さて今シーズン一発目のハリケーンが来たわけですが
以前から度々話題にしていたハリケーンが、現地時間の土曜日夜9時頃にバルバドスの東側の海で発生しました。
Tropical stormなので正確には熱帯低気圧ですが、発生したばかりなのでここから勢力を強めてやってくるわけです。
夜9時過ぎという遅い時間にもかかわらず、我々セントビンセントの全日本人(3人)のグループLINEは活気づきました。だって、対策を入念にやってきたんですもの。現地事務所がない我々セントビンセント隊員は国をまたいだセントルシア事務所の管轄ですが、そことの連絡手段は○○で、プランBが△、それでもだめなら◇◇。緊急時は、 Peace Corps(アメリカのボランティア団体。青年海外協力隊のモデルになった組織)のオペレーションで国外退避、国内避難等と行うことになっているわけです。
国内退避の場合は、5日ほど前から頑丈なホテルで滞在することになっています。我々邦人の安全はそうやって守られることになっているのです。それもこれも3年前のドミニカのハリケーンで隊員が被災して略奪が行われているような中で完全に孤立してしまったという反省からです。
安全対策会議から再三言われているわけです、「良いですか、みなさん。ここは途上国です。風速がたいしたことがないハリケーンでも、日本と違い建物が丈夫に作られているとは限りません。念には念を入れてください」とね。
バルバドスの気象台からの情報がアップデートされる度に、活発になるわけです。風速85㎞/hという予測数値がでました。
ビビりました。
ハリケーンってそんなにすごいのかと。これは国外退避レベルだと。JICAからの連絡はまだないけれど、遅くとも月曜日のフライトでセントルシアだと。(ハリケーン上陸予定は月曜日の夜中)
ドミニカがハリケーンからの復興がまだできておらず、青年海外協力隊の活動も再開されていない状況を考えると、これは我々も任期短縮だとみんなが思いました。
残りの任期を考えると、任地変更もあると。アフリカの英語圏かパプアニューギニアかもしれないと。
けどね、しばらくして冷静になってくるんです。
いくらなんでも、風速85㎞っておかしくないかと。だって日本ってmじゃないですか。1,000倍ってありえへんでしょと。地上のすべてのものを吹き飛ばしてしまうわと。
で、冷静に日本の表記をみると、m/sなんですね。つまり、秒速〇mですよという表記。なので、この85km/hは時速なので、割ってあげないといけないわけです。それで、換算すると、約24m/sなわけです。
あ、全然たいしたことないなと安心しました。
だから、表記もハリケーンじゃなくて熱帯低気圧なんだと。
でもまあ、とにかくね、ここから勢力が拡大すると言ってるわけですから、任期短縮はなくとも避難は間違いないと我々の中での共通認識としてできました。
するとね、気分は遠足みたいになってくるんです。
明日台風で学校休みなることを期待する小学生の気分ですね。
それで、翌日、日曜日、お昼前に連絡網がまわってきました。
お、と思うわけです。
この時間ということは明日(月曜日)のフライトでセントルシアに退避かと。来週いっぱいくらいは休みかと。NETFLIXが捗りますなと。
でも現実は、厳しかったですね。お達しは「とりあえず待機」。様子を見るというやつ。日曜日午前時点の最新の予報ではセントルシアとドミニカの間にあるマルティニークを通過するルートだったんですね。
なので、とりあえず3日分の食糧と水を確保して、電話等充電をしっかりしておいて停電に備えていつでも連絡とれるようにしておいてください、というものでした。
極めて妥当。どうやら我々は「休み、たぶん連休!やった!」という強いバイアスがかかっていたようですね。客観的な予測に主観的な希望を多く盛り込んでいたようです。
それでもね、セントビンセントの災害対策チームが発足して午後7時から会議を行いますとかいうニュースが流れてきたり、バルバドスではなく、アメリカのナショナルハリケーン・センターの最新の情報ではセントルシアとセントビンセントの間を通過するというふうになっていたわけです。1時間おきくらいに頻繁に情報がアップデートされるし言葉遣いも公式だからなのかわかりませんが、仰々しく(我々には感じ)これは大変なことになるぞという予感をさせるのです。
これはもう期待するしかない(おそらくホテル退避だと)と思って月曜日を迎えました。
心なしか、町に人が多いような気がしました。
職場の人たちもハリケーン来てるからね、でもそれがどんなもんかって来てみないとわからないからねー、と煮え切らない話をしています。
でも、なんとなくたいしたことはないというような雰囲気でした。
結局、政府のお達しで仕事は4時まで、スーパーも6時で閉めてハリケーンに備えるということになりました。
ぼくの職場はもう少し早く、お昼で引き上げて火曜日は休みになりました。
スーパーに行くと、週末かのような人だかりでクラッカーがバンバン売れて、バンバン棚に補充されていました。
これは何かというと、停電すると冷蔵庫もダメになる。するとパンも日持ちしないからダメで日持ちする食べ物としてクラッカーというのがこの国の人たちの考え方なのだそうです。
そんなに長く停電するつもりなのかとゾッとしましたが、予報では火曜日の午後にはハリケーンは抜けるので停電も悪くても2日程度だろうと読み、ぼくは普段通り+αくらいの食糧を調達しました。
帰宅後、現地のセキュリティアドバイザーから「とにかく落ち着くんだ、過剰反応はしないように、きっとたいしたことはないから」というような電話とテキストをもらい、断水のアナウンスがシェアされたり、JICAから次の連絡があるまで自宅待機という連絡があり、いよいよハリケーンが来るんだという気運が高まってきました。
風速は29m/sに成長し、ルートはセントルシア直撃となっていました。
グーグルマップを開くとハリケーン情報も載っていました。
ぼく、夜中まで起きていたんです。12時頃になってもいつもと変わらない夜でした。
ぜんぜん雨が降りません。
それで、いつの間にか寝落ちして火曜日の朝、8時前にJICAからの安否確認の電話で目が覚めました。外は少し強めの雨が降っていました。
ほんとに何もなかったんです。強いて言えば、いつもより強めの雨の時間が長かったかな、くらい。
お昼過ぎに、JICAから自宅待機は解除されたものの、事前に今日は仕事は休みになっていたし、オフィシャルにもガバメントは翌水曜日までクローズ、空港も昼12時までクローズとなっているので、ぼくにとってはアディショナルな日曜日のようでした。
結局、このあたりはハリケーンとして勢力を強める前のものが通過していく地点なのでそれほど、我々が期待していた大きいなものが来ることは稀なのかもしれません。
そういえば、公式にはここ5年ほどハリケーンは来ていないそうです。
「いうて、今回のは熱帯低気圧でしょ?ハリケーンじゃないんでしょ?」
「いや、私はハリケーンだと思ってる。」
いろんな思惑を持った人の希望によって曇った目がハリケーンを生むのかもしれません。
冗談です、とにかく初回は大したことなくて良かったです。
ただその熱帯低気圧が過ぎ去ってから数時間後に1時間半くらい謎の停電がありました。冷凍のチキンがダメになりそうで怖かったです、はい。
だいたいの流れと、この国の人たちのハリケーンに対する反応とを知れたのでおもしろかったです。
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