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【自己紹介】鬱病の私が前を向き始めるまで

はじめましてるんるです

文章で自分を表現することって今までなかなかなくて、拙い文章になってしまうと思いますが読んでいただけると嬉しいです

まず自己紹介ですが、私は今21歳(今年22歳)の女で、大学で薬学の勉強をしています。2年生を2回やっているので、現時点で大学3年生です。

鬱病になってしまった原因としては、中学受験のストレス、中学受験の失敗、中学でのいじめ、家庭内での不和、大学受験など、色々な要因が重なっていると思います。

そもそも、学校という場が自分には合っていなかったんだろうなって今になって思います。
我慢し続けていたけど、逃げることも必要だったんだなって、今なら分かります。

保育園、小学校くらいまでの私は、明るくて人を笑わせることの大好きな、優等生でした。早熟で、頭がそこそこよかった私は、親に大きな期待をかけられていました。11個程の習い事(バレエ、習字、水泳、そろばん、サッカーetc…)と、塾に通う、とても多忙な生活を送っていました。忙しかったけれど、毎日が充実していて楽しく、幸せでした。

小学校5年生の頃、あることがきっかけで、仲良しグループから無視をされることになりました。その子たちが私の悪い噂をクラス中に広げ、私は居場所がなくなりました。無視は1年半続き、私は初めてぼっちを経験しました。

同時期に、クラスで無視されているという噂が通っている塾の友達の耳にも入り、(塾と学校の共通の友達から)塾でも虐められるようになりました。

その頃プライドが高く、もともと友達の多い優等生をしていた私の心は、大きなダメージを受けていました。しかし、親には悟られないように、友達が多く、優等生の私を演じていました。

小学校6年生のときは、塾を3つ掛け持ちしていて、勉強合宿には必ず参加し、全ての休みを勉強に費やしていたのですが、ストレスのせいか勉強に集中できないようになり、成績はどんどん下がり、ついには受験した学校のほとんどに落ちてしまいました。

母は多額のお金と時間を費やした娘の中学受験失敗のストレスでノイローゼになり、私への態度も一変して、きつく当たられるようになりました。親子の中はどんどん悪くなり、喧嘩が増えました。

他人の感情に敏感で、繊細な私は、喧嘩がとても苦手です。些細なことを他人に指摘されただけでも、泣きそうになってしまうのですが、母親の前ではほとんど泣いたことがありません。母親に対してだけ、とても大きなプライドがあります。母親以外に対してのプライドはほぼ0なんですけどね。。親にはよく、「お前は楽観的すぎる」「お前は何も考えていない」と言われますが、そういう側面しか見せていないからだよって言いたいです。

結局私立の中高一貫校(第5志望)に行きました。中高も色々あったのですが、ここでは割愛させていただきます。今度書きます。

そして、高2のとき、鬱病であると診断されました。親には病院に行きたいことも行くことも言えず、知られたくもなかったので、保険証を使わず、自費で行きました。扶養に入っているので、保険証を使うとバレてしまうんです。。自費で行けるところを探すのは大変でした。

そのころには、ストレスで身体中がおかしくなっていたし、自傷行為も止められなかったです。中学生のころから毎日希死念慮がありましたし、つらかったです。でも、家では充実している優等生を演じていました。家族には、絶対に悟られないようにしていました。歳の近い妹と歳の離れている弟がいるのですが、その2人の前でも、強いお姉ちゃんを演じていました。学校に行くのがどんなにつらくても、言い出すことは絶対に無理でした。

なんとか大学生になり、寮生活をする機会がありました。しかし、そこでも人間関係が上手くいかず、そこで初めて自殺未遂をしてしまいます。精神科で入院を経験しました。親には、「教科が多い試験から逃れたかっただけ、死ぬとか考えたこともない」と説明したのですが、「いつも楽なことしか考えてないもんね、入院費は自腹でよろしくね」と言われてしまいました。

そこからまた色々あり、大学3年生になりました。

今はそこそこ平和に暮らしています。毎日の希死念慮はありますが、頻度も減り、生活はしやすいです。家族と離れて暮らしていることが平和に暮らせている要因なのかなと思います。4年間飲んでいた抗うつ薬は、2週間前に0になりました。今は睡眠薬だけ飲んでいます。

こんな長い拙い文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。省略した分は、後々また記事にするかもです。

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