"ray" - BUMP OF CHICKEN 曲考察

ray / アルバム『RAY』より

 わたしはここ最近のBUMPの曲で、これほど、BUMPらしさを内に秘めたまま完成されている曲はないのではないかと思っている。BUMPの曲を聴いていると、かなり頻繁に、「ああBUMPだなあ」と思うことがあるのだけれど、それは彼らの他の曲を過去から現在にいたるまで聴き続けている人間の感想に過ぎないわけで、その感慨は、この一曲そのものが完成されているか、という観点からみたらほとんど意味を持たない。けれど「ray」は、その感慨を思い起こさせつつも、これはいい曲だと自信を持ってBUMPをあまり聴かないひとにもお勧めできる曲だと個人的には思っている。実際、BUMPが最近出した曲の中では、(ボーカロイドとコラボしたからというのもあるかもしれないが)かなり人気が出た曲のひとつにはなっていたようにも思う。

 曲の全体像としては前の記事でも軽く触れたので踏み込まないが、この曲のいちばんの聴きどころは、恐ろしいまでの曲調と歌詞の不一致だ。「ray」はタイトルも曲調も光のように明るく、ライブで演奏されれば観客は跳びはねて盛り上がる。ところが、その反面、この曲の歌詞はまったく明るくない。きらきらした曲調とはうらはらに、この曲は、「君」を失った世界で、「晴天とは程遠い終わらない暗闇」を、「忘れたって消えやしない」痛みを抱えたまま「ごまかして笑って」生きていく唄だ。「君といた時は見えた 今は見えなくなった」ものがあって、「お別れしたこと」をやり直せずに、「君」とはもう共に生きられないまま、光の先にひとりで進んでいかなければならない唄だ。それでも、そんな喪失の感情を抱えて、消えない痛みを背負ったまま、大サビで唄われるのが、「生きるのは最高だ」という歌詞なのだ。

◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
    ——「ray」BUMP OF CHICKEN

 「別れ」の色が濃いこの曲において、「生きるのは最高だ」というこのひとことが位置しているところを、ずっと考えていた。このCメロ後の大サビの歌詞は、よく見ると一番のサビの歌詞とはっきりと対応している。

いつまでどこまでなんて 正常か異常かなんて
考える暇も無い程 歩くのは大変だ
    ——「ray」BUMP OF CHICKEN

 「〇×△どれかなんて……」が、「いつまでどこまでなんて……」の焼き直しだとすれば、「生きるのは最高だ」は「歩くのは大変だ」の焼き直しであり、換言なのだ。明らかな対応関係をもたされているこの二つの歌詞に含まれているおおもとの感情はたぶん同じであって、開き直りの意志なのだと思う。決して、100%ポジティブな「最高だ」ではないし、パワーの総和としてはほとんどネガティブ感情と言ってもいいくらいだ。それでも、「歩くのは大変」なこの世界で、開き直って、もがいて、それでも生きていくことへの誓いの言葉として、このフレーズはある。「ray」という音楽はそこに収束する。
 ここでようやく、全体としてほぼ暗い歌詞である「ray」という曲が、この、明るくてきらきらとした曲調で唄われていることに意味を感じるのだ。この曲がこの音楽であるからこそ、「生きるのは最高だ」というある種ストレートな言葉が、一瞬、字義通りストレートに染み込んでくる。「生きるのは最高だ」と唄った曲であるかのように錯覚させられる。その天邪鬼さを、それでも、きっとその内側に、そうやってでも人生を肯定したい思いが隠されているんだろうと思わせられるところを、「BUMPらしい」と呼びたくなる。

 BUMPの曲において、「君」が指すものを考察することほど無粋なことはないと思ってはいるのだけれど、「ray」に関しては、個人的にはこれは夢を失うことの唄なのだろうと思っている。「お別れした事は出会った事と繋がっている」はBUMPのすべての曲の根幹にあるとわたしは思っているし、別れたこと、つまり君と出会ったという事実の終着点に生かされている、という解釈に立てば、失った夢の先で、いまはもう輪郭すらうまく思い出せないその夢を持っていたかつての自分が作った道の続きを歩かなければいけないことを唄った歌だと、この曲を考えることは可能なのではないかと考えている。単純な解釈ではあると思うが、BUMPは夢や持っていたものを失う、というテーマもよく歌っている。

諦めなければきっとって
どこかで聞いた通りに続けていたら
辞めなきゃいけない時が来た
    ——「firefly」BUMP OF CHICKEN
憧れた景色とはいつでも会える 思い出せば
諦めたものや無くしたものが 鳥になってついて来る
    ——「beautiful glider」BUMP OF CHICKEN

 BUMPは丸くなった、つまらなくなったと、初期の曲をよく聴いていたひとたちが言うのをたまに聴く。けれど、二十年も若かったころの彼らが持っていた思いも、感情の生々しさも、彼らがそれを受け取る方法や伝える方法が変わっただけで、きっと消えていないし、たとえどのような変質があったとしても、そういった感情の先にいま彼らが唄う歌があるのだろうと、この曲を聴くと強く思う。

大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない
    ——「ray」BUMP OF CHICKEN

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