ロンドンの太郎さんは太郎さんだった
ロンドンには日本食屋がたくさんある。ほんとにたくさんある。
普通の日本食レストラン、回転寿司っぽい店や、Wasabiっていう寿司チェーン。Itsuという餃子屋チェーンでも巻きずしを置いてた。他にもラーメン屋が何件かあるし、焼肉屋もある(うまかった)。
良い。ロンドン良い。しっかり充電できる。
それで、ある日の夜、今日は晩御飯何を食べようかかとふらふらしてたら太郎Taroという日本食レストランが目の前に見えた。
街中で何度か見かけていたからロンドンに何店舗かあるのだろう。
そこそこお客さんが入っていたから悪くないのだろう。
ロンドンに来てから、Kintanの焼肉、Wasabiの寿司(お持ち帰り)と食べ、どうするラーメンも食べておくか、これ以上日本食食べたらセントビンセントに帰れなくなるんじゃないか、いやしかし…と思っていたのだけど、天丼的なものはほしいなと思ってTaroに入った。
まあ頼んだのは鶏丼なんだけど。ダブルで。うまい。焼肉のときも思ったけれどタレが良い。味噌とか醤油のあまだれが日本的で良い。
ちらし寿司とかラーメン、うどんもあった。
良い。ほんとに良い。おいしい。
にこにこしていたら、店員らしい小柄なおじさんが話しかけてきた。
どこから来たんですかという話になり、カリブ海のセントビンセントという辺境の島ですと答えた。
日本の都道府県を答えてくれるだろうと思っていただろう、そのおじさんはえらく驚いたけれど、そうですかとニコッと笑った。
「きっと、すごい田舎で何もないでしょう?私も昔、スコットランドでウェイターをやっていたんですがね、何もなくて。退屈でねぇ…。40年前の話ですが…」
少し長話をした。
はじめ、日本語が恋しいのかな、そんなにここじゃ日本人珍しいのか、しょっちゅう街中で日本語聞こえてくるんだけどと思っていたのだけど、たぶんぼくの境遇と彼の境遇に重なるところがあったんだろう。
いやぁ、大変ですよねぇと結ばれるまで、壁にかかっている白黒写真は実家なんですだとか稲作の話なんかもした。
こんなにホールで雑談できるってことは、ただの従業員ではなく創業家に近い人なんだろうなと思って、最後に「あの…不躾ですが、太郎さんですか」と尋ねた。
「えぇ、そうです。では、私はこれで。またどこかでお会いしましょう」そう言って、黒いウールのコートに身を包み彼は店を後にした。
しばらくしてアホな質問だったかもなと思った。
あのおじさんはおそらくオーナーさんなのだろう。だから、そういう意味で「えぇ、そうです」と答えたのだと思う。名前が太郎さんということではないのだろうと思う。40年前スコットランドでウェイターをやっていて、実家の農業の写真を店に飾っているというのは、きっと田舎の出身なのだろうけれど長男坊ではないなと思った。そのころの日本は、地方ならなおのこと保守的で、長男は家督を継ぐものとなっていたはずだ。
太郎さんは海外に出れているということは長男ではないのだろうなと思う。
だから、えぇそうですには、私が太郎のオーナーですという意味で、私の名前は太郎ですということではないんじゃないかと思う。あの人は太郎さんじゃないから太郎さんじゃないとかじゃなくて、あの人は太郎のオーナーだから通称太郎さんということになっているんじゃないかと思う。
太郎さんだから太郎さんでというわけでも、太郎さんじゃないから太郎さんじゃないということでもないと思う。
ひょっとしたら、あの人は太郎さんで、実家の長男で、いろんな人生のドラマの末にスコットランドでウェイターをやり、ロンドンで店を持つに至ったのかもしれない。
ロンドン、この街もいろんなドラマがあるんだなと思った。
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