見出し画像

私は神の声を聞いたことがあるの。だから進化論は信じない

土曜日の夜に今シーズン1発目のハリケーンがセントビンセントの東の海で発生した。そのことについては、明日にでも書こうと思う。予定では月曜日の夜中から火曜日のお昼くらいにかけてセントビンセントを通過ということになっていた。

そんな月曜日の朝、ファビーナ(秘書)に実際どうなのよという話をした。ここ5年ほどこの国にハリケーンは上陸していないし、目立った被害もないようだけれど、ぼくたち外国人には数年前のドミニカでの被害がどうやったって頭をよぎる。

彼女はあっけらかんとしていて、「あら、あなたそんなこと気にしてるの?」という顔をして、なにも気にすることないわと言った。

降水量が増えれば川が氾濫する可能性があるからそれには気を付けないといけないけれど、暴風なんてほとんど縁がない。ただ数時間後には晴れてる。いつもより雨の時間が長い、それだけよ。

というようなことを言い、最後に「大丈夫、神様が守ってくれるわよ」と付け加えた。

ちょっとした遊び心で「ぼくは仏教徒だが大丈夫かな?君たちの神様は寛容だっけ?」と聞いた。

当然クリスチャンだと思っていた彼女は心底驚いていた。彼女にとってぼくは、彼女の人生で初めての仏教徒だったらしい。

ここで、少しバックグランドを共有しておくと、ファビーナはアメリカで生活してた経験がある。つまり、異文化に理解がある人かつスタンダードイングリッシュに近い英語を話す貴重な人物。

そしてこの国はバプティスト派やメソジスト派など細かな違いこそあるものの、キリスト教の国。基本的に信仰心も強いと思う。

そう思う理由は、以前8人を乗せたバン(乗り合いバス)が崖の下へ滑落した事故(死者はゼロ)があったんだけれど、その事故の新聞記事の見出しが「神が8人の命を救った!まさに奇跡!」というものだった。

おそらく日本だとこの事故は、よそ見運転としてドライバーが責められる案件。当然、ぼくも「なにを言ってるんだ、こいつは」と思っていたわけだけど、その事故という事実に対しての解釈の仕方のコントラストが面白い。どっちが良いとか悪いとかではなくて。

それほど宗教が普段の生活にも密接に入ってきてるんだなと感じていた中での、ファビーナの「神様が守ってくれるわよ」発言で、ぼくにとってちょうど良い機会わけだった。

意外にも、彼女が仏教という世界観に興味があるようで、ぼくが知っている範囲で仏教とはなにか、カルマ、いまは葬式(うちはたしか浄土真宗)くらいしか仏教を感じないなど(初詣は神道だよね?)をざっと話した。

ふーん、と言った後、彼女は「仏教では世界はどうやってできたと言ってるの?」と言った。

…知らない。地獄絵はいくらかは見てきたけれど、仏教的創世記は記憶にない。そんなものあったかと、か細い記憶の糸をたどり、バラモン教、ブッダ、阿頼耶識(あらやしき)、解脱、生きることは苦行…などいろいろ関連ワードをほじくりだして考えてみたけれど、それっぽいものが出てこない。そもそもぼくは一般的日本人だからよくわからない。仏教版聖書みたいなのも知らないし。

ということをごにょごにょ言ってると、「じゃあさ、人間はサルから進化してきたって信じてるんだ!神様がつくったんじゃなくて」と言った。

アメリカの一部の州では進化論を教えていないというのをいくつかの本や記事で読んだことがあったけれど、そういう教育を経てきた人に会ったのは初めてで、ちょっと面喰った。

進化論は残された化石や現生の生物から考えると、今のところ正しいとされているだけで、100%正しいわけではない。他の可能性を否定できない以上、それを信じたり追求することには意義があるけれど、神がこの世界を作り人間をつくったという神話は証拠に乏しく科学的ではなく信憑性に難があるように思う。

でもね、と彼女は言った。

私は神様の声を聞いたことがあるのよ。それって信じるに足ると思わない?3回、3回あるのよ。1回目は私が若いとき。どうしようもなく、人生に行き詰まっていて助けてくれる人もいなくて自分でもどうしてよいかわからなかった。あるとき、お祈りをしていたら何かが私にささやくの。私にはそれがすぐに神様だとわかった。だってね、神様の声は100%信じている人にしか聞こえないのよ。そして私は100%信じていた。助けも必要としていたの。それで、神様は聖書を開きなさいと言ったの。100ページとかそんな特定の箇所じゃない、てきとうなところをパッと開いたの。そしたら、偶然よ、ほんとに偶然。ハイライトがしてあって、私が欲しかった言葉があったの。

聖書には、短い教訓のような物語がいくつも描かれている。

何が言いたいかというと、彼女が受け取ったメッセージも特定のなにかではなく、抽象的な教訓だったわけでそれを彼女は好意的に解釈したというわけだ。嫌味な言い方になるけれど、昔、そういう占いの本が流行ったことがある。たしか、魔法の杖だったか。てきとうにページをめくっているのにその時欲しい言葉が書かれている!と話題になった。

とにかく、彼女はその聖書の言葉によって、背中を押され、考え方も変わったのだそうだ。

具体的にどんな転換があったかというと、神様を含む誰か他社に何かを求めて不平を言い続けるのではなく、まずは今自分が持っているものに感謝して、誰かに期待するのではなく自分が周りに何ができるかを考え行動するというふうにマインドを変えたのだそうだ。聖書にもそんなことをかかれていたらしい。そうやってマインドを変えれば世界は明るく見えるようになったそうで彼女の人生も好転し、まさにライフチェインジ・エクスペリエンスだったらしい。

2度目はそれから数年後。職場に彼女の自信を無くさせるタイプのマネジメントをするいやな上司がいたらしい。精神的に参ってしまってどうしようもなくなって、自身の神様の声を聞いた経験をその上司に話し、私には神様のご加護があるのと宣言したらしい。翌日、その上司の対応を180度変わっていて、すごく良い人になっていた。

まさに、神様が私のために働いてくれた結果だと思ったわ。だってただの偶然じゃ片付けられないもの。1回目は、神様は私に道を示しただけだった。けど、今回は私のために働いてくれた!これってすごいことだと思わない?日々のお祈りの成果よ。私の信仰を見てくれたのよ、きっと。

言いたいことはあったけれど、要するに今回は「神様の声を聞いた」ではなく、神の存在を感じたということだろう。

3回目は、息子ジェイに関すること。4~5年前のことなんだけどね、夢を見たの。何かが私に気を付けないと息子が死ぬと告げたの。私にはわかった。それが神様だと。けれど、どういうことなのか具体的にはわからなかったの。そしたら、しばらく経ったあとで、朝4時くらいにジェイが私のベッドにきてうずくまって泣くの。なだめて、また寝たんだけど、1時間くらいした後に、また来て泣くの。それで、なにかヘンだと感じてジェイに触れるとものすごく熱いの。高熱だったの。だから急いでお隣さん(車を持っている)を起こして病院に連れていってもらったの。何人か医者にたらい回しにされたあと、すぐ手術ということになった。親戚中に電話したわ。私にとっても手術なんて初めてことだったし、パニックだった。無事に、手術は成功したけど、そのお医者さんは「もう少し病院に連れてくるのが遅かったら、息子さんは命がなかった」と言ったの。ゾッとしたわ。神様が言ってたのはこのことだったのかって。

ね、すごいでしょ。1回なら気のせいだと思うかもしれない。けど、3回もあるのよ。これは信じるに足る理由になるでしょ。単なる偶然じゃない。

だから、私には人間がサルから進化してきたなんて到底信じられない。だって、考えてもみてよ、サルよ。あれがどうして人間になるのか想像もできないもの。サルはサルよ、そして人間はずっと人間なのよ。

ぼくは本人が幸せになれて周りに危害が加わらないのであれば、どんな宗教を信じていようと構わないというスタンスでいる。

ただ、自分とは異なる価値観であったり自分の知らない考え方や行動原理を持っている点に興味がある。

だから理解したいのだけど、スピリチュアルなことが心霊写真以来だからか、イケてるビジネスマンを気取ってきたからか、斜に構えてるからか、自己啓発だなとか、思い込みが強くバイアスかかってるだけでは?という疑念がどうしてもあって、少なくともそういう神秘的な経験をしていないぼくにとっては、ちょっとぼくもおこぼれに与りたいから祈ろうとか信仰に目覚めるとか、神の存在を感じるようにはならなかった。

正直なことを言うと、ハマる仕組みに興味があって、どういう要素があれば人は超常的なことを信じるようになるのかという側面から話を聞いていたから、神様が存在するか否かという点には全く興味がなかったからかもしれない。これじゃ、見えるものもみえないのだろう。

いずれにしろ、宗教の話をこんなふうに面と向かってする機会ってそうそうないことで貴重だったから、とても興味深かった。

だって、ぼくにとって神様とか宗教ってどうしようもなくなったときにすがる都合の良い存在で、人事を尽くして天命を待つというか、やることやって何もすることなくなったけど手持ち無沙汰で不安なときに、とりあえずお参りするかとか、別にしなくて良いけど、やってなくてダメだったら後悔するから仕方なくやる、みたいなニュアンスが強いほど、生活の中で薄まってしまってるんだもの。

サポートはいつでもだれでも大歓迎です! もっと勉強して、得た知識をどんどんシェアしたいと思います。