終業時間直前で仕事を言いつける男
上記の行為を得意技とする社長Aがいた。この会社の終業時間は午後5時。その時間が近づくと、社員たちが恐慌をきたすのだった。
ぼくはその「恐慌の儀式」を毎日見ていたが、今はもう見られない。すでにこの会社が倒産してしまっているからだ。このマガジンタイトルは「会社をつぶしたくてたまらない男」だが、社長Aはすでにつぶしてしまっているのだ。つぶしたくてたまらない経営者は多いだろうが、きっとうらやましい限りだろう。
社長Aは、口では会社の発展を望んでいるようなことを日々言っていた。しかし実際にやっていることは逐一、会社をつぶすための行為だった。こういった経営者は実に多い。むしろこういった経営者ばかりだろう。みんな発展させたいと口では言うが、これは額面どおり受け取れず、本心ではつぶしたいと思っているのだ。そうにちがいない。でなければ、言葉と行動の矛盾に説明がつかないからだ。
社長Aは従業員のやる気を失わせることに対して、一級品の腕前を持っている男だった。会社をつぶすには従業員に愛想を尽かされるということも必須条件なので、社長Aにはつぶす才能が備わっていたと言えるだろう。まるで将棋のA級棋士が考えることなく最善手を指すかの如く、社長Aはなんら考えることなく従業員のやる気を削ぐ行為をポンポンと打ち出すのだ。
やる気を削ぐ行為のなかで格別見事だったのが、『終業時間が近づいたときに従業員に仕事を言いつける』というものだった。
社長Aの会社はモツ業者なので、特にこの行為が効いた。なにしろこの業界は高齢者しかいない。汚れる仕事で賃金が安いのに、商品知識や特殊技術が必要なのだ。豚の頭からコメカミを抜き取る技術、とかだ。会社には6人の従業員がいたが、4人は70代だった。残り2人のうち1人は80代。彼らは年齢的にかせぐ必要などなく、残業代はいらない。それに斜陽の業種なのでどの街にもあるというわけでなく、みんな遠方から通っていた。だから渋滞のひどくならないうち、定時が来たらとっとと帰りたい者たちばかりだったのだ。
彼らは他に移りにくい条件を備えた従業員だ。年齢的に次の仕事が見つかりにくく、見つかったとしても条件がとことん悪くなる。賃金は落ちるだろうし、その齢で新しい職場のやり方に合わせるのは極度の苦痛だろう。だから社長がいかに気に食わなくても、居着くことになる。自分の技術はまぁ活きるし、勝手知ったる職場で一応は気ままにすごせる。そんな行き場のない諦観社員を本気で辞めようと思わせる行為が、就業時間直前の仕事の言いつけだった。
人手不足で社長が3トン車を運転して屠場に内臓を取りに行っていて、北関東から高速道路を通って会社に戻るのがちょうど5時前後になる。つまり終業時間と、ワンマン社長が疲れて戻ってくる時間が重なるのだ。そこで4時半すぎになると、社員たちが恐慌をきたすことになる。
社長が帰れば、「積み荷をおろせ」となる。ぼくは社員ではなく、同業者としてその会社の仕事を手伝いながら場所を貸してもらっている立場なので、一向にかまわなかった。どのみち社長が持ち帰るモツを売ってもらわなければ配達に出られないので、時間は関係ない。積み荷おろしはぼくの方は大歓迎で、降ろしている間にいいモツを自分用に確保することができる。しかし社員たちは積み荷おろしをなんとしても避けたかった。おろす作業の間に、社長が思いついた他の仕事も言いつけられるなどということもしょっちゅうあったからだ。いったん捉まれば、だらだらと帰り時間が延びてしまうのだ。
それで彼らは4時半をすぎた頃になると、何時くらいに社長が帰り着くかさぐるためにぼくに電話をかけさせる。5時を少しすぎるようであれば、とにかく猛スピードで仕事を終わらせて5時ジャストに職場を出られるようにする。5時前に着くようであれば、直帰の配達仕事を見つけたり、居残り(生贄)社員の人選をしたりする。
笑ってはいけないが、電話をかけてくれと言ってくる社員の顔がとてもおかしかった。媚びるような感じで、「砥城さぁん、また社長にたのむよぉ」とすり寄ってくるのだ。
ぼくはいつもそれを受けた。彼らに貸しを作ることで、こちらの得になるからだ。たとえば、ぼくは屠場からチレという特殊部位を持ってきてもらっていた。これにはアミ脂が付いていて、モツを入れるサンテナにびっしり絡まってしまう。チレはぼくしか使わないので、社員たちには邪魔だった。しかしこういった借りがあると、そういったものも丁寧に扱わざるを得なくなる。
当然ながら、社員が電話をかけるわけにはいかない。やぶへびになってしまうからだ。「5時半くらいに着くから、残って○○をやっとけ。で、帰ったら積み荷をおろせ」などと言いつけられてしまうからだ。
社長の勝手な一言になど逆らったらいいじゃないか。そう思う人も多いだろうが、なかなかそんなわけにはいかない。ワンマン社長は意に沿わない動きをする社員には、すぐさま「辞めろ」だ。高齢で他に行き場がない社員は、だから従わざるを得ない。
そんな勝手気ままな社長だから、携帯電話の電源が切れていることも時折あった。繋がらないと社員に伝えると、まるでぼくが悪者のような目で見られるのだ。「もう繋がってるかもしれないから、またかけてよ」と、5分おきに言われたりして、この手間には参った。少なくとも社長Aの会社の社員より、個人事業主のぼくの方が数段忙しかったのだ。
それにしても帰る直前の人たちに、よくも仕事を言いつけられるなぁと不思議だった。バッカヤロウと社員が不貞腐れるに決まっているじゃないか、と。これってどう考えても、やる気を削ぐためにやっているとしか思えないのだ。実際、社長Aが急遽仕事を言いつけて終業時間がすぎたときの職場の雰囲気はすごいものだった。
この、社員のタイムテーブルも考えずに仕事を言いつけることにリンクしているだろうが、この社長Aはなにかというと、「やつら(社員)を働かせてやってる」と言っていた。この言葉と考えも、(おそらく社長Aが望んでいた)会社を迅速かつ的確につぶすということに、おおいに役立っていたはずだ。
駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。