新聞のこれからについて、4年目記者が考えてみた

新聞には二つの課題がある。ひとつは、デジタルを含め、記事が読まれていないこと(無料の速報記事などはのぞく)。もうひとつは、会社組織としてお金を稼ぐことができずに、崩壊しつつあること。

たとえば朝日新聞には600万以上の購読者がいる。それなのに、なぜ「読まれていない」なんて事態が生じうるのか。そこから考えないといけない。

つまるところ、記事の書き方に問題があるんじゃないか、と思う。客観的という、一個人がものを書く行為とは相反するものを追求し続けて、平坦な文章ばかりになってしまったのだと。だからコンテンツとして単純に読みづらいし、「スッ」と入ってこない。結果的に、新聞紙でも、デジタルでも、平坦で事足りてしまうストレートニュースしか読まれなくなってしまう。

そこに重なるように、会社としての崩壊が始まる。これ以上、紙の購読者が少なくなれば、とてもお高い給与体系は維持ができなくなり、社員数も必然として減少に転ずる。そうするとインセンティブが減り、クオリティを担保することができなくなる(かもしれない)。高齢化も相まって購読者はどんどん減り、もはやビジネスモデルは成立しなくなる。文字通りの悪循環だ。

でも、新聞が担ってきたジャーナリズムは絶対になくてはならないもの。どうにかして、コンテンツを維持しないと行けない。ではどうしたら良いのか。

まず、記者が独りよがりになっている現状を変えるべきだ。上から目線でのっぺりとした記事ではなく、棘があったり雑味があっても良いから、読んでて親しみがいのある記事を書くということ。

組織としては、働く人と働かない人の差が開き続ける「アリとキリギリス」の状態を脱すべく、人員および経費面の無駄をカットし、紙にある程度の見切りをつけて、それで稼ぐことを諦めないといけない。デジタル月3千円みたいな価格も一新して、より廉価に、よりユーザーの選択肢を増やす価格設定に踏み切らないと。

もちろん、それで良いのかと言われても、そもそも読まれないことには、コンテンツなんか無価値になってしまうのだから、仕方がない。紙を見切る以上、それだけで会社をまわす分の膨大なお金を得るなんて、夢物語だとも思うのだけれども。

けっきょく、新聞が抱えている課題を解決するには、より良いコンテンツを作って、より良い方法でオーディエンスに届けること。そして、コンテンツとは別の稼ぎ口を見つけること、の他にない。どれも完璧には解決できないだろうから、ジャーナリズムの担い手として、まずコンテンツを届けることに注力すべきなのだ。

新聞がコンテンツの届け方に真摯に向き合うためには、「(業界内視点で)良い記事を社会面トップに書いた」「特ダネ(ただし読者にはどこがスクープなのか伝わらない)を一面に書いた」ことを「読まれる」ことと錯覚している、記者の「ドヤ顔マインド」を直さないといけない。

社会面がどこなのか知らない人が多くを占めている(と僕は感じている)のに、新聞記者しかわからない杓子定規でニュースバリューを語り、読者にまったく伝わらない専門用語と説明不足に塗れた記事を良しとしている時点で、コンテンツをオーディエンスに届けようなんて視点が育つはずもない。

だからもう。まずは、紙を捨てよ旅に出よ、と僕は思う。自戒の念も込め、そんな風に考えた。

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