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この国は思ってたよりテレビの影響力が低い

先日のテレビの映像をウェブでアップした話の続き

これまでのカーニバルの宣伝とか通信会社の新サービスの告知方法から、この国で最も効果的に情報を行き渡らせるのは、練り歩き、テレビ、新聞の3つ。例えば練り歩きならば、それによってダウンタウンの(収入や、年齢、リテラシー関係なく)ランダムな人たちに情報が伝わる。それが新聞の記事になって、この国の主要な3つのメディア機能を持つもののうち2つを抑えることができる(稀に全部でテレビも取り上げ3つになる)。

で、ぼくは実際の影響力なんて正確なデータは持ってなかったので漠然とこれら3つにラジオを加えて、テレビ:練り歩き:ラジオ:新聞で3:3:2:2くらいのシェアなんだろうなと思っていた。ラジオはぼくが視覚障害者協会で働いてて、彼らがメインの情報源としているから、結構強めのバイアスがかかっているのかもしれないけれど。

で、びっくりするくらいテレビが放送されてからの反響がなくてビビったんだけど、それはそれでぼくはテレビの影響力が強い国から来ている人間だから無意識の内にテレビを過剰に評価していたんだろうなと今は思う。

テレビ局の人は「これでYukiも有名人だよ、みんながあなたの顔を知ることになるから」なんて言っていて、お世辞が過ぎるなあと思っていたんだけど、たぶんお世辞以上に視聴率なんていうデータを取ってないんだろうと思う。お世辞を差っ引いて、ぼくと相手の期待値を調整してもどうも腑に落ちないというか認識にズレがあるように思えたから。

たぶん、思ってるよりテレビ持ってる人が多くないのだと思う。持っていたとしても、たぶんそれはミドルクラスで、その所得レベルになるとWi-Fiもあったりして、するとテレビで観るのって衛星放送でアメリカのニュースだったり(セントルシアでホームステイしてるときはまさにこのパターン)、YouTubeやNetflixになるんだろうと思う。

うちの協会で総務をやってくれてるファビーナもテレビは観ないようだし。

しかも放送されたのが土曜日の午後5時なんていう時間だから、カリブの文化は知らないけれど日本人のぼくの感覚からすると、外食するかどうか時間なんじゃないかとか、これっていわゆるゴールデンタイムなわけだから、アメリカの面白い番組と競合するかもしれない。予算規模で勝ち目はなさそう。となれば、視聴者は多くないだろうなという予測がどうしたってできてしまう。

ま、反響が思ったよりなかったことによる後付けの理由だけれど。

でもやっぱり、特定の曜日の特定の時間にしか見ることができないコンテンツなんて今のストリーミングで、見たいときに見たいだけの世界と大きなギャップがある。間口が狭いぶん多くのチャンスを逃してしまっているようにみえる。

以前だったら、テレビと練り歩きを抑えれば、この国の6割の人にはリーチできただろうと推定していただろうけれど、現実はもっと少なくて、こんかいのテレビ番組だけという結果なら1割の人を抑えることができていれば万々歳ということじゃないかと思う。

これはシェアが低いからテレビは無視して良いというわけではなく、どんな手段を使っても届かない人 / 層が一定数いて、そればぼくの予測よりはるかに多いということだ。決して無視して良いわけではなく、それを利用して+αの施策が求めれることになる。

これがなんなのか、どうするのかっていうのは来年の課題。

今回、視覚障害者協会のFacebookページでシェアして思ったのは、再生回数が思っていたより多くて、多くの人に見てもらえてシェアもされたというのは、きちんと視聴者の心はつかめているし、コンテンツは良いということだ。

コンテンツが良いということは、あとはディストリビューション、つまりどう届けるかの問題だから、コンテンツ作りのやり方というか、視覚障害者の魅せ方は間違ってはいないということだ。

人口10万人の国で、ローカルコンテンツの再生回数が1Kを超えるというのは、人口1億人の日本で単純に換算すると100万再生だから、そう考えると結構なインパクト。しかも真面目な内容なやつだから結構自信になった。この国でもきちんとコンテンツを作れば観てもらえるんだ、話を聞いてもらえるんだと思った。

ちょっと浮かれそうになるけれど、たかだか1回ちょっと話題になっただけだし、再生回数はしょぼいし、人間って忘れっぽいものだから、定期的に話題になることを作らねばならない。

次どうやって世間の人の心を動かして、話題になるか、取材されるか、どれだけの人を巻き込むことができるかを考えねばならない。

取材されて、ぼくがやってることがちょっと報われて、ようやくぼくの取り組みの狙いが周りに理解され始めて、楽になるかと思ったけど全然楽にならない。

なにか変わるかなと思ってたけれど、普通に次の日も朝が来たんだもの。昨日までと何も変わらない普段通りの朝だったんだもの。

これはつまり、変わってはいけないし驕ってもいけないということだ。

さて、次はどうしようか。


コメント1 意訳:Yukiと彼の盲目の人々のチームのペーパークラフトの取り組みは彼ら自身をエンパワメントし、自分たちは働けるし生活レベルの向上を自分たちの手で期待できるというモチベーションにもなるものです。JICAとボランティアの取り組みに賛辞を送ります。

コメント2 意訳:これは本当に刺激的なことで、YUKIはシャイな気質を乗り越えて馴染みのない労働環境に適応しました。忍耐強く、この国で最も見放されてか弱いコミュニティで大きな仕事をしてくれました。これは彼らの才能とすばらしさをアピールする良い機会になります!

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