さいきん探検とか冒険する本を好んで読んでるんだけれど…
ぼくは音楽のように気分で読みたい本のジャンルが変わる。
どういうわけか、冒険とか探検系の本を最近よく読んでいる。紀行文ではない。成功するかどうかわからない、誰もやらないような、いろんな苦難にぶちあたるものを。
正直、なんでいまさら?と思わなくもない。こういうジャンルのものはバックパッカーを気取っていたころに散々読んだ気がするから。
例えば、音楽なら数年前東京でくすぶっていたとき、never young beachの「なんかさ」を良く聴いていた。
平気だよって 言い聞かせるけど
なんだか焦ってしまうのさ
他愛のない 君との話が
僕の心 締め付けていく
という歌詞に当時の自分の境遇を重ねていた。
裁量が多い今の環境だとそんな悠長なこと言ってる場合じゃないからすっかり聴かなくなってしまったけれど。
それで、本なら冒険とか探検ものはちょっとクスッとくるのを読んでた。アフリカにウナギを探しに行く珍道中の「アフリカにょろり旅」だとかはシリーズ全部読んだ。
せっかくバッタの研究にアフリカに来たのに肝心のバッタがいなくてキャリアが詰みかけたポスドクの本とか、
フィールドに調査に出向く鳥類学者のエッセイとか、
まあいろいろ読んだ。上記の2冊は特に爆笑した。
思うに、当時のぼくはエンターテインメントとして楽しむのはもちろん、何かしらの勇気が欲しかったのだと思う。
彼らの本を読むと、冷静にその状況をみると悲惨だ。だから書き方によってはかなり悲惨なエッセイになってもいたと思う。けれども、そうはなっていない。少なくとも振り返って筆をとったとき良き思いでとして記憶に取っている。その状況を楽んでいたように思う。
誰かをバカにするでなく、自分の体験を題材に人を笑わせることができる人というのは、自分を外からみることのできる人だとぼくは思う。自分の人生というストーリーの主人公でありながら観客にもなれる人だけができる高尚なことだと。
その視点というか発想がぼくにも欲しかったのだと思う、当時は。
じゃあ今回はなんだろうと考えていたんだけど、よくわからなかった。だってぼくはリゾート隊員で日々冒険をしているわけではないから。
それが最近ようやくわかった。歴史に名こそ残らなかったもの人類史にたしかに貢献した彼らの軌跡を自分に重ねているんだろうなと。
かつて、ノルウェーにはロアール・アムンセンという大探検家がいた。人類史上初めて南極点に到達した人物として知られている。
彼は北西航路は発見したことでも知られる。
北西航路とはカナダの北の群島と北極部分を縫ってベーリング海峡を船で抜けるルートのこと。
(NY-東京間の航路。赤線の北西航路は約14,000km、緑のパナマ運河経由で約18,200km)
上記リンクの赤線のルートが北西航路。発見されたのは100年以上も前だけれど現在も船で北極を抜けるのは唯一のルートとなっている。このルート以外の海路は浮氷や氷山が押し寄せるから航海が難しいらしい。
アムンセンの功績が素晴らしいのは間違いないけれど、彼が自力でこの航路を見つけたわけではない。彼が航海を開始した1903年には既にその海域の海図や地図の大半はそろっていて、どの海峡からなら抜けれそうかはだいたい予想できていたと言われている。
海図のない未知の世界に足を踏み入れ、複雑な地形のカナダ群島部のどこに海峡があるのかを探し、最終的にアムンセンの成功を導いたのは、19世紀、国策として調査していた英国海軍と、同じく英国の毛皮貿易会社の探検家たちだった。
この歴史に名は残らずに散っていった功労者が、ぼくのような草の根の活動家なんだろうなと思った。ぼくの活動は誰かぼくの後に続く人が大きな仕事をやってのけるためのトライ&エラーをやることなんだろうなと。
別に歴史に名を残したいとか大それたことを考えているわけじゃないけれど、PRとかマーケティングっていう専門的なことを途上国でやってる身として、基本的にぼくのやってることが理解されない(結果がでたときだけ評価される)のは、なかなかしんどいものがあるのだけど、「ぼくの到達点はここまで。じゃ、次は君が」ってバトンをつないでいくものなのかもなと。時間をまたぐチームプレイなのかもなと感じている。
ぼくが後進のためにできること。
いっぱい挑戦して、いっぱい失敗すること。しっかり記録すること。
好奇心に冒険心を添えてがんばろうと思う。
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