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「ほんもののファン」

最近、ウェザーニュースの檜山って女子アナウンサー?が焚べられているらしい。
なんでも、アイドル売りされてて、黒髪清楚系、
恋愛経験がなくて優しい人が好き、コスプレが趣味で…といった属性満載で、ほんとうに清楚で優しい人々にウケてた人なんだそうだ。
が、実のところはほんとうに優しくなさそうな暴力的なテニスプレイヤーの彼氏がいて見事爆発炎上した、ということらしい。

当の清楚で優しいファンたちはどうか。
一方では怒り狂い幻滅する。これは厄介なファンだ。気持ちが悪く、夢と現を見紛う、愚かな人とされる。
他方では理解を示しアイドルたる彼女の幸せを願うファンももちろんいる。「ほんもののファンなら彼女の幸せを願ってこそだ」と言う人もいる。

まあ、アイドルってそんなもんだよね、ってのが最初の感想だ。
なんだか、こう、異性に縁がなさそうな人の好みそうなものを搭載して、ファンに可能性を匂わせながらさ、その実自分は格上の異性と…みたいな。

たぶんアイドルってのは飲食店の排気口の匂いみたいなのを"売ってる"んだよね。

焼肉屋の排気口って焼肉より美味いだろ。アイドルってこんな在り方だよね。

この美味さってのはまさに、「可能性」がフックになって演出されてるよな。
「ああ、あの向こうにもっと素晴らしい、ほんもののお肉がジュージューしてるんだぁ」って期待感がその当の「ほんもののジュージューしてるお肉」よりも美味しいと俺に言わせてるわけだよ。
だから、その「ほんもののお肉」を食べても、あの美味しさを味わったことにはならないんだよね。

この焼肉屋のメタファーが正しいとすれば、
「アイドルを好きになる」というのは、けっしてアイドルその人が好きなわけではなく、アイドルが好きなはずなのに手にすることのできない、その出来なさ自体が好きということなのだ。

さて、あえて強弁するけども、
ファン自身が、ファンであるままアイドル自身の幸せを願うなんて、あり得ない。
ファンが好きなのも、ファンが幸せだと思うのも、アイドルその人ではないからだ。
アイドルその人の幸せを心から祝える人はファンではなく、どうしようもなく部外者である。
だから、いくら部外者が、「アイドルその人の幸せを願えよ」、とファンに言ったとしても、彼がファンであるなら効果はない。この言葉が響く時、彼はすでにファンではない。

ファンなら、幻滅の果てに怒り狂うのが正解ではないだろうか。
「お前は美しいまま一生異性に縁がないままでいろよ!」としっかり主張すべきなのだ。

しかし厄介なのは、ファン自身は今の俺のように、つまり部外者のように自分のことを見る事ができないというところだ。

「お前が惹かれているのは、ほんものの肉ではなく、ほんものの肉があそこにあるのだという期待感それ自体なんだよ!」的なことを、「いい匂いだなぁ」って思っている人が聞くわけはないし、聞いたところで惹かれなくなるわけもない。

そう、ファンというのは、当たり前だが、自分を顧みることができてはならない。ほんとうにアイドルのことを好きだと思わないことには、ファンではない。

だから、いちばん厄介なファン、いや、「ほんもののファン」とは、幻滅し怒り狂い、アイドル関連のグッズを破壊しまくる人ではない。「自分はアイドル自身のことを案じている」という欺瞞に無自覚な、部外者に偽装した理解あるファンである。

よって俺は、「ほんもののファンならアイドルの幸せを願うはずだ」が正しいと主張したい。
怒り狂うファンは、夢と現の境目が見えていないのではない。夢と現の境目が見えたから怒り狂っているのだ。怒り狂うファンこそ、部外者に近づいているのだ。
ほんもののファンはちがう。夢を見ていないとさえ思っている。だから、「ほんもの」なのだ。

俺はこの"ほんもののファン"が嫌いだ。いっしょに酒を飲みたくならない。部外者特有のはずの冷静さを装ってカッコつけてる感じが、好きじゃない。
人が何かに夢中な姿は、全く見てられない。
気持ちが悪いのが、普通なのだ。

それなのに、なにカッコつけてんだよ。







気持ち悪い。

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