達が6人くらいでガールズトークをしている感じだった。高い服は着ていないが各々個性が出ていてお洒落でシティーガールだと思った。

ファッションの話をすればパリではアメリカやアジア人のようにロゴ物のブランド品を着ている人達はとても少ない。そんなことを考えながら次の日にDiorのオブリーク柄のダウンジャケットを着ているなと駅で見かけた男性に近づいてよく見たら偽物であったりした。お金がないのなら見栄を張らなくていいのではと思う。高い服ではなくても工夫した着こなしをする方がパリの人達からは好感を持たれるのではないかなとも思った。

ビールはとてもおいしかった。1杯目がハイネケンのドラフトなので日本でも馴染みのある味ではあるのだが、この日ばかりは人生で1番美味しいハイネケンであったのは間違いない。ポテトもとても美味しかった。ケチャップとマヨネーズも付いてきたのだが、僕らはマヨネーズの方ばかり付けていた。フランスのマヨネーズはやっぱり美味しいと思う。日本のより少し軽い感じがする。
とてもリーズナブルで良いお店であったと思う。
現地の人達にも人気なのは理解できる。


アジア系のギャルソンにお会計を告げた時に、君達日本人でしょ。とフランス語で言われ、「日本のこと知っているよ、ありがとう、こんにちわ、よくお辞儀をするよね。」とお辞儀のポーズをとった。

これが日本人のステレオタイプである。確かに僕はフランスで道を渡る時についお辞儀をしてしまう。まだパリでお辞儀は見たことがないのも確かである。

さあ明日はルーブルだ。と深夜のパリの美しい街頭の光らを見て思った。
この頃には昼の不安はすっかりなくなってしまっていた。

③に続く。





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