俺、やっぱり英国大学院留学したいってよ
ぼくはずっと迷っていた。
そもそもぼくは青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)に来るつもりなんてなかった。もっと言うと、ぼくは2018年の4月までそれが自分に縁のあるものだとは思ってなかった。
大学生のとき、フィリピンのNPOに顔をだしていたとき、国際協力の仕事をするのも悪くないと思ったのだけど、いざ海外の大学院に進学となると、そのときのぼくの大学の成績は悲惨だった。失った単位はもう取り戻せないところまで来ていた。結局GPAは2.45とかそんなものだった。学歴もパッとしないし。国際協力の道は閉ざされてしまっているように見えた。
いろいろ、気づくのが遅すぎた。
学士のままでNPOという手もあったけれど、ぼくは自分も幸せになりたいので十分なお金は欲しい。となると、少なくとも当時は日系のNPO、NGOはしんどいように思えた。全然なにも調べていないけれど。
それに学士でも入れたとして、修士なしじゃ、その先のキャリアプランが見えなかった。国際協力と一言で言っても、どの分野で仕事するのかもわかってなかった。
しょせん、田舎出身でごくごく普通の家庭に生まれたぼくには縁のない世界だったかと、しょせん帰国子女とか、良家のボンボンのエリート様がやる仕事かと思った。
とかなんとか言いつつ、頭の片隅ではずっと国際協力の道を模索していたのだと思う。開発経済とか貧困とかそういう本を良く読んでいたし。
あるとき、JETRO開発スクールというのを知った。
社会人向けで、1年間開発を学んで、卒業後は原則海外の大学院に進学するというプログラムで、開発業界の人材を育成するものだった。
これだなと思った。
学歴も成績も低いぼくが、海外の大学院に行こうとするとそういう何かしらの後ろ盾が必要だと思っていた。なにかしらのコネクションが。
そして、そのJETRO開発スクールという後ろ盾は十分過ぎるほど強力に見えた。競争率も高そうになかった。
天啓だなと思った。
そして2018年3月。例年ならそろそろ募集要項がだされるというのになかなか出ていなかった。待ちきれなかったぼくは、会社の知財担当者の集まるセミナー中にメールで問い合わせた。
返事はすぐに帰ってきた。いまでも覚えている。
残念ながら予算が降りず今後開講できません、とあった。
なんと間の悪い男だろう、ぼくは。
チャンスの女神は前髪しかないというが、ほんとうだ。気づいたときにさっさとアプライしてれば去年滑りこめたかもしれない。
そのスクールに通うだけの、1年の無職に耐えうる家賃と生活費、その後の留学中の生活費などを考えたらお金を貯めないといけないとかヘンにお利口さんぶって計画的に云々としなければよかった。やはりぼくには縁がなかった世界だったのかと思った。
そしてそこそこにヘコみ、転職エージェントがヘッドハントの話を持ってきたのもあって、「そうだな、修士なんていう誰かに権威づけてもらわないといけないようなものに頼ってちゃだめだ、ぼくは市場で評価されてるんだから、ぼくを評価してくれる市場でがんばれば良いじゃないか」と考えた。
そのときに、念のために一応と思ってチェックしたのがJICA海外協力隊で、見事にマーケッティング職種というものがあり、ちょっとやってみるかと思って応募して現在にいたる。
この2年でぼくの経歴にも泊がついて大学院行けるかもなという思惑でいる。同時に、それってお金かかるし、無事修士取れたとして、有期雇用のポストの椅子取りゲームを一癖も二癖もあるコネもちやとびきり優秀な人たちとやらないといけないなんてめんどくさそうだから、馴染みの転職エージェントにインドかパキスタンあたりの案件紹介してもらって駐在するのも悪くないんじゃないかと思っている。
あるいは、台湾の援助エージェントたちと交流してて、国連組織も途上国勤務なら、住むところはは豪華でも、食べ物とか娯楽とかモノがなければ結局、いつまで経っても同じような生活スタイルなんじゃないかと思った。
それってぼくがサラリーマン生活をやってる中で気づいた、この会社でならぼくの地位は安泰だけれど何年後にはあれくらいの年収で、○○さんのポジションに収まって…みたいな先が見えてしまって、なんだか嫌になった気持ちとあんまり変わらないんじゃないかと思ってしまった。
海外の大学院とか、国連系とか言うのはカッコよいし、外面はとても良いけど、外面は食えない。いつまでも椅子取りゲームに勝てる気がしない。冷静に考えて。それだったら、東京で何年かごとに転職して新しいことやって年収も上げていった方がよほど楽しい。後者の方は、自分の今の値段を知っていて、どうやれば価格が上がるかもなんとなくわかっているからだと思う。前者はイメージできない分、ちょっと怖いのだと思う。家族を持ちたいと思っているから、ちょっと不安定そうに見える。
というところで、ぐるぐるしていたのだけど、今回ロンドンを旅行して心を決めた。イギリスの大学院にとりあえず挑戦する。GPAが低すぎて受け入れてくれない可能性が高いけど、挑戦したら納得できる。自分の人生に。挑戦したんだけどダメだったと笑って言える。
けどしなかったら、ぼくだってほんとはね…と40歳過ぎてもうだうだ言ってそう。若い人を捕まえて、昔話やなんでもないことを武勇伝のように語るおじさんになってそう。
大学院に行けたとして、国際協力の道に進まない、進めないかもしれないけれど、それでも良いかと思えた。ぼくはいろんなところに行ってみたいし住んでみたいと思ってるんだけど、それは別に国連じゃなくても国際協力の業界でなくてもできることだし、大学院に行くことで自分の価値も上がるだろうと当たり前のことに気づけた。
ロンドン スクール オブ エコノミクス(LSE)のキャンパスを見学して思った。できてもできなくても、なんとかなるかとヘンにポジティブになった。
思えば、ぼくは東京の会社員時代だって結構な若手だったけど夏休みは2週間もらってたし、全然なんの問題もなかったし、知財マネジャーだとか肩書はどんどん増えてた。
甘い考えかもしれないけれど、あのレベルの生活にはいつでも戻れると思うと挑戦するハードルはどっと下がるような気がする。
よし、とりあえずがんばって英語勉強する。
この国にいるだけじゃ英語力は下がることはあっても伸びることはないのは十分わかったから。
イギリスの大学院も調べなきゃ。
ぼくほんとになんにも知らないから。
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