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大阪にいってみたら②
大阪といえば「大阪城」?
子供の頃から「大河ドラマ」を観ていた私。
そんな私だから、大阪と言えば
「豊臣秀吉」であり「大阪城」は
外せない。
「大阪城公園という駅で降りて下さいね。」
ホテルのフロントの女性に、大阪城への
行き方を教えてもらい「福島駅」電車に乗った。
ここで初めて大阪にも山手線のような
環状線があることを知った。💦
天満、京橋といった聞き覚えがある駅を
通過するたびに目をキョロキョロ。
今、この街にいることを不思議に感じながらも
乗り過ごさないように緊張して電車に乗っている私。
電車やバス、地下鉄は苦手。(笑)
大都会に圧倒されながらも無事に
「大阪城公園駅」に到着。
駅を出たら目の前に大阪城が見えるはず…
とワクワクしていたら
大阪城がどこにも見あたらない。
あれ?? 降りる駅間違えた???
とりあえず、「大阪城⇒」という看板を頼りに進む私。
私のような迷える子羊ちゃん用の看板かしら?
道路脇のお店が、お腹を減らした私を誘惑する。
そういえば、昼食をとり損ねていた…
お好み焼き食べたいな…
スタバでコーヒーでも・・・
などと、考えながら進んで行くと
おや??城壁のようにみえるけど
もしかして、これが大阪城ホールかしら?
![](https://assets.st-note.com/img/1680875598403-j3F8muVdk9.jpg?width=800)
城壁のような大阪城ホール
日建設計の設計によるこの建物は、地下1階、地上3階
建築面積19,377㎡、 延床面積36,200㎡という
大きな大きな建物。平面的には大きいけれど
高さをそれほど感じさせない設計は、流石!!
石垣のような壁仕上げも城址公園らしい佇まい。
ゆっくりと見たい建物だったけれど、夕刻がせまって
いたので、そのまま大阪城を目指します。
大阪城現る!
まだまだ私が純粋でかわいかった子供の頃、
父が大阪みやげに買ってきてくれた
大阪城の立派なパンフレット。
だいたい、小さな子供に、そんな土産を買ってくる父も変だけど
そこにあった大阪城の巨大なパノラマ模型写真に魅せられた私も変?
いつか大人になったら行くぞ!!って決めていた。
あれから約半世紀。
ようやく夢を実現しようとしている。
![](https://assets.st-note.com/img/1680413697397-CDkyaspDz4.jpg?width=800)
大手門の位置から弾薬庫の位置まで穴の開くほど見ていたパンフレット。
私の中では巨大な大阪城の姿が膨れ上がっていた。
でも、想像していたより小ぶりだった(笑)
現在の天守閣は1931年(昭和6年)に復興された建物。
鉄骨鉄筋コンクリート造。エレベーター完備。
外部には、天守台に登るガラス張りの身障者用エレベーターも
完備されていた。
天守台には、点字ブロックが埋め込まれた立派なスロープ。
バリバリの近代建築やないかーい。
階段を昇りながら、展示を見ていく手法は、
多くの城址と一緒。
展示内容も、豊臣家の歩んだ歴史は有名なので、それほど驚くものもない。
ひたすら最上階を目指し、黙々と息をはずませながら階段を昇っていく。
天守閣の頂上で秀吉気分を味わう。
![](https://assets.st-note.com/img/1680693008155-z4VzsKP4KL.jpg?width=800)
想像していた大阪城のイメージとは、かなりかけ離れていたけれど
天守閣から見下ろす大阪の街は、一味違う。
豊臣秀吉が全国統一を成し遂げて築いた城。
徳川家康が夏冬の大阪の陣で、豊臣方を撃破し
長い江戸時代が始まった戦いの場でもあった
大阪城。
秀吉様が、この位置から大阪の街を見下ろしていたのかと思うと感慨深い。
![](https://assets.st-note.com/img/1680693198802-qNmFOLFmoZ.jpg?width=800)
ぼーっと眺めているだけでは、ただのお上りさん。
建築に携わる身としては先ず、この建物について調べてみなくちゃ。
昭和6年(1931年)現在の天守閣が再建。
もう90年も経つ建値のにのね。
施工は、天下の大林組。着工からわずか1年半で完成!!?したというから、今の某国の建築会社に負けない速さ。この頃の職人様は、休まず熱意をもって働いていたから出来たのかも。👏👏👏
現在の大阪城は、「大坂夏の陣図屏風(黒田長政・1615年)」に描かれていた豊臣大坂城を元に古川重春氏が設計されたとのこと。屏風を基に設計図を起こすって、昭和の初めにCADもCGもない時代。大変な作業だったと思います。
設計された天守閣の高さは、地表より石垣天端まで13.3m
建物の高さは41.5m 合わせると54.8m 5層8重の地上8階建。
結構な高さの建物。これは建物の総重量も結構あるはず。
建物の総重量は約11,000トン
想像できないけど、これだけの重さだと
現代の石垣や豊臣時代・徳川時代の地下に眠る石垣にも
悪影響が出てしまうよね。
という訳で、構造的にも天守台に負担をかけないように
サスペンション構造(吊構造)を採用したとのこと。
天守台地盤中央部に鉄筋コンクリート造の基礎を造り、
そこに鉄柱を建て、吊構造としているとか。
これは、福島県の会津若松にある鶴ヶ城でも
採用されているとか。
日本の技術力の高さって凄いわ。
![](https://assets.st-note.com/img/1680875634672-E8D2AzDM2j.jpg)
当然、地震や火災などのことを考慮して鉄骨鉄筋構造としたおかげで
戦災での焼失も免れて90年以上もその姿を残しています。
当時としては、最新技術で造られた建築。
これが今の大阪城。
大阪城は豊臣時代の姿と
徳川時代の姿がありますが
現在の大阪城は、昭和時代の姿と
言えるかもしれません。。
過去の姿を完全に復元することも大切だけど
積極的に最新の技術を取り入れ、現代に
似合ったものに復元するという考え方も
また大切なこと。
古民家等のリノベーションでも、
新しい生活様式や新しい技術を
用いながらも、今までの歴史や
思い出、場の雰囲気を引き継ぐこと
が大切。
そんなことを感じさせてくれた大阪城は、
昭和の時代の名城としての地位を
築いている。
そんな風に感じると、とっても素敵な
建築にみえてくるから不思議。
![](https://assets.st-note.com/img/1680875823758-0F5YyJkY69.jpg)
帰り道は、スタバでコーヒーを購入して
しばらくの間、ホテルニューオオタニ大阪と
讀賣テレビ放送のビルの谷間から見える
伊丹空港発着の飛行機を見ながら、
豊臣時代に思いを馳せた私です。
(続く)
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