宙ぶらりん浪人記(早稲田大学文化構想学部)

東京大学元仮面浪人交流会の各合格体験記は300円の値段設定ですが、全ての合格体験記を含んだマガジンを300円で販売しております。
https://note.com/todai_motokamen/m/m6147e1b161a6

【名前】三河

【経歴】
筑波大学附属高校→早稲田大学文化構想学部(現役・休学無)→東京大学文科三類(1浪)

【模試結果】現役時:夏実戦B/秋オープンC/秋実戦B 

      浪人時:夏実戦B/秋オープンC/秋実戦D

1.はじめに

「本場の讃岐うどんって美味いなあ!」 ─── 仮面先での8月、他の受験生が奮闘するなか四国旅行へ赴いた筆者
(受かるわけねえよこんなんじゃ...) ─── 仮面先のキャンパス、暮ゆく秋、筆者の心中

  ......愚かさを十分理解していただけただろうか。

  正直に言って、僕は受験が終わるまで合格する気がしないまま(いや、合格する気がないまま と言ったほうがいいかもしれない)仮面浪人を続けてきた身である。‟夢と希望だけを原動力に逆境を跳ね返し、合格へ突き進む感動の受験スペクタクル”─────....などといった仮面浪人像からは程遠い、というかまず「仮面」浪人なんて無駄にカッコよさげな肩書を名乗るのが憚られるような、大学と受験の間でどっちつかずに過ごしてしまった云わば「宙ぶらりん浪人」てところか。

 現役時から仮面浪人時代までの行いを振り返ってみても、どちらかというと仮面失敗体験談に載せるべき自堕落な内容の数々が思い起こされ今でもため息が数Lはでるくらいで、寄稿する資格があるのか甚だ悩ましい心持ちである。なんとも情けない。

 しかし、である。それでもなお、普通の大学一年生は決して経験しないような中身だった仮面浪人の1年は自分のなかでも印象的な1年間だった。加えて、仮面浪人の実体験の記録をネットで探してサンプルの少なさに困った早稲田入学当初の自分を思い返してみると、記録を残して後進の役に少しでも立ちたいと思うのも正直なところではある。
 そんなこんなで、反面教師的な内容も多い(おそらく半分以上)ことを断ったうえで一人の仮面浪人生の受験生活を思い起こして綴ることにする。

 とはいえ、前半は僕の来歴を長々と記録しただけなので、読者の中で仮面浪人を考えているような方がいらっしゃったら、3章の「浪人時代を振り返り・後進に伝えたい内容」まで飛んで先に読んでいただきたい。わざわざ寄稿しておいてなんだけれども、2章の来歴は個人的な内容に過ぎないわけで、外部への僕からのメッセージとしては3章に集約したつもりだ。そんな順序を念頭においてしっかり2章は読み飛ばしていただきたいことを付記しておこう。

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仮面時代に通った早稲田大学戸山キャンパス

2.仮面浪人の記

2.1中高時代

 僕の集中力のなさ、自堕落さは大学受験期に入る前に完成していた。一心不乱に勉強して(させられて)中学受験を乗り切ってから少しは"意識高い中学生"だったのも中1夏まで。ハードな高校入試がないのをこれ幸いと、スマホ片手に家ではほぼ勉強しない生活が高校まで続いた僕は、塾に通わせてもらっていた英語はまだしも数学では因数分解で挫折するなど落ちこぼれ路線を快走。中学からの英語、高2からの文系教科は代々木にあるT会という暴力団のような名前の塾で暴力団のような容赦ない課程に絞られていた僕は、他の進学校のエリート受験生たちの集団に数学を除きなんとかしがみついて受験期の高3を迎えた。

 そもそもの話だが、僕は最初から東大志望というわけではなかった。もともと東大にそこまで大きな魅力を感じておらず、高2までは名前の響きがかっこいい、いぶし銀感がある、という適当なイメージもあって志望を一橋としていた僕は、高3になり、塾のカリキュラムが東大向きなことと一橋の数学の配点比率が高めなことを考え志望を東大に変更するか迷っていた。そこで塾の講師に相談すると「数学と英語は一橋の方が(東大よりも)難しいだろう」とコメントがあり、部活の先輩からは「数学と社会は一橋ムズい」との答えが。
 組み合わせると数学も英語も社会も一橋が難しい…これもう一橋より東大の方が自分は可能性あるんじゃないか?!という謎の結論に達した僕はかくして、二次試験の社会の科目数の差(一橋は1科目だが東大は2科目)も大して気にせず東大に志望を変更することにしたのだった。

 勉強面に話を戻そう。現役時は高3の8月まで部活があり、引退試合直前に受けた夏の東大実戦ではそこそこの結果ながらも、中高で勉強習慣が完膚なきまで欠落していた自分はこの時点に至ってもサボりがなまま春から苦手な数学に時間を割き英語を軽視する勉強方針を秋模試まで続け、結果として数学は思うように伸びずに軽視した英語の点数は下降。
 実は秋実戦はB判定だったが、明らかにミスが多い英作文がなぜか満点になる疑惑の採点(S台批判じゃないよ!)など、その実受験生の骨子と言える英数ともに実力不足は明白。
  苦手科目を増やしただけという最悪の展開に僕はある程度数学を諦め英語に比重を戻すという強硬(苦肉の)策を講じ、なんとか挽回を図って年明け、1月のセンター試験を迎えた。

 このセンター試験で僕は幸か不幸か過去問演習を超える自己ベストを記録し、図々しく高めに設定した目標点の830点きっかりを取ってしまったのである。
 文系の分野全体に薄く広く興味を持っていた僕は、センターの点数からしっかり慢心し、合格最低点が文3より高い傾向の文2に出願(数学出来ないのにわざわざ経済系に出願したのもツッコミどころではある)。そのうえ、2月になるまであまり勉強に手がつかない日々を過ごしてしまった。2月に入りようやく危機感とともに過去問などを解き始めたが、今度はそこまでうまくいっていた世界史の詰めが甘くなり、結局本番の2次試験では数学とともに世界史の点数も芳しくなく、約10点差で不合格という結果で現役時の受験は終了したのであった。

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