ダイアログインタビュー ~市井の人~ 高橋秀典さんさん 「『認めて貰える居場所』づくりの旅」11(最終回)

――その辺はあまり突っ込まないでおきましょう(笑)。私、南相馬との関わり初めは、ここ鹿島区だったんですよ。南相馬という場所の良さに初めて触れたのが鹿島だったわけです。そのまま居心地が良くて居ついちゃってますけど(笑)。高橋さんはどうですか?南相馬は好きですか?

高橋 ここの街が好きかどうか…好きなところもあるし、嫌なところもあるかな。さっきも話した通り、気候は良いなと思ってるんだけど、人の気質でちょっと合わない部分もあるかな。ここ、昔は商店が凄んごいいっぱいあったんです。今は開いている商店は…数えられるほどに少なくなってしまって。昭和50年代ごろは、駅前通りも旧国道も全てが商店だったんです。商売的にも良かった。でも、だんだん生き残れないお店なんかが出てきたんです。昔ながらの商売…「商品を置いていれば売れる」というやり方をしているお店なんかがね。あと、スーパーが進出してきた時とかに。鹿島って、魚屋さんがたくさんあったんですけど、魚屋さんって売れ残りが出ると商品全部廃棄じゃないですか。保冷設備が無い昔ながらの魚屋さんは、スーパーが出来たらもう駄目でしたね。それに、鹿島には高校が無いってのが響いてるな。若者が鹿島のお店に愛着を持っていないってのがあるんですよ。若者は原町や相馬に洋服を買いに行ったり、学校帰りに美味しいものを食べてきたりしてくる。鹿島でそういう風に買い物をしたりする感じじゃ無くなっちゃってるんですよね。そんな感じもあって、鹿島の人は「他の地域にお客さんを取られちゃう」っていう意識が強い人がどうも多くて、そこに愚痴をこぼしちゃったりもするんです。そういうところにやり辛さを感じる事も、正直あるんです。

――う~ん確かに「原町はよぉ~」「相馬はよぉ~」という言葉も、聞かない事も無いですね。

高橋 新しくお店がオープンしても、みんなで一緒に盛り上げていこうという感じにならなかったりするんですよね。

――その辺りはちょっと残念ですね。確かに自分の地域に対して自虐的な人は多いような気もするなぁ。

高橋 逆に言うと、名物も無いし、収入面でもちょっと低い。「衣食足りて礼節を知る」じゃないですけど、収益が低いから卑屈な感じにもなっちゃうし、卑屈な感じになっちゃうから収入も上がらないのかな…とは感じちゃうんですけど。そういう雰囲気は壊したいですね。それと、浜通りって名物が少ないと思いませんか?海の幸も山の幸もとても豊富なのに、名物が足りない。気候が温暖で、年中商売が出来る。そうなるとお店の維持に頭が向かってしまう。店番もしなきゃならないし、資金繰りやら掃除やら、色々な事を1年中意識しなきゃならない。そういう地域と、冬場は雪がひどくて農作業も出来ず、名物を考えたり出来る時間があるような地域では、どちらが良いのか。「みんなで協力して名物づくりするぁ」なんて場所がなんて地域の方が、商売のメリハリが利くような気がします。

――でもそれは、豊かさの表れですよね。今でこそ「名物が無い」危機感ってあるかも知れませんけど、今までは名物が無くてもやってくる事が出来たんだという意味ではね。
 
■ 「名物の必要性」に迫られている感じは確かにある。商売をしていく上では、一目でその土地のものと分かるような柱となる名物がある事は、物凄い強みだ。昨今のB級ご当地グルメもそうだろう。豊かな土地であるがゆえに、名物に頼らない商売が出来ていたというのは、何とも皮肉な話ではある。
 
 
――今こうして「名物が必要だ」という状況になってる時に、それを生み出す土壌や体制は必要ですね。
 
高橋 自分一人で「これが名物だ!」って言い張ったところで、周りがそれを認めてくれないと名物とは言えない。みんなで協力しないと名物にはならないんですよね。
 
――福島全体で言えるんですけど、器用貧乏ですよね(苦笑)。桃やらリンゴやら、全国2位や3位のものがやたら多いし(笑)。一つのものに特化しなくても良い「何を作っても結構イケる」みたいな。
 
高橋 自分の中では「1店舗1品」「1地域1品」みたいな考えを持ってます。「この店はこれ」「この地域はこれ」みたいなものを作っていく。その方が楽だし、名物づくりで協力体制を作りやすいかなと。

――そんなイメージで出来た名物が、例え「会津のソースかつ丼だったりするんでしょうね。

高橋 ソースかつ丼だったり、カレー焼きそばだったり、色々あるじゃないですか。そういう名物って、みんなで協力してるから生まれるわけで。

――その辺りになってくると、まさにまちづくりの話になってくるわけで、時間はかかりそうですけど、取り組む価値は有りそうですね。私も個人的に少しそれを考えてみますよ。

高橋 本当は、数店舗単位でも良いんで、小さな規模での成功体験を共有するのが一番良いですね。「試しにこんな事やってみたら上手くいったから、今度はみんなでやってみんなで儲けようぜ(笑)!」みたいな感じになってくるのが、ある意味良いんだろうなと思うんですけどね。

――「たこ焼 円達」のF-1での成功体験なんかも、共有出来れば町おこしのきっかけになりそうですね。

高橋 そうなれば良いんですけどね。そんなやり方がやりやすいですし。で、「何だよあいつらだけ儲けやがって!」なんて事を言われたら、「じゃああなたも仲間に入れば良いじゃない!」くらいの考えでいたほうが良いのかなって(笑)。

――今の南相馬って、まぁ良くも悪くもですけどネームバリューがあって、その分発信力もあって、新しい取り組みもやろうと思えばやれちゃう環境だと思うんです。そんな流れが作れたら面白いですね。いやぁ~今日はありがとうございました。高橋さんって、お祭りやイベントの出店にも積極的で、「そこにはどんな想いがあるんだろうなぁ?」なんて事を常日頃思っていたんですけど、今日は商売という視点からのお話を窺えて、何となく腑に落ちました(笑)。

高橋 こんな話をしつつ、自分の道がビチーッと決まってるってわけじゃないんですけどね(笑)。

――そんな「自分の道がびちっと決まってる人」なんていませんって(笑)。

■ ご自身の話、たこ焼店の続けるにあたっての話、地域全体での商売の話、地域性の話と、様々な事を語って頂いた。それぞれの事柄について、かなり深い部分まで語ってくれたように思う。けど、これら様々な話には、共通するテーマがあった。高橋さんもたびたび発言している「居場所をつくる」という事、つまりはステージを整えるという事だ。言い換えればこれは、自分たちが暮らしていくための土台を整えるという事かも知れない。まずは自らの身を置く場を、次に自分に出来る事をつくる。そしてそのレベルを上げる事に時間をかけて取り組む。さらにはそれを地域に波及させる事で、土台をより確かなものにする。そんなステップを進んでいる高橋さんを、お話の中から感じる事が出来た。
イベントや祭への積極的な出店は、もちろん商売的な意味合いもあるだろう。ただ、リスクと手間をかけてそれを行うのは、それによって地域にもたらす効果があるという事を分かっているからなのだ。つまり自らのノウハウを地域の他者へ水平展開し、みんなで良いものを作りたい、そして商売の面でもみんなで盛り上げていきたいという想いがあるのだ。「名物をつくりたい」という事も、そこから派生する事柄なのだろう。
もしかしたらその「みんなで」という想いは、仙台で過ごしていた頃、自分の周りに人が集まって、みんなの居場所が出来たという体験から生まれているのかも知れない。邪推かも知れないが、そのころの体験を楽しそうに話す高橋さんを思うと。そんな気がしてならないのだ。
そんな高橋さんは、今もまだ自分の居場所を模索中だという。そんな高橋さんは、これからも新しい取り組みを生み出していくだろうし、ますます美味しいものを提供してくれることだろう
~終~

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