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ひとを信頼する力について

第三回本公演「スクラップ」にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。

先日反省会があり、そこでも口にしたのですが、、当初は反対していた公演でした。準備期間が短く、かつ初のホール公演、しかも一日開催。あまりにも負担が大きすぎるのではないかと。
蓋を開けてみればお客様の笑顔。アンケートの山。
ああ、私は人を信頼する力も衰えてしまったのだなと思ったのはまた別の話、、

さてさて、「スクラップ」のあらすじ…を書こうとするがかけない。あらすじがかけない。まとめるのが難しい。こんな感じのお話でした。

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都会の大企業に就職したものの地元に帰ってきた典次。家に帰ると、兄はいつの間にか結婚していた。知らされていなかった。兄は幼い頃から、典次の親代わりに育ててくれたがそれが愛情なのかどうか、わからない。兄は妹のチカには質問したり興味を持つのに、典次には特になにもきいてこないのだから。そしてその結婚相手のマリさんは、なんだかルーズな酒飲みでおおよそ信用できそうにない。チカは相変わらず「てんしさん」なるお友達と話し、絵を描き過ごしているようだ。
再就職をしようと準備する中で、典次は高校時代の同級生あかねに出会う。相変わらず総合格闘技についてアツく語る姿が輝いて見えた。

ある日岸部さんが訪れたことから、チカの描く絵から色彩が失われ、延々と灰色の絵ばかり描くように。これは「ねずみさん」の指示。
典次には本当は「てんしさん」なんて見えないけれど、「ねずみさん」をやっつけるべく、見えているふりをしてやっつける指示をする。総合格闘技の知識を活かしてあかねも加勢!みごとてんしさんはねずみさんをやっつけた!

「ねずみさん」は、過去見てしまったトラウマが作り出した存在。てんしさんは、本当は、「星の王子さま」。チカが昔本当のお母さんに一度だけきまぐれで読んで貰った絵本の登場人物だったのだった。

それからというもの、チカの前にはねずみさんも、てんしさんも、現れなくなった。
典次の見える世界も前とは違っているようだ。

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このたくさんの絵はすべてふみちゃんの手描き!

今回題材として扱っていたいくつかのテーマについて。演劇に限らず、どんな作品を鑑賞するときにも必ず私の頭に浮かんでくる疑問というものがあります。「なんで、これを題材にしたのだろう」というものです。これは非常にナンセンスな問いで有り、その疑問が頭に浮かぶたび、多少の恥ずかしさも覚えます。(特に芸術といわれる分野については!)
クエスチョンを持ってしまうと、どこか自分の中でその答えを見つけようとしませんか。なんでこれを書いたのだろう。きっとこのテーマについて問題提起したかったんだね、とか。具体的な例は思い浮かばないまでも、どこか鑑賞者たる自分の「色眼鏡」で見てしまうのです。この見方は、面白いし気持ちいいです。腑に落ちる答えを自分で得られるのですっきりします。

作者の思いとか描きたかったもの…これって素直に文字として表現されることは少ないと思います。とくに大木さんはそうだなあとこれまでの作劇からも感じます。「成果物」で見せることに全力を注いでいる。「この作品にどんな意義があるのか」とか小賢しく含蓄を含んだ文章を練ることを無駄と割り切っているのかなという感じがします。絵画のキャプションや解説文を、作品を見る先に読んでしまう壁がある私は、都度自身に振る舞いを恥ずかしく思うのでした。

それを踏まえた上で、勝手に補足するとするならば。
先日の大木さんのブログでも少し言及されていましたが……
今回の作品で取り扱っているテーマはセンシティブなものが多かったです。力の強すぎる単語もいくつかあり、どぎまぎしたのも事実です。いつものようにそれらはお砂糖で包まれていましたが、今回はものすごく「わかりやすい」味付けのように思えました。
懸念していたのが、テーマの描き方について大きく誤った受け取り方をされていないか、というところ。たとえばネグレクトというテーマを「コンテンツ」として使われていると感じた人も多少は、いるのかなとか。

例えば、現在話題の映画『エゴイスト』。この原作は私に大きな衝撃を与えました。しかし、作品自体にというのはもちろん、どちらかというとその後に訪れた体験のほうに静かな衝撃を受けています。
読後、この作品を薦めてくれた方が教えてくれました。「これは自伝的小説である」「作者は既に亡くなっている」……この情報を持って再度作品を振り返ると、同じ作品でありながら作品の受け取り方が変わった、いや、読者としての自分が重ねるべき登場人物を誘導されたような気がしたのです。

作品と作者の分離については多く語られ、作者も読者(鑑賞者)も都度付き合っている問題だと思いますが、最近のアーティストが顔や経歴などいろんなものを隠して作品を公開している風潮を私はとても愛しています。

さて、今回私が担当したのは「衣装」と「制作」ということでちょっとだけ。

【衣装について】


次のようなコンセプトで用意していきました。

藤木家の典次と知佳から見えている世界。

兄妹はブルーが共通カラーです


典次の世界に登場する人物は皆色あせて、同じように見えている。
みんなおなじ顔に見え、人物の違いを認識するのはその持ち物や特徴的なパーツ。

ということで、知佳ちゃんの生み出したお友達は別枠ですが、なるべく彩度の低い衣類をベースに、特徴的なアイテムをカラフルなフェルトで作成しました。
槇岡さんは大衆のアイコンでもあったためどこにもカラーを配置していません。

いやはや、フェルトでのグッズづくり、楽しかったです。典次のバッグ、ひめのさんのスリッパとイヤリング、知佳ちゃんのサコッシュと、ジャージにつけたワッペン。あかねちゃんのカチューシャ。あきにいの蝶ネクタイ・エプロン・カフス。
最近ミシンを覚えたので縫い縫いするのがとても楽しかったのでした。

フェルト縫い縫い
中でもスリッパは学びが多かった

しかし作業時間の捻出には苦労しました。育児しつつ働きつつ趣味に全力の人ってどうやってるんでしょう。稽古にはあんまり行かずでこれだったので、もうちょっとなんとかしたいなと思いました。

【制作について】

藤井くんと人妻

今回制作の主担当は藤井君にお願いしていました。
というのも、公演日決定時点で公演当日にすでに予定が入っており、当日参加できる保証がなかったためです。
日々の稽古にも参加が難しいため、稽古場にいなくても出来る作業を主に担当しました。しかし、全体的に課題が見えました。今後に活かしていこうとおもいます。

チラシにははじめて人物写真を入れました。(撮影の様子は前回のブログ参照)
アートワークで統一していくことに憧れもありましたが、この試みは成功だったと思っています。各メンバーが自主的に広報に動いてくれたことがとても嬉しかったです。
これまでリーチしていなかった層にも届いていたらいいなと思います。
予約受付周りでは、今回もWebフォームや自動返信などを設置。個人的にはここが一番楽しい。けどもっとよくできたかな、、。

三角コーンは出てこない

余談。
約三時間になった初稿を読んだとき、いくつかのタイトル候補を出して採用されたのが「スクラップ」でした。典次の存在と、チカ(たち)の描いていく人生になぞらえて。
そして大木さんはこの作品のラストシーンについてこういいました。「決してハッピーエンドで終わらせてはいけない、と思った」と。

これはテクニックの話ではないし、折に触れて重くのしかかってくるフレーズでした。そう、このものがたりはハッピーエンドで終わらせてはいけない……。

舞台に鎮座していたソファーも無事我が家に戻ってきまして、子供の遊び場になっています。
先日打上も終え、さっそく次に向かっていく様子です。ぜひご期待あれ。

佐光でした。(最後に名乗る。)

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