ダイアログインタビュー ~市井の人~ 高橋秀典さんさん 「『認めて貰える居場所』づくりの旅」2

――自分の居場所…ですか。確かに自分が落ち着ける居場所って欲しいですもんね。今でも探している…んですか?

高橋 今でも探してます。何て言うのかなぁ…居場所であったり、「自分の価値を認めてもらえる事」であったりという事…それが「生き甲斐」となる部分じゃないですか。「俺、何で商売やってんだろ?」って考えてみた時、多分「居場所」や「価値を認めてもらえる事」を求める想いが私には強くて、自分の居やすい場所であったり、自分の価値を認めてもらえる商売や仕事であったり…多分そういったものを模索してるんだと思う。ずっと。

――う~ん…。

高橋 そんな部分を求めて行動する事が、「これは誰かの何かの役に立つかな」と感じる事柄にどんどんチャレンジしていくという自分の今の行動に表れてるのかな…と思うわけなんです。もしかしたら周りから見るとスタンドプレイに見られたりする事とか「あいつ目立とうとしてる」と思われたりする事もあるかも知れないけど。

■ 高橋さんがあちこちのイベントに出店したり賞を取ったりする事を、スタンドプレイだと見る向きも恐らくあるのだろう。露出が増えれば当然目立つわけで、名前も売れる。しかし名前が売れる事は、こうした妬みにも似た悪評が立つリスクも負う事になるのだ。高橋さんのこの話は、周囲からのこうした声に対するアンチテーゼ的な意味合いもあるのかも知れない。「決して目立ちたいからやってるんじゃない!甲斐を持って生きる為に必要なステージ作りをしているのだ!自分なりのやり方で!」という風に。それは、商売や売名といった、パッと見で分かり易いミテクレを気にしての事では無く、もっと人として本質的な事だと私は思う。
 
 
――昨日若松さんと話をしていて(この前日、若松さんにダイアログインタビューさせていただいていた)、「今日高橋さんにインタビューさせてもらうんです」と言ったら、「軍曹さん(「軍曹」は私戸田のあだ名)は味のある人をインタビュー相手に探してるんですね」と言われましてね(笑)。

高橋 アジ!?味のある人(笑)?
 
――俗に言う「良い味出してるな」みたいな感じの人って意味で言ったんでしょうけど(笑)。いや、でもまさにその通りで、メディアで派手に取り上げられた人ばかりじゃなく、地道だけど「噛めば噛むほど味が出る人」みたいな感じの人の話を聴きたいかな。
 
高橋 そうですか(笑)。え~と…じゃあちょっと「仙台に出てくるよりさらに前の自分」の話を少ししますね。
 
■ そう言うと高橋さんは、南相馬を離れる前に体験したトラウマ的な話を話し始めた。ここから先の話を聴いて初めて、「自分の居場所」「自分の価値を認めてもらえる事」といった話が私の中できちんと腑に落ち、当初からそれまで何となく感じていたモヤモヤした違和感が晴れる事となる。


高橋 自分、中学の頃って、凄くいじめられてたんです。

ーーほぅ…。

■ 何というか…この言葉を聴いて、正直少し動揺した。この先の話を聴いて良いのだろうか。どうやって聴けば?でも、この先の話にモヤモヤの出口がある事だけはすぐに分かった。なら聴こう。フラットな気持ちを保ちながら…。

高橋 一年半くらいの間だったかな。非常にいじめられてた時期があって、人間不信な部分が出来ちゃって。人と話したり、関わりを持ったりする事が非常に苦手だったんです。関わりを持ったらいじめられるし、それならゲームでもやってたほうが良いやとなって、引きこもってゲームばっかりやってたんですこう見えて(苦笑)。

――そうだったんですか。

高橋 そういう学生時代を送っていたんで、人と関わるというものが非常に苦手だったし、仙台に出て人材派遣業に就いて過ごしてたけど、人との関わりは相変わらず苦手で。でも、さっき言ったような、自分の周りに人が集まる環境が出来た事は凄く嬉しかったんです。

――そこが「居場所」となったわけですね。

高橋 そうなんです。んで、社会に出る年齢になって多くの人が、会社に就職して人と関わりを持ち交わっていく中で成長していくというプロセスを体感していくところに、自分はそういった「人との関わり」を持つことが苦手だったからこそ、会社に就職するのじゃなく、自分で商売をしていく事を選んだ…という部分があったんだと思うんです。

――う~ん…。

高橋 でも、人と関わりを持たずにやって行くなんていうやり方は通じないし。人との関わりを持たずにやっていく事なんて、商売をしていく上では出来ない。それじゃあ自分を成長させないと。「自分の居場所」「自分の価値を認めてもらえる場所」なんて、自分を成長させていかなきゃ届かない。そんな風に考えながら、「自分の存在意義がどこにあるのか」ってものを探していたのが、30代の頃だったんですよ。「30過ぎてそんな事考える」なんて、だいぶ人より遅いんですけど(笑)。人に言わせれば「お前30歳にもなってそんな事考えてんのかよ!」なんて風に言われたりするんでしょうけどね(笑)。

――む…。

高橋 自分、人格の形成がちょっと遅かったもんですから。30歳過ぎた頃からそんな気持ちが芽生えてきて。その「遅れ」を取り戻そうという思いが、未だに反動として強く出ているんだと。だから「誰かの役に立つかな」「何かの役に立つかな」みたいな行動をする事で、周りからも居場所を認めて貰えて「遅れ」を取り戻せるんじゃないかなと。そんなものを求めていたのが、30代後半の頃の自分です。

■ ここ10年ほどの事だろうか。世間で「自分探し」という言葉がもてはやされるようになったのは。この「自分探し」というもの…私は言葉としてはあまり好きじゃないのだが、高橋さんの通ってきた道は、まさに「自分探し」の道程の一つだろう。思い返してみると、私も居場所探しという「自分探し」をしていた。経験した事こそ違えど、やってる事は高橋さんと全く同質のものだ。私の場合、年齢を重ねるにつれ力技でそんな思いを抑え込んで過ごしてきたが、南相馬で日々過ごす事で、いつの間にかそういう思いを抑え込む必要も無くなっていた。抑え込む事に慣れたわけでは無い。自然と抑え込む必要が無くなったのだ。ちょっと不思議に思われた体験だったが、どうだろう…皆さんも今までの人生の中でこれに近い体験はされているのでは?この道って実は、みんな通る道なのではないだろうか。
そんな事を思いながら、高橋さんのお話を聴いていた。先ほどまで抱いていたモヤモヤした違和感は無くなり、話がストンと腑に落ちた気がした。
この話って、一言でまとめると「やり甲斐」や「生き甲斐」といった「甲斐」の話だと言える。ややもすれば「青臭い!」と敬遠されがちな内容の話だろうけど、実はこの「甲斐」を意識するってって、日々の暮らしの中でもとても大切な事なのではなかろうか。

~続~

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