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私たちの仕事はね、辞めない限り母国に帰ることはないんだよ

なんだか最近頻度がどんどん増えている、ICDF(台湾版JICA)のセントビンセントのボス、ジェリー家とのディナー。

ほんとは今日、昼過ぎからいっしょにパンを焼く予定だったのだけど急遽仕事が入ったとのことで餃子会になった。ぜっぶジェリーが用意してくれた。

ぼくは食べて飲んでニコニコする専門だった。

ジェリーは料理が上手い。抜群にうまい。

前回はメンマと台湾風牛スジだとかいろいろ作っていたし、その前もたしか何か凝ったものを料理していた。

めっちゃ料理するんですねと言うと、

はっはっは。これはね、失業対策だよ。台湾と国交を持つ国はどんどん減ってるし、香港も大変なことになっているだろ?次は台湾じゃないかとドキドキしてるんだよ、ほんとに。俺はもう歳だからね、ファンのように簡単に(アメリカの)グリーンカードは取れないだろう。だからせめてレストランは出せるようね、鍛えておかないと。

と言った。笑いながらだから冗談のようなものだろうけれど、ぼくには結構本気なように思えた。

たぶん、ぼくが協力隊終わったらポッドキャストで適当にしゃべるだけで暮らしたいと語るよりは本気だと思う。

少なくとも、台湾がなくなってしまう可能性があることをジェリーは認めていて、そうなればICDFは解散、ジェリーは失業するから次の食い扶持を探さなければならず、その1つの可能性として中華レストランを開業することも数ある選択肢のうちの1つに残しているということだと思う。

台湾に戻ることはあまり考えていないように思えた。いまさら戻れるとも思っていないのかもしれない。彼らの仕事は海外拠点を転々とすることで台湾に戻ることができるのは、旅行や一時帰国を除いてICDFの仕事を辞めたときだけのようだから。

ジェリーのこの仕事のキャリアは、当時は台湾と国交のあったガンビアから始まった。20代の青年だったジェリーはそれまでの人生で黒人を2~3人街で見かけたことはあっても黒人の国に行ったことはなかった。

1人ガンビアに向かう飛行機の中、空港に着いてからも周りは黒人ばかりで、そこで初めてとんでもないところに来てしまったと心細くなってとても怖かったのだそうだ。

たった1人空港に降り立ち、途方に暮れかけたときにようやく迎えの台湾人を見つけ、心の底から安心してなんとかやっていけそうだと思ったらしい。

6年半ガンビアで勤務後、インドネシア、ツバルなどを転々として現在5か国目、ここセントビンセントのいる。

うまく言語化はできないけれど、今日はとても良い話が聞けた気がした。

海外を転々とする、というと優雅に聞こえるしカッコイイなとか思ってしまいがちだけれど、言葉も文化も変われば英語の訛りも変わるわけで、そうじゃなくても転勤族というのは孤独になりやすい。

ジェリーは結婚していて、奥さんと子どもももちろんセントビンセントに連れてきているけれど、結婚してもその傾向は変わらないんだろうなぁとちょっと察した。みんな寂しいんだろうなぁと。だからこうやって集まるんだろうなと。

台湾の人たちは世話焼きが多いと言われる。要するに(一般的日本人と比べて)優しく、よく構ってくれるというわけだ。

これは日本でいうと、地方の人間関係に近かったりするんだけれど、団結力というか、コミュニティ内で誰かが困っていたらとにかく手を貸すという行動原則のようなものがあるように思う。

日本は、もっと個人主義的だから、それが台湾の人にとってはちょっとそっけなく映ったり冷たくとられたりするんだけど、逆にいうと、そういうコミュニティに属するということは自分も損得なしに手を貸すことを求められるわけで、フリーライダーはだめなわけで、そういう人間関係が窮屈に感じる人もいるだろうとも思う。バランスの問題な気がするけれど。

さて、それで何が言いたいかというと、世話焼きな人が多いというのは、小さく、弱いコミュニティだからみんなで助け合って生きていなないといけないから、そうなるのかな、そういう傾向がでてくるのかとふと思った。ゲーム理論的な話で、そうした戦略をとった方が生き残る確率が高いのかなと。

それを良いとか悪いとかジャッジするわけじゃなくて、単純な事実として。

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