ダイアログインタビュー ~市井の人~ 高橋秀典さんさん 「『認めて貰える居場所』づくりの旅」9

高橋 そこから、お客さんに認めて貰った事であるとか、復興グルメで賞を取った事であるとか、売り上げが上がった事であるとかが、みんなの意欲につながってる。

――この賞状が並んでる事は、やっぱり嬉しい事なんですね(「さくらはる食堂」の店内には「復興グルメF-1大会」で獲得したたくさんの賞状が飾ってある)。

高橋 私より従業員の方が喜んでますね。私としては「勝ち過ぎ」な感じがして微妙な感じもあるんです(苦笑)。こういう大会って、独り勝ちしてしまうと、他の参加店のモチベーションが落ちてしまうし。

――確かにこれを見る感じだと、たくさん勝ってますね。優勝が2回、準優勝が3回…。

高橋 本当は貼り切れずに仕舞ってある賞状がまだあるんです(苦笑)。こういう大会って、地元優勝は当たり前で、「準優勝が実質的なトップだべ!」なんて声も上がったりするんだけど、うちは準優勝もたくさん取っていて、結構肝を冷やしたなんて事もあって(苦笑)。あんまり勝ち過ぎちゃうと、他の参加店や地域に対して…どうなのかなぁと思うところもあって。

――お店の経営者としては、そんな評判も気になるところではありますね。やっかみみたいなもんかもしれませんけど(苦笑)。

高橋 自分としては、賞を取り続ける以外にもモチベーションが上がるものを、見つけながら大会には参加して欲しいとは思いますけどね。

――それって例えばどういうものですか?

高橋 他の参加者と交流するとか、他の参加者の商品も認めるとかという部分に価値を見出す事も重要だよという話はしてるわけなんですけど。

――この間のF-1では、18店舗くらい出店したんでしたっけ?

高橋 18店舗です。

――他の出店者との交流ってのも結構あるんですか?

高橋 うちらはまあまあありますね。

――よその地域からも結構参加してましたよね。

高橋 交流は結構ありますね。F-1大会が無かったら、陸前高田や南三陸や気仙沼といった地域の人たちと交流する機会は無かったと思うし。自分にしてみれば、幅が出来たなという部分は非常に大きいですね。

――それって震災きっかけだったわけですけど、それ以外に震災で変わった事ってどういう事がありました?

高橋 う~んと、他の地域を目の当たりにしました。話も直に聞かせてもらいましたし。この地域は原発事故の影響が大きいわけですけど、他の地域は津波被害なんですよね。津波で全部店舗が無くなっちゃって、仮設に入っているって人ばっかりなんですよね。この地域とは事情が全く違うなと思うと、苦悩してる部分もまた違って聞けるなと思いました。F-1で他の地域に行くと、前日から泊まったり、懇親会に参加したりするじゃないですか。そういう中から「今度南三陸からさんま買うから!」なんていう交流も生まれてるし。そういう事や、「おたくのこの商品はどうやって作ってるの?」「おたくのこの商品は美味しいね!」なんて具合にお互いの商品を認め合ったりするような関係から、本当の交流が生まれるんだなと思うし。単に飲み会をやるだけじゃなく、地域や商品の情報を交換し合ったり、地震や津波被害からの再建の話を聞いたりする事で、本当の交流になっていくんだなと思いました。

――よく「地域間交流」や「被災地間のつながりの重要性」なんて事が言われますけど、単なるコンテストじゃなく、F-1がきっかけでそうした本物の地域間交流が生まれてると。だからこそ、F-1って続いてるんでしょうね(「復興グルメF-1大会」は、このインタビューを行った時点で12回も開催されている)。

高橋 うん、そうでしょうね!けど、震災から5年たって、F-1も事情が変わってきてるなという気はしてます。というのも今、参加者も仮設店舗から本設店舗へ移行に向けての動きを起こしている時期なんですね。そうなると、一からお店を立ち上げるようなものなので、F-1だけに力を入れられる時期ではなくなってきてる。本当の意味で独り立ちしようとしてる時期がやってきてるんだなと思います。

――それって、ここの福幸商店街にしても同じ事が言えますね。ここも仮設商店街ですし。ここの福幸商店街はいつまでなんですか?

高橋 その辺はまだはっきりしてないんです。一応平成30年の10月頃までは出来るだろうと言われてはいるんだけど、その先は白紙です(現在「さくらはる食堂」の経営は終了し、2019年1月に小高区にオープンした小高交流センター内で「めざせ!殿様食堂」の経営に移行している)。

――仮設住宅の入居者も減ってきてますし、復興関係で南相馬に大勢入っていた作業員の数も減ってきますしね。そうなると客数も客層も変わるでしょうし、ここの福幸商店街のあり方も変わってくるでしょうね。

高橋 ここの仮設商店街ってのは、さっきも言ったように、他の地域みたいな「津波で呑まれて全部無くなったと人」とは違う人たちが入っている。地震で一部壊れた部分を手直ししたら戻れるとか、原発事故の影響で避難を余儀なくされたけど、今は避難指示も解除されて、営業も再開して良い事になっているとか。全く全てが無くなってしまった地域のように、みんなでまとまって一から作っていこうという風には、この地域はなかなかならず、仮設商店街の店舗も歯抜け状態でバラバラに抜けていくような感じにはなっちゃうんですよね。

――足並みが揃わない……と。そういうもどかしさがあるわけですかぁ。高橋さんって一時期、ここの仮設商店街の商店会長さんをされてましたよね。

高橋 はい。今は違いますけどね。

――みんなの足並みを合わせるには、何が必要なんですかね?

高橋 足並みを揃えるには……ねぇ。

――そもそも足並みを揃える必要があるのかなぁという気もしますが。

■ 確かに南相馬の場合、それぞれ被災の状況が違う。もともと営業していた店舗自体は残っていて、他の事情で仮設商店に入って営業している事業者も多い。しかも、残っている元の店舗も、半壊なのか、一部損壊なのか、はたまた全壊で今は土地しか残っていないのかといった具合に残り方も違う。そんな中で、それぞれ別の状況を抱えた事業者同士「足並みを揃えよう」という方が無理があるのかも知れない。となると、今いる事業者で一緒に何かをするという事以外の方法が、この地域全体の商売の保全の為にも必要になってくる。そこに高橋さんはジレンマを感じているようだった。

~続~

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