友達になる必要性と協調性
昨日のつぶやきについて、モヤモヤがあまり解消されなかったのでnoteにしてみる
さて、協調性を保つために友達になる必要はあるのか?
定義
そもそも協調性、友達や仲間はどういう意味なのか?
言葉の定義を調べ、これを基準に考えてみる
協調性とは
友達とは
仲間とは
協調性が必要な場面
大人の人間が協調性を最も必要とする場面、それは仕事をする時だ
定義から見て、すぐに思いつく関係は「店員さんとお客さん」だろう
商品を陳列から会計、その他にも気持ちよく利用してもらうサービスを提供するのが店員さん
お客さんがこれにお礼を申し上げるだけでも、思いやりがあると言えるだろう
これはサービス業に対してのことだ
私の仕事は、連携が必要になる業務だ
まず、チームとして一緒の物事に取り組むので仲間同士だと言える
心を許しあえなくとも、仕事を遂行しなければ後々が詰まって困ることになってしまう
連携をとる場合、相手を思いやる・協力的な態度になることが必須となってくる
ここで協調性が欠ける行動とはなんだろう?
働く工程が違えど、同じチームとして属しているわけだから、かたや手が空いたら一緒の物事に取り組まなければならない
同じことをしなくとも、手助けするだけでいいのだ
同情的・協力的に行動に移せないのであれば、協調性がないと思うメンバーも出てくるだろう
取り組む業務が一緒であれば、お互いに心を許しあえる関係にもなっていくだろう
同じ仕事をする仲間でありはするけれども、業務場所が少しでも隣どおしだと、心を許したわけではない状態が続く
そんななかで協調性のない態度でいる仲間がいるとカチンと来てしまう人もいる
メリハリがなく、私語が多くはしゃいでいる
そんな声を真剣に業務に取り組んでいるときに聞くと、どんなに温厚な人でも思うところのひとつやふたつは出てくる
怒りっぽい人や口が出てしまう人がいたら、辛い言葉を言われてしまうこともあるだろう
そのラインまできてしまったら、もうしょうがないと言える
友達になる必要性はあるのか
思いやりや協力的な気持ちを持って、一緒の物事に取り組む
逆に言えば、仕事はこれだけの面持ちを持っていれば問題はなく、一定以上好きになってもらえないが嫌いにもなってもらえないという関係性がお互いにできる
友達になる、親身になる必要は少しもない
心を許しあえなくても一緒に遊びに出かけたりしなくても、思いやりの気持ちや同情や協力する気持ちを持って取り組めば、仕事の仲間として自分が成り立つのだ
こちらがなんか嫌だなと思ってしまうと行動に移せなくなってしまうし、相手にも気づかれて険悪な雰囲気になってしまう
相手が一方的に私のことを嫌だなと思った場合、相手側に問題があることの方が多い
好きでもない相手に嫌われることは、その人に割く時間が減ったりするなど、自分にとってメリットしかないのだ
私のいまの仕事に対する心持ち
今の環境では、前職までのように「友達を作ろう!」と思わないようにしている
私は素直に思ったことを、口から言ってしまう
それが相手を傷つけることになってしまうなんてことも考えていない
お互いに心を許しあっていたら、どうだろう
やはり、一気に嫌いになってしまうだろう
思いやりの気持ちも持てなくなってしまうだろう
職場の仲間ではあるが、友達でいる必要性は感じない
世代も考え方も違うのだから、親身になればなるほど何かあった時に亀裂が入りやすくなる
その状態では、同情や協力などもままならないだろう
私は私の生活をするために、今の仕事をしている
仲間とは雰囲気よく仕事をしたいので、無理のない範囲で、限られた時間でやれることをやる
それは誰かの手助けになっていると信じて
こうして、いただけるものが給料だと感じている
最後に
20代の時に蓄えた経験が、今になって「仕事とは何か」を感覚的に知らせてくれている
それまでに分からないことだらけで、たくさんの人に迷惑をかけ、不快にさせただろう
申し訳ない気持ちを自覚して今に至っている
ふざけてはしゃぐのは高校生まで
今の環境では、今までの困難が嘘だと思うほど自分の力を発揮し、経験を生かすことができている
自信に満ち溢れている
だから、今の仕事は人の入れ替わりがあって環境が変わっても長く続けたいと強く思う
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