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「気のせい」と流す生き方

(マガジン『赤の他人の食事を作ってる』その6)
 
 
 朝、Hさんから電話が入る。書き物で集中しているぼくは、それを無視。
 すると今度はLINEが入り、電話に出てくれと言う。
 
 そうまでされては仕方ないので、こちらからかける。
 
「おはようございます。なんでございましょう?」
 
 バカ丁寧な言い方に、迷惑だという意味合いを含ませる。
 
 しかしHさんの要件は、急いでることを頷かせるものだった。下腹に違和感があったり、足がむくんでいたり、いくつか気になる症状があるので病院に行きたいという。それで、ぼくが以前に行ったことのある病院のことを聞きたいという。
 
 そういうことなら、連絡をくれと言うことも頷ける。まぁできればその旨をLINEに記載してほしかった。それならぼくも、からかい口調であいさつしたことを悔いないで済んだというものだ。
 
 ぼくの行ったことある病院には、成人病外来があった。それで聞きたいという。話をじっくり聞いてくれるいい先生だからと教え、ぼくは電話を切った。
 
 今までの「かかりつけ」に向かわなかったということは、ぼくの先日の説明が効いたのかもしれない。医者は真剣に危機感を訴えないですよ、という。これはこのマガジンのその2で書いたことだ。

 かかりつけの医者に行っても、それまでと同じように軽くあしらわれると思ったのだろう。それで、目先を変えてみようと思ったらしかった。
 
 
 ぼくは午後、夕方近くに連絡を入れた。すると、「病院に行って問診して、さほどでもないと言われたので安心した!」と、笑顔マークとともに返信があった。
 えっ、問診だけ!? 尿検査も血液検査もしなかったの?
 ぼくはビックリしたが、あまりきつい言葉は逆効果だ。「問診だけではちょっと不十分ではないでしょうか。大丈夫でしょうか?」と、やんわり返信した。すると、「大丈夫と思います。朝は気にしすぎたということもあるかもしれません」と返ってきた。笑顔マークと一緒に。
 
 朝、気になる症状を聞いたとき、パッと「ネフローゼ」と思った。Hさんに聞いたが、問診ではその言葉は出なかったという。うーん、大丈夫なのか。
 
 病院に言った結果では、食事を変えなければならない。ゆるやかに、濃い味から薄味にという余裕などないのかもしれないと思ったのだ。しかし、結果からいえば、その心配はないという。
 
 気のせいかぁ。正直、そう思えちゃう人は、幸せなのかもしれない。土壇場まで気楽にすごせるのだから。しかし反面、気のせいと流せばセーブがかからず、土壇場を引き寄せやすくする。
 どんなに寿命を引き延ばしたところで100年が200年300年になることもなく、僅かなものだから思い悩むだけ損という考え方もある。どちらがいいのだろう。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。