日本の将来を占う
日本の将来を占う
21世紀に入り令和の時代となったが、この先日本はどうなるのであろうか。現状は決していい状況にあるとは言えず、いくつかの観点から将来を占ってみるのも無駄にはならないであろう。
その占いの結果は、大凶と出てしまった。お先真っ暗である.....。
大凶となった要点だけ先に述べると、(詳細は後述)
日本の国の借金が、一人当たり1,000万円を超えており世界最大の借金国である。
国民の平均年齢は急速に上昇しており、生産人口の占める比率の低下は目を覆いたくなる。総人口は減少するのに増大する老人たちの年金と医療費のため、若者や中堅層のお金がむしり取られており、解決の糸口すら見い出せていない上、このことがさらに借金を膨らませる原因となっている。エネルギーのほとんどすべてを輸入に頼っており、また放置されている農地が3割以上もあるのに食料の多くも輸入に頼っているため、他国の影響に左右される構図から抜け出せない。主要な産業で輸出をして外貨が稼げるものが車しかなくなってしまった。少し前まで電機電子半導体などがあったが風前の灯である。これらによって一人当たりのGDPは、G7中最低にまでなってしまった。それにもかかわらず問題意識を持った政治家が見当たらない......からだ。
それでは、もう少し掘り下げて考えてみよう。
まずエネルギーなどの輸入に頼っているものを考えてみよう。エネルギーが石油に依存している以上は(天然ガスも含め)、どうにもならないであろう。かといって、原子力発電をこれ以上拡大することも難しく、再生可能エネルギーの開発は、日本においては地理的制約から時間がかかるであろう。また変動(特に周波数)を一定に抑える必要があり、直交変換や電荷の蓄積(言わゆるバッテリー)に対して画期的な発明が必要とされる。
では食料はどうか。少し視野を広げて地球全体を振り返ってみよう。
世界の人口は2022年で、80億人を超えたと言われている。どこまで正確かは別として、世界人口は増えており、その水準(80億人程度)にあるのは間違いないように思われる。
人口の増大は人類の繁栄でもあるが、一体この地球という惑星には、どれだけの人口が養えるのであろうか。いくつか切り口はあると思うが、穀物を軸に考えてみたい。穀物(米、麦、大豆、とうもろこしなど)を考えると、飼育している家畜(牛、豚、鶏など)の餌も含めて考えられるから、全体像を捉えることができる。
穀物の生産量は、およそ27億トン前後と言われているが、天候などにも左右され正確に把握したり予想することは難しいだろう。ただすでに生産量の限界に達しているのは間違いないだろう。一つには80億人もの人間が生活する住居や道路、工場や駐車場によって、農地が減ることはあっても増やすのを不可能にしている。山林の伐採や開拓などで負の連鎖が生じていることは疑う余地もない。農地への水の供給も行き詰りが見え始めており、地下水による供給も限界にきている。肥料も3つの重要なものの内、窒素は空気中から取れるが、リン酸は鉱石に頼っておりいずれ限界を迎えるだろう。それでなくても農薬や化学肥料の弊害があり生産性の向上は限界に達しつつある。天候が安定している年で最大に近い穀物生産があっても、一部の国では十分な栄養が取れず餓死をしたり栄養失調から病気になったり短命に終わったりしている。
では世界で27億トン前後の穀物を、世界の人に平等に分けるとどうなるか。27 / 80 =0.3375となり、単位はトンであるから337Kgとなる。一人当たり生きていくのに必要な穀物の年間量は、160-180Kgと言われている。200Kgとしても135億人を養えるはずである。ではなぜ不足しているのか。
無駄に捨てられる分と合わせ、家畜の飼育や餌に回されているからである。また家畜によって必要とされる摂取量に違いがあるからである。牛など大型の家畜は大量の飼料と時間を必要とする。小型動物は成長も早く必要とされる飼料の量も少ない。牛は10-12倍以上必要と言われており、豚は7-8倍、鶏は4-5倍と言われている。これは牛肉1Kgのために餌の穀物が10-12Kg必要だという意味である。それでは牛肉や乳製品を止めたり減らすことができるであろうか。おそらく不可能だと言わざるを得ない。米国は最大の消費量になっているが、牛の消費も含まれ、また中国は豚の最大消費国となっている。このことは世界の人口が極端に減らない限り、世界の穀物は不足し不安定な状況が続くことになる。しかもこれは日本にとっては$ベースの輸入となるため、エネルギーとともに、為替の影響をまともに受けることになる。
では為替はどうなるであろうか。円は過去においては円高で推移してきた。もちろん上下もしたし、今は最も高い水準からは円安となっている。為替は基本的にその国の競争力を反映するものである。日本が過去に国際競争力があったために円高となったのであって、その時々の金利などでは変動はしても中長期的な推移への影響は限定的である。では日本の競争力はどうか。冒頭で記載したように国民一人当たり1,000万円を超える借金があり、生産人口は減少している。日本の産業で国際競争力を持ったものは自動車ぐらいで、これも新たな競争に入っており予断を許さない。やはり電機電子半導体産業が壊滅的な状態になっていることが将来を暗くしている。(電子立国日本の崩壊 1-4を参照)
過去には繊維産業や造船などから始まり、過酷で生き残りをかけた競争の中で、新たな競争力を持つ企業が出てきたが、それが今は見えてこない。このことが国家間において日本の競争力が衰退してきている背景であろう。今のところは過去に蓄積した財産(海外における過去の投資から得られる利益やわずかに残る一部の競争力を持った企業)で食いつないでいると言える。これでは円の価値は落ちていくことになる。日銀や政府が金融緩和をしても、年寄りになれば必要なお金も限られ、使う必要性もなくなってくる。増加するのは医療費であり、それを若者や中堅層からむしり取っているのだから、国民の生活がよくなることはあり得ない。その状態でお金を低い金利で貸し出すと言っても、だれが何に投資をするのか、国民(特に20代から40代)が疲労している中で、その解決をする前に、旗を振っても誰も踊らないし無駄である。これが日本の競争力を衰退させ、結果として昨今の円安となって表れてきている。
米国もEU諸国なども物価を抑えるため金利を上げ始めたが、日本では金利は上げられない。なぜなら1%金利が上がれば年間12兆円ものお金が金利の支払いのためにさらに必要となり、そのために借金が増え円の価値は落ち、円安となり行き詰ってしまう。今のまま我慢をするしかないが、低金利のままでは国際競争力がなくなっていることと合わせ、物価高を導き出し円安からは抜け出せないだろう。
こうなると日本の競争力は減少し、国民は年寄りのための過保護政策で疲労し、エネルギーや食糧は輸入に頼っているのだから、ますます円安になる上、物価は上昇する。それによって、さらに国民の生活は圧迫され、悪循環が繰り返されることになる。今後5年10年と経つにつれ、ますます日本は住みづらい国となっていくだろう。
今こそ困難なことに真正面から取り組み、世論に迎合せず、50年先、100年先を見据えた政策を推進できる本物の政治家が現れることが切望される。
推進する政策としては、老人の過保護をやめ、過剰な医療に依存し人を踏み台にして平気な関係者を一掃するとともに医療の適正化をし、これらによって借金依存から抜け出すとともに、生産可能な労働者の可処分所得を増やすことである。(特に30代40代に、年寄りではなく......)
また日本が世界的に競争力を持てる技術開発を推進すべきである。時間はかかるが戦後の復興よりは土台がまだあり、真摯に取り組めば取り返せるだろう。
エネルギーでは、メタンハイドレートの開発に期待したい。低温高圧の条件で大量のメタンが閉じ込められており、この放出が始まると地球規模で高温状態となり生物は死滅すると言われている。これを有効活用でき温暖化を抑制できれば当面のエネルギーの解決と合わせて、日本においては状況が変貌するだろう、米国がシェール革命で好転できたように。日本近海にも大量にあり、困難で多大な挑戦が必要とされるが、日本人の諦めずに努力を積み重ねる気質に期待したい。その上で再生可能エネルギーに繋ぐことができれば展望が開ける。
食料生産では、一般家庭の参加を推進すべきである。今までは大都市への人の集中があったが、ITの進化によって場所の制限はもはやないと言ってもいい。近郊や田舎であれば近隣に畑を持つことも可能になる。ただ栽培における経験、用水や農機など諸条件を考えれば、庭での栽培ではなく、ある一定の地域でまとまった農地を確保し、一定の割合の畑を貸すことが有効だろう。週末菜園であれば一つの家庭で5m x 10m程度もあれば十分である、そうすれば放置された農地の対策にもなり、個々の人々の環境への考え方もより現実的になるだろう。農作物や食料への見解や経験も深めることができ、環境にも積極的に配慮するようになるだろう。農作物の生産に一般の人たちがより多く参加するようになれば、農業の担い手の減少にも多少の効果は期待でき、自分たちでより新鮮な作物を無農薬で作れれば、より豊かな生活へと導けるのではないか。今のように農産物を農薬や除草剤で作って見せかけで消費者をごまかしたり、輸入農産物にかかる農薬「ポストハーベスト」に対しても、消費者が生産者になることで一定の排除や改善が期待できる。
都会から離れ自然と触れ合う環境であれば広さも十分に確保でき、親などとも近い地域で生活できるだろう。そのことは、子供を育てるのに親からの人的援助を期待できるものとなり、今の少子高齢化に対してわずかでも歯止めも期待できる。(世界規模では人口抑制が必要だが.....)
このためにはITを駆使した仕事ができる環境と、これらの取り組みが行える広い分野の多くの企業が必要となり、政治的にも中期的に安定して推進できる環境が前提となる。
しかしながら前述のことが実現する可能性はほとんどないと言っていい。なぜなら人間は窮地に立たないと今までの生き方を変えられないものである。これは日本だけではなく世界の歴史が証明している。変化を求めない人、受け入れることを拒む人、既得権にしがみつく人、得票のみが大事な政治家、などによって改革の目が出てきてもつぶされるであろう。今後数十年経って、日本がどうにもならなくなって追いつめられ行き詰るまで変化は期待できないだろう。現時点では大きな痛みを伴わないことでも、行き詰ったその時にはあらゆることの実現に多大な労力と痛みを伴うことになる。できればそうならないことを期待したいが.....。痛みを伴う改革を推し進められるリーダーの出現に期待したい。
読者には、賛否両論があると思われるが、今回取り上げたものが1つのきっかけになり、より深い議論とあわせ、よりよい日本への一歩になれば幸いである。
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