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身近に癒しをもらう

夏が終わったというのは暦上のことで昨日今日は結構暑かった。。

今日、夫と朝始業前に近所のカフェで朝ごはんを食べた。何かちょっと贅沢して気分を変えたくて、ケーキ、クッキー、バニララテという朝8時からよう食べるなという量を注文。

前日ちょっとしたことで口喧嘩をして、発端になったことについて私の立場で思っていたことを夫へぽつぽつと話していたら、どどどどどって涙が出てきた。後ろのおじさん、私たちの会話は言語がちゃんぽんなので内容は分からなかったとは思うけど、何があったんだと気になってたと思うわ。

自分でもこりゃ理不尽だなと思う怒り方をすることがたまにあるのだけど、怒ることで悲しさとか寂しさとか傷つけた感情を隠そうとしていたんだなと気づく。まだ未熟で、ただ怒りに任せてしまうことがあるけど、それを押し殺さず、かといって自分や相手を責めずに、その根っこを見つめようとするシフトがこれでも少し早くなってきた、、と思う。それに付き合わせてる夫には頭があがらないのだけども。

そんなカオスな現場に、地元に住む友人であり姉のような存在の人が絶妙なタイミングで通りすがって、朝から泣き顔でぐちゃぐちゃの自分に声をかけてくれて、なんと救われたことか。しばらく話していたら自分のなかにあったなにかもどっかに行ってしまった。

その日は仕事でも、少し時間を見つけて同僚とオンラインで仕事の共有という名の少しおしゃべりしたらすっかり気分は晴れた。

どうってことのない日々なのだけど、どこか自分のなかに感じていた不足感が解消されて、いまある身の回りの人やことに救われて、癒された日々でした。

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