ダイアログインタビュー ~市井の人~ 高橋秀典さんさん 「『認めて貰える居場所』づくりの旅」3

――30代後半辺りで、自分のそういう特色に気づく人って、実は多いんじゃないかなと思いますよ。かくいう私もそうですし。いや、私は40歳過ぎてから気づいたかも(笑)。

高橋 そうなんですか(笑)。んで、30歳の頃からたこ焼き屋を始めて、そこから食に関わる事を商売としてやってきたんです。そんな中で、さっきも言った通り、「どうやったら周りが認めてくれるだろうか。」「地域に役立つやり方はどんなやり方だろう。」みたいな思いが30歳代で芽生えてきて、それを模索し続けて…商売的にもがいてた時期に研究しながらやってきて、そこで見つけた「点として自分の中にあったもの」が線としてつながってきた事で、賞なんかも頂けるようになってきたと。それが40歳を過ぎた今起こってる事です。

――じゃあ30歳でいきなり原町にお店を構えたんですか?屋号も「たこ焼 円達」で?

高橋 そうなんです。

――今となってはこの地域でたこ焼と言えば「たこ焼 円達」というイメージがあるじゃないですか。お世辞でも何でも無く。F-1(復興グルメグランプリ)でグランプリ取ったって事もありますし、実際美味しいし!

高橋 以前はこのあたりにたこ焼屋って結構たくさんあったんですよ。一時期たくさんたこ焼屋が出店した時期があって。うちはそのハシリなんですけど、今でも営業してるのはうちだけですね。

――1件だけありますよね?旧国道(鹿島区の中心部を南北に貫く形で通っている、福島県道120号線の通称)沿いに(このお店はいつもしまっているのだが)。

高橋 あそこはフランチャイズの「たこ焼サンタ」というチェーン店なんです。震災前は勢いがあって、全国的にチェーン店を出してましたけど、最近はチェーン店自体勢いが無いですね。どうしちゃったんだろうって感じです。あそこにお店を出したのも震災前だったと思うんだけど。2年間くらい営業してたかな。その後は大晦日だけ、近所の御子神社(鹿島区の中心部にある由緒正しい神社)にお参りに来る人向けに営業したりしてるみたいですけど。

■ 自分の居場所や出来る事を模索し続け、途中引っ越しなどもしつつ、15年に渡って暖簾を守ってきたのが「たこ焼 円達」なのだ。鹿島区という場所は、市場の大きさで言うなら小さいと言わざるを得ない。そこは仕方がない。けど高橋さんは、そんな市場に文句を言うでもなく、思わぬところで沸き起こった競争にも生き残ってきたのだ。そこに注ぐエネルギーの質は、どうやら震災の有無に拠るものでは無さそうである。これより先、高橋さんの言う「模索してきた」事がどういうものだったのか…という方向に話は進んでいく。

~続~

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