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順風満帆な人生を送るはずだった人たちの人生再生の物語『ブルックリン・フォリークス』

ああ、本当に何という家族だろう。何と滅茶苦茶でぶざまな連中の寄せ集めか。人間の不完全さの、何と衝撃的な例たる一団か。娘に見放された父親。もう3年妹に会っていないし連絡も受けていない兄。家出して喋ることを拒む小さな女の子。

定期的に、小説を読みたくなるときがある。身も蓋もなかったり生き馬の目を抜く経済小説ではなくて。で、ポール・オースターの文庫ががでていたので、そしてかなり気になったので読み始めました。

内容はタイトルの通りです。人生再生とか家族再生の物語です。

これ、舞台は2000年前後で、原著が出版されたのも2005年とかだと思うんですが、LGBTとか隠居老人のセックスとか、民主党と共和党に分かれる都市部の人と地方の人の分断とかさりげなく、特に珍しいわけでもないふうに描かれていて、なんか今っぽいなと思いました。政治面を除けば、今の日本っぽい世界観だなと思いました。

ぼくのアメリカのイメージとしてはまだアメリカン・ドリーム(誰でもがんばれば成功できる!)があって、みんな前向きでポジティブでいることを暗に強要されてると思ってたりします(最近はその傾向はなくなりつつありますが…)。

そんな中で、本書の登場人物はある時点までは成功者です。

幼いころから優秀で奨学金を得て大学院で文学研究の博士課程に進むような将来を約束されたと言って良い青年や、美しい美貌持つ人、同じく整った顔立ちと美しい歌声を持つ女性、長年保険会社で勤めた後にブルックリンでアパートメントを買い隠居生活を送る男性。

不幸になりようがなかったり、人生の勝ち組のラインに乗ってると言って良い人たちです。順風満帆なはずだったんです。よっぽどのことがない限り。

けど、ふたを開けると、ちょっとツッコんでみると、博士課程で口頭試問もクリアしたけど論文が書けず、ドクターになれず退学しNYでタクシー運転手に落ちぶれていたり、ポルノや薬に溺れていたり、離婚していたり、娘と絶縁状態だったり…と全然幸せじゃないのです。

「一時しのぎ」がじわじわ「恒久的」になっていき、胸のどこかでは、このまま堕ちていく一方だとわかっていても、またどこかでは、ひょっとしたらこの仕事にもそれなりの効用があるのではという気持ちもあった。

ぼくは全然アメリカの文学に詳しいわけではないけれど、アメリカもこういう小説を書くようになったのかと思ったのです。こういう、仕事頑張ったけど報われませんでした、みたいなことって、経済成長が止まった日本みたいな希望のない人たちに響くものだと思っていて、アメリカはなんてったって世界1位の経済大国で、2005年あたりなんてまだまだアメリカンドリームの世界だったと思うんです。

もちろん、グレート・ギャツビーは金持ちの狂気とか渇望、お金だけじゃ幸せになれない的なことを描いていましたし、「ティファニーで朝食を」も華やかな社交界となにか欠けたイノセントさを持つ女性が描かれていましたが、語り手は何だかんだで裕福でうまくやってたりします。上流階級に腰掛けてました。

著者のポール・オースターの作品は、ガラスの街しか読んだことはありませんが、ガラスの街も悲壮感はないです。

登場人物みんな何かしら悲しみや悔恨の情を持ってるって、お前ほんまにアメリカか?と思うと同時に、これも現実か、強がるのもしんどいよなと思ったりもしました。

彼女には物語があるんです。物語のなかで生きる幸運、架空の世界で生きる幸運に恵まれた人にとって、この世界の苦しみは消滅します。物語が続くかぎり、現実はもはや存在しないんです。

たしかにアメリカでは結婚したカップルの40~50%は離婚すると言われていますし、幸福な家庭は物語にはなり得ないんですが、白人家庭、それも一般に裕福とされる都市部のリベラル側(民主党支持者)の人たちのダークサイドを描いているのは、グッときました。

「それがどうしたって言うんです?僕はたぶんこの食堂にいる誰よりも本を読んでいるけど、それで何の足しになりました?インテリなんてつまんないですよ、ネイサン。世界で一番退屈な連中です」

「そうかもしれない。でも彼女が君について真っ先に知りたがるのは、きっと君の星座だぜ。」

設定は悲壮感満載だし、見出す希望も宝くじの1等を狙うレベルの運に任せるしかない、自分たちだけの力ではどうしようもないんだ、今の人生は変わらない、というところに絶望とリアリティがあるんですが、物語全体の雰囲気としては温かいです。

それは主人公の老人が、なんとかこれまでの生き方を改めて、物事の良い面を見るように努めようと懸命になって、か細いつながりを大事に手繰り寄せようとしているからかもしれません。

そのあたりの、俺はやるぜ!ビッグになるんだ!おぉー!!U.S.A!!みたいな自ら人生の大きな流れを作ろうとするのではなく、目の前にある小さな幸せをしっかり認知して、それを大事に育むというのがね、アメリカ白人っぽくなくて、身も蓋もなくて、アメリカンドリームとか、フロンティア精神(開拓者精神)的なものをついぞアメリカもなくしたのかなと思いました。

良い読書体験でした。

離婚したカップルはたがいに寛容で親切だと世に言うが、そんなのは神話もいいところである。会話が終わったころには、いますぐブロンクスヴィル行きの列車に乗ってこの手でイーディスを絞め殺してやりたい気持ちが半分だった。残り半分は、唾を吐きたい気分だった。
生きているかぎりレイチェルの親であることは続くのだから、そのつながりのおかげで、恒久的な敵対状態に陥ったりはせずに済むだろうと考えていたのだ。だがもうその考えも捨てた。この電話の会話が最後だった。これ以後イーディスは、私にとってただの名前でしかなくなる―もはや存在しなくなった人物を表す、ちっぽけな5文字に。
私としてはいつだって、信心深いお人好しより手練手管の悪党を歓迎するね。いつもルールを守ってプレーするとは限らんかもしれんが、とにかくガッツはある。そしてガッツがある人間がいるかぎり、世の中まだ望みはあるのさ

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