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【自分史④】大学生

無事大学受験も終わり、大学生になった。

大学生を振り返ると、今でも苦笑いをしてしまう。学生の本分は勉学だというのに、当時は”そんなことどうでもいい!”モードで、よく遊び、アルバイトに励み、好きなことをして、勉強は二の次だった。それでも中高で培った「自分で考える」力があったおかげで、最終的には何とか大学を卒業することができた。

特に自分の中で印象の大きかった出来事、反省したい出来事をピックアップしてまとめてみようと思う。


群れる

事前に連絡を取り合っていた友人と入学ガイダンスに出席した。徐々に周りに人が集まり始め、お互い声を掛け合ううちに15人くらいの集団が完成していた。それが入学して最初にできたグループだった。東京出身の人は少なく、地方出身者が多かったと思う。みんな大学デビューを狙っているんだろうなといった感じで、ノリがよく、キラキラしていた。それから数日、入学式を迎え各自のクラスに散り散りになったが、昼食時になれば学食に集合し、授業がない”空きコマ”が重なればすぐに集合した。ちょっと目立つ感じの子が何人かいて、その子たちが集合をかければみんなすぐにかけつけるといった形が出来上がっていった。「そういうものなのか」と初めのころは自分の意思を押し殺して同調していたが、同じグループの男に二股をかけられたことをきっかけに(記事:恋愛のこと をご参照ください)グループに居づらくなり、同調にも嫌気がさして、そのグループを抜けた。もともと人と群れることが苦手だった私はかなり無理をしていたのか(それとも偶然か)、そのグループを抜けた翌日から40度の熱を出して数日間魘されることになった。苦手なことを無理にすると痛い目を見ると心底実感した。

東日本大震災

2011年3月11日、当時アルバイトに行くために身支度をしている最中だった。まだ実家に住んでいた私は、ダイニングテーブルに化粧品を並べて顔面の細工に集中していた。そんな時突然大きな揺れが襲う。震災当日のことはまた別の記事で書くつもりなので今回はバサッと割愛するが、震災のインパクトが自分にとってはかなり大きく、「何かしたい」という気持ちが日に日に大きくなっていった。(幼少のころ顕著だったた「正義感」がここにきて再び発現する。)幸か不幸か大学の授業があったし、持病を抱えた状態で現地にボランティアに行くことは難しい。そんな中思いついたのが、「被災地を旅行する」ことだった。大学生がアルバイトで稼いだ程度の金額ではあるが、少しでも被災地の復興に役立ちたいという思いで、2013年の夏、初めて一人で東北太平洋沿岸を電車で旅した。現地でしか食べられなさそうなものを食べ、お土産を大量に買い、海を見に行った。メディアを通して見ていた景色が目の前にあった。それから2016年までに計4回、東北太平洋沿岸をほぼ同じルートで、同じ時期に同じ期間で巡るという企画を一人で行った。毎年少しずつ復興している様子を見て、「自然の脅威と偉大さに勝つことはできないけれど、負けることもない」「いくらでもやり直せる」と私自身が励まされた。

新卒就活

4大に進学していた私は、例にもれず就職活動を行うことになった。就活あるあるに則り、髪を真っ黒に染めてひとつに縛り、真っ黒なスーツに身を包んだ。似合いもしないのに。エントリーシートのお手本なんてものまであって、とりあえず真似をして作成したりした。それでも違和感はぬぐえなくて、ふと「周りとちょっと違うことをしたほうが目立つのでは?」と思ったところから私の就活は一変した。就活では黒い髪ゴムで髪を縛るのが一般的だが、お気に入りの臙脂色のシュシュを結んでみたり。エントリーシートではかっこつけずにありのままを書いてみたり。小さいことだけど、周りの同調圧力的なものに負けずに自分を貫いてみた。すると驚くことにそこからはエントリーシートも必ず通過したし、面接での合格率も上がったし、無事内定ももらうことができた。社会人になってから振り返ると、決められたルールの中で個性を見せてくれる人には純粋に興味がわくし話を聞きたくなると感じたので、私の小さな反抗は間違っていなかったのかもしれない。

他人と暮らす

当時付き合っていた彼と同棲することになった。大学生での同棲は早すぎる、と周りにはさんざん言われたがその反対を押し切って同棲をスタートさせた。といっても元々彼の一人暮らしの家に入り浸っていたので、大きな変化はなかった。それでも“ふたりの家”なので、炊事も掃除も甘えるわけにはいかないと思って、張り切ってやった。当時の私は一種の催眠術にでもかかっていたかのように「彼のためなら何でもできる!」状態に陥っていたので、家事全般をすべて一人でこなしたし、それを辛いとも思わなかった。大学に通いながら、アルバイトをしながら、社会人になった彼を支えるつもりで毎日生き生きしていた。(その数年後には限界が来ることも知らずに…)この彼とは最悪な形で別れたけれど、同棲したことで家事全般を人よりも早く習得することができたのは不幸中の幸いだったと思う。


ちょっとそれっぽく見えるエピソードだけ選んだ自分が恥ずかしい。嫌なことはたくさんあったし、未だに傷として抱えているものもある。どんなにつらいことがあっても、よき理解者である母校の友人や大学自体にできた友人が傍にいてくれたので何とかやってこれたのだと改めて思う。(だが書き起こすにはまだ傷が半生の状態である)

次回でおそらく自分史は最後になる。

社会人になってからの約6年、自分の人生をガラッと変える出来事もあったりして、人生の中でも特に濃密な期間だった。30歳を目前にしてようやく完成形に近づいた今の私を作る要素になった期間だ。

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