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実家に帰ってきたが、良くも悪くもなにも変わってない

この1年、ぼくなりに異国でがんばったつもりであるし、現地ではテレビにもでたし外国人だったからそれなりに有名人だったし、少しばかり成果もだしたし、JICAの世界日記に寄稿してるし、JICA発行のクロスロードにも少し寄稿した。

クロスロードは紙媒体なのでネットに疎い両親にもウケると思ったけれど、しょせんボランティアだし、そんなことはなかった。

両親が知らない国に行き、両親が経験したことのない「海外生活」というものをした。なにかあるかなと思ったけれど、なにもなかった。学生時代からいろんなところに行ったりしていたし、会社員になってからは海外出張にも行き始めていたから慣れてしまったのかもしれない。

別に何を言われたとか、何を言われなかったとかではない。

良くも悪くもいつもと変わらなかった。

神戸から帰省するときのように、東京から帰省するときのように、セントビンセントから退避してきても一言目はいつもと変わらず「遅かったね」。

別になにかを期待していたわけではない。いや、本当は何かを期待していたのかもしれない。褒められたかったのかもしれない、労いの言葉が欲しかったのかもしれない。

ぼくは頑張った。

現地にいると、協力隊コミュニティにいると、絶えず誰かがすごい成果をだしていて、うまくいってない自分はついつい言い訳を探しがちになる。環境が違うからって斜に構えて強がろうとする。毎晩のように聞こえる銃声も、撃たれて頭から血を流してる人の横を通って出勤したりする環境も、1ヵ月も住めばそれが普通になるし、隊員はみんな大小あれど日本よりは過酷な環境で生活してる。

だから、日本に帰ってくると、1人になると、ぼくはあんなところにいたんだと思えてくる。ちょっと信じられなく思えてくる。数日前の現実と、いまの現実がうまくつながらなくなってきて、なんだかすごいことをやってきたんじゃないか、当たり前じゃないことをやってきたんじゃないかと思えてくる。

本当はぜんぜん大したことないのに。

だから、実家に戻って両親のぼくに対する態度が良くも悪くもなにも変わっていないのは良いことだとぼくは思っている。ぼくは自惚れやすく、勘違いしやすいタイプだから。たぶん、なにかすごいことをぼくがやってのけても、彼らは「ふーん」で済ませるだろう。それで良い。

ぼくは偉くなりたいわけではないから。

両親に認められていないとか、認めて欲しいとかいう話でもない。

父はぼくのことを、彼が知らない言語を操り世界中に友達がいる様を誇らしく思っているし、彼の想像しえない人生を歩んでいくのを楽しんでいるようだし。周囲の人にそれとなく自慢しているらしく、ときおりぼくの耳に入ってくる。

母は母でぼくのことを心配しているけれど、なにより、ぼくがセントビンセントに向かって実家を発つとき、車中で「このへんもだいぶ廃校ばかりで空き家も目立つんやけど、Yukiならどう使う?」と聞いてきたのがすべてを表してるなと思う。ぼくはまだ一介の会社員辞めたての無職だけど、やりたいことの方向性は伝わってるようだから。協力隊の言葉ではコミュニティ開発、世間一般では地方創生とか、まちづくり。ヨソイキの言葉でローカルの経済開発。

この突然与えられた退避期間、今後の身の振り方も含めて頭を整理して、思索を深めようと思う。

ちなみに、両親がぼくのコーンロウに姿を見たときの一言目は「おい、まじかよ」だった。

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