見出し画像

マーケティング隊員は色々と勘違いされている

グラスに差し入れの霧島を注ぎ、空のミネラルウォーターのボトルから水滴をぽたぽたと垂らし、ぼやけた視界の中で指をつっこんでかき混ぜているところに、「あの、ブログ書いてますよね。私、派遣される前にブログ読んでいたんですよ」という声が聞こえた。

現役のセントルシア隊員が、ぼくのnoteを読んでいる。日々、悪態と泣き言を垂れ流しているぼくのnoteが身内ともとれる同地域内の隊員に読まれている。

誰かに読まれるのは構わない。むしろ多くの人に読んで欲しいわけだが、その誰かがぼくに近しい人、日常的に交流のある人なら少し抵抗を覚えてしまう。アンビバレンツな感情に苛まれる。

スパイムービーを愛し、PRやマーケティングという情報戦の真っ只中にいるぼくのような夢見心地の29歳独身男性にとって、自分は相手のことを知らないのに相手は自分のことを知っているという状況は、自分だけ不完全情報ゲームをやってるような気分になる。つまり極めて個人的問題として不利な戦いをしようとしているということになる。

友好的な笑顔で語りかけてくる女性に対し、警戒アラームがガンガン鳴っている。どうやらぼくの酔いはすっかり醒めてしまったらしい。

まあ知られて困ることなんて何も言ってないから構わないのだけど。

これはほんとに個人的な問題だけど、noteからぼくのことを知ってくれた、心のきれいなイノセントな人に対して、ぼくは彼らのイメージするYuki Oka像を演じないといけないんじゃないかと考えてしまうわけだ。なぜならぼくは彼らの夢を壊したくない。

まあそんな器用なことはできないから、すぐ化けの皮が剥がれるのだけど。

それで、1番印象的だったのは「マーケティング隊員なのにマーケティングできてなくて大変ですね」というやつ。これはほんとに良く言われる。なんだったらJICAの人にも言われる。それに味をしめているところもある、正直。

たぶん、マーケティングって華やかなものだと思ってるんだろうなあと思う。そう思ってる人が多いというのは、マーケティング職の人たちのマーケティングが功を奏してるんじゃないかと思う。

華やかな仕事もあるのかもしれないけれど、ぼくの知る限り、マーケティングは基本的に根回しと社内政治という仲間内の説得とか合意形成の時間が大半で、ものすごく地味で派手さとは無縁のことをコツコツやっていくもの。

たぶんみんなが思うマーケティングって、華やかなところって、最後の成果のところだったり、打率何割かででたヒットの理論というか、なぜヒットが打てたのか、どんな戦略で動いていたのかを自慢気に語る姿を見てるからだと思う。そこしか見てないとも思う。

当たり前だけど、その成果の裏には膨大な時間をかけた量のトライアンドエラーがある。自分が得意なツールが使えない、リソースがないとか条件はいろいろあるけれど、やりようはいろいろあるわけで、見方によってはいろいろんな経験をさせてもらっているわけで、自分の幅は広がっているとも思う。泣き言を言うのは変わらないけれど。

マーケティングも幅が広いから、ぼくもやったことないことは多い。それに、日本だと試作品を作ってテストするみたいなことは外部とかそういう部署に投げてたけれど、ここでは自分で試作品を作って自分でテストしてデータも取ってみたいなことをしないといけないから、それが大変だといえば大変だけれど、それがマーケティングじゃないかと言われれば、大枠ではマーケティングなわけで、マーケティングの仕事できてないわけじゃない。

のらりくらりと、自分の都合の良いようにやっている。

セントルシアの障害者協会に入ってるマーケティング隊員は事務員のような仕事で裁量がまったくないと言って嘆いていたけれど、それはかなりキツい環境だなぁと思うけれど、そういうのって要するに信頼関係の問題だと思うから小さなもので良いから彼らが喜ぶ成果を出せば、徐々に自分に権限が集まってくるんじゃないかと思う。

言うは易し行うは難しで、わかっちゃいるけど…なところなんだけど。

朦朧とする意識の中で、彼方から聞こえてくる声にうんうんと頷いてたことを、さっきコーヒーを流し込んでいるときにようやく消化できた。

サポートはいつでもだれでも大歓迎です! もっと勉強して、得た知識をどんどんシェアしたいと思います。