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ロンドンで20歳の頃の気持ちを思い出している

ぼくが今の人格を形成したのは大学時代を過ごした神戸の4年間が最も大きいと思っている。淡路島という田舎からでてきたぼくにとって、大阪や東京より規模ははるかに小さいけれど、そのサイズ感がちょうどよかった。ゆっくりいろんなことを深く知ることができたと思う。

20歳のころのぼくは、ほかの同じ年代の人たちがおそらくそうであるように、メンズノンノやカジカジに目を通して、旧居留地の建物を眺めながら古着屋を巡っていた。神戸にも、昼間から遊んでくれる普段何をやっているのかさっぱりわからないヘンな大人がそこそこいて、そういう人たちはいわゆるバイヤーと呼ばれる人たちだったんだけど、彼らの話を聞くうち、将来はそんなふうに定期的にNYやロンドン、ミラノなんかに買い付けにいって、仕入れたものを日本で売る、みたいなことをやりたいなと思っていた。古着屋とかアンティークの雑貨屋みたいなことをやるのも悪くないなと思っていた。

当時のぼくは海外を旅をする理由を、旅を続ける理由を求めていた。

ロンドンの街を歩いていてふとそんなことを思い出した。

神戸の旧居留地は19世紀にイギリス人技師が設計したもので、いわばロンドンはそのオリジナルなわけで、ヨーロッパの他の街では感じなかったぼくの懐かしさに似た感情はそこからきているのかもしれない。そういえば、神戸もインド系や東欧系、中東系住民が狭い範囲に多くいたように思う。

北欧を訪れるなら、アンティークの家具の仕入れだろうなとかいろいろ考えていたのだけど、ECサイトで服を買う人が多くなって、リアル店舗の必要性が希薄になりはじめ、ぼくが愛した海岸通りやトアウエストも店じまいするところが目立ち、懇意にしていた古着屋のオーナーも店舗を辞めて通販に専念してからは、ぼくの足も遠のき、それとともにそういう夢もみなくなってしまっていた。

ほんとは、それらに加えて、あのへんに店を出している若い人たちのいくらかは実家が太くて開業資金から何からお金を全部だしてもらってるというのを知って「なんだ儲からないのか」と思ったのもある。

懐かしい。

あの頃も、世界のいろんなものを見たいし知りたいと思っていたし、海外にも住んでみたいと思っていたけれど、まさか10年後にセントビンセントなんていう誰も知らない国で生活するなんて想像もしてなかった。

セントビンセントですっかり消耗してしまっていたけれど、任国外旅行にロンドンを選んだのは正解だった。

原点に立ち返るではないけれど、かつて大事にしていて今すっかり忘れてしまっていたものを順番にすくい上げているような、くたびれた身体が癒されていくような、温かいものを感じている。

たぶんこれは日本に一時帰国やNYでは感じることができなかったことだろうと思う。

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