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遊び

我が家の教育方針は、学校の勉強より、遊びが優先であった。

家族で遊びに出かけるときは、平気で学校を休ませた。

ゲームなどの遊興ではない。ショッピングモールにある娯楽でもない。

身体と頭と心をフル回転しないと遊べない、自然遊びだ。




家族でアウトドアをすると、子どもの心身の成長は著しい。

ましてや、仲間と何家族も連れだって遊んだ日には、どんでもない相乗効果を発揮する。お金をかけて子どもだけサマーキャンプなどへ行かせるのなら、仲間家族総出で大遊びするといい。きっと、家族全員の大きな宝物になるだけでなく、子どもの大きな成長も期待できる。




我が家は、よく友人家族を誘ってアウトドアへ出かける。

その際、親である友人には約束してもらうことが2つある。

ひとつ目は、この遊びのあいだ決して子どもに指図や先回りした注意などをしないこと。そしてふたつ目は、決して目を離さないことである。

つまり、ナニをしても命や身体に重大な危険が生じないと判断される限り、子どもの行動に手や口を出すなということだ。そして、見守るという最も重大なコトをサボるなということだ。これは実は、親にとってかなりハードルの高い要求だ。




最初、友人は約束を守れない。ああでもないこうでもない、ああしたほうがいい、こうしないと危ない、などとつい子どもの行動に口を挟む。そのたびにサインを送ると、あ、と気づいてスゴスゴ引き下がってくれるのだった。

先回りした注意は、子どもの失敗する体験を奪ってしまう。そして自ら解決しようとする意識をも奪い、創造性のある豊かな遊びが台無しになるのである。




自然のなかで遊ぶことがなにより大事なのは、一方的に与えられるモノが何もないからだ。

SNS、TV、ゲーム、学校、宿題、塾、試験。

今、子どもたちを取り巻くものは、すべて一方的に与えられるモノばかりだ。必ず正解があり、正解するためのマニュアルがある。それを、ただこなしているのが実態だろう。小さな枠の中でこなすのが上手いと「頭がいい」「成績がいい」「優秀」とされる。




それでは人の身体の成長もこころ成長も望めない。

海、川、山、森、土、雲、風、太陽、虫、鳥。ひとつとして同じものがない自然を全身で感じながら、五感を磨き自ら働きかけ遊びを創ってゆく能力が、本来子どもには備わっている。自然の中に身をおき、安全な環境を整え万が一の為の装備と準備を整えたら、大人はもう、子どもたちの邪魔をせず、ひたすら見守っていればいい。もちろん、口を挟まず指図せず先回りせずにいられるのなら、共に遊んでもいい。更に自らの未経験を子どもと共有できるのなら、想像を超えた親子の素晴らしい体験となるだろう。

子どもを見守るには忍耐がいる。子どもの話を聴くにも忍の一文字だ。だが、それこそが親を成熟させ、本物の大人へと導く絶好のチャンスなのだ。




これからの時代、子どもたちは、答えのない正解のない問題に立ち向かわなければならない。ぼくたち親に出来る事は、愛情たっぷりに接し心を満たす事で恐れを打倒し、創造性と勇気を解き放つ手助けをすることだけだ。




未来は、子どもたちの手にあるのだから。

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