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私のエピソード・ゼロが終わった──映画『永遠が通り過ぎていく』監督・戸田真琴と振り返る3年間

※この記事は戸田真琴監督映画『永遠が通り過ぎていく』の上映を記念した特別インタビューです。


2022年4月1日より、映画『永遠が通り過ぎていく』が、東京・アップリンク吉祥寺のほか全国の劇場でロードショーされます。上映を前に振り返る、制作スタートからの約3年間。幾度も編集が施されてきたのは、作品だけではありませんでした。監督を務めた戸田真琴も、一時は自信をうしない、また再生しつつある心で、次なる光を手にしつつあります。


「これまでが、私のエピソード・ゼロでした」──“戸田真琴”の変化を今に留め置くための上映記念インタビュー。

(文:長谷川賢人/写真:飯田エリカ)



映画がほんとうに叶えてくれるもの


──制作開始から2022年4月の劇場公開まで、この約3年間を振り返ってみると?


2019年の春頃から動き始め、クラウドファンディングでご支援をいただき、夏から秋にかけて撮影しました。11月には支援者向けの先行上映会、12月に『MOOSIC LAB 2019』の特別招待作品として、アップリンク吉祥寺で2回上映されました。


ただ、2020年は新型コロナウイルス感染症の最中で、映画の配給についてもうまく進まず……自信をなくしていった一年でしたね。


──それは、なぜですか?


明確に言ってしまうと、その当時にご覧いただいた方からの評価が芳しくなかったからです。映画レビューサイトなどの感想に、歯がゆい思いを抱くこともありました。


それから、観る側が持つ「戸田真琴」というフィルターのようなものへの意識にも影響されていました。この作品は成り立ちとして、クラウドファンディングで「AV女優の戸田真琴」ファンの方々に多くの力を寄せていただいています。KAI-YOU.netさんなどのコラム連載や、その他の出会いを通じて好きになってくれた方もいるとは思うのですが、いずれにしても、前提に「戸田真琴」に関する情報が混ざったなかで鑑賞することになります。


たとえば、「私のファンでなかったとしても、この作品に心を寄せてくれただろうか?」と想像すると、それをできる人も、おそらくは難しい人もいます。こちらに届く評価を見ても、「世の中に必要のないものを作ってしまったのではないか」と、考えがマイナスに強く引かれていきました。「自分は映画制作に向いていない」といった自責の念まで湧いて、落ち込んでいたのも事実です。


──念願叶って映画監督になれた、という喜びだけでは済ませられなかったと。


本来、私は「映画監督になりたい」とは思っていませんでした。あらゆるインタビューで「映画監督になりたいのですか?」と問われたとき、その答えの期待が見えるからこそ、止むを得ずに「なりたいです」と返すこともありましたが、本当のところは違います。


私が求めるのは映画監督という肩書きではなく、私の目に映る美しいものを他者へも見せてあげられる人間になることです。それは文章を綴るだけでは届くことのない望みであり、叶えるために映画は手段の一つではあり得ました。


確かに『永遠が通り過ぎていく』は、数々のご縁や協力が重なったからこそ生まれたものです。ただ、当時の私にとっては、映画を作らざるを得ない状況になっていた、というのも本音です。



「自分で自分を認める」という物語を撮る



──数ある表現の手段から「映画」を選択しなければならない理由があったわけですね。


理由はいくつかあります。まずは「AV女優の戸田真琴」と「本来的な自分」のアンバランスさに依るものです。


AV女優の活動は、もともとの自分の性質とは真逆なところで行われてきました。『あと1年でAV女優を引退します』というnoteにも書いたのですが、私はアダルトコンテンツから精神的に遠い場所で育ってきた人間です。「あまりにわからないことだから、それを仕事にしてみたら何かが変わるだろうか」という極端な好奇心もあって、AV女優を始めました。


2016年にデビューして数年が経つと、その真逆さゆえに、「戸田真琴」という女優が好きでAVを観ている方に不誠実ではないか、自分という人間の本分を誤解させてしまっているのではないか、と罪悪感が募っていきました。誤解されたままでは放っておけない性格もあって、偏ってしまったバランスを「本来的な自分」へ戻したい、と考え始めた頃です。


処理できないままの思いに決着を付け、自分で自分を愛し直し、フラットな状態に正していきたかった。その状態でなければ、表現者として他者へ何かをお見せするのは憚られることだからです。


それから、コラムや寄稿などで映画という芸術への向き合い方を評価していただく中で、「ご自身で映画を撮られないのですか?」と聞かれることも増えていました。もっと率直に「いつから撮るの?」と期待されることも。その言葉は、戸田真琴が発してきた「いつか映画を撮りたい」の声を汲んでくれたからなのでしょう。けれど、「本来的な自分」は人間としてずっと弱く、その全てがプレッシャーへつながって、いつからか「自分は映画を撮らなければ許されないのではないか」という感覚に囚われるようにもなっていました。


映画に関する理想を言えば、表現者でありたいことも内緒のまま、AV女優として十分な稼ぎを得て引退してから、「戸田真琴」とは関係のないところで撮りたかったんです。でも、私はAV業界に身を置く一人として、自分の内面的な個性を出さないままで割り切って活動するだけでは、AV女優として十分な人気を得られないことを勘づいてしまいました。言葉や行動で「本来的な自分」を小出しにするしかなくなっていった結果、映画というものにどうしても結びついていきました。


それならば、自分の存在がアンバランスに混ざってしまった現状から、少しずつ「本来的な自分」へ寄せていく“獣道”しか残されていないのだろうと考えたのです。映画を作るには資金やチャンスも必要ですし、「戸田真琴」として関わることで観る人が増えるかもしれない、という邪な考えもありました。クラウドファンディングという方法を取ったのは、それ以外に制作のための手段がなく、活動を周知させたい意味合いもあったからです。


もう一つの大きなきっかけは、大森靖子さんが『M』という楽曲を発表されたこと。この楽曲は、公には「ある女性からの手紙がもとになった」と言われていますが、まあバレバレなので言ってしまうと、送り主は私です。個人的に寄せたお手紙でしたが、それを読んだ大森さんから「まこりんの曲を作ってもいいですか?」と連絡をいただきました。了承はしたものの、どのような形になるかは知らないままに、私は大森さんの配信ライブで初めて『M』を耳にしたんです。


──なるほど、驚きもあったでしょう。


そうですね。歌詞の多くが手紙に書いた言葉のままだったので、正直、困惑もしました。でも、大森さんにとっての音楽が「全てを曝け出すもの」ならば、そのスタイルや芸術への観点を、私は否定したくはありませんでした。それに、ひとたび聞かれた時点で、その音楽は作った誰の手からも離れて「聞いた人のもの」になるのだと思っていますし、その歌を「良い」と感じた気持ちも、それぞれで大切にしてほしかったんです。


ただ、聞いた人の中に『M』を戸田真琴のストーリーだと思う方がいるのであれば、私も一介の表現者ではあるので、そこにも自分なりの文脈や見え方を加えたいという欲望が生まれました。『M』に歌詞とは全く異なる映像をあえて当てたのは、この歌詞の主人公が向き合っていた景色を踏まえて、自分で自分を愛することについて語り直そうと試みているからです。あの映像に居る2人の少女は、経験した美しさやつらさを共有し、悲しみや同情を分かち合い、時に仲良くもするという過程で、それらを表現しています。


結果として『永遠が通り過ぎていく』は、一本の「私」という物語とは違って、『アリアとマリア』『Blue Through』『M』という三篇構成の全てが揃って、ようやく「私」が立ち上がる、という作品になりました。実は最近、劇場公開のフライヤーを眺めていて感じたのですが、この三篇はそれぞれで対応している「相手」の範囲が、どんどん狭くなっていく構成になっているのだと気づきました。


『アリアとマリア』は自分と“自分以外のすべて=世界”との関わり、『Blue Through』は自分と自分の愛とそれを向ける他者との関わり、そして『M』は自分で自分を愛することについて。『永遠が通り過ぎていく』は、やはり映画を撮らざるを得ない状況にあった私が、「自分で自分を認めること」にまつわる物語を映し出したのだと思います。


そういう意味では、クラウドファンディングで取り組む作品としては、すごく相性が悪かったのではないか、と反省しています。支援者の方には、私のわがままに協力していただいた思いが強くありましたし、できあがった作品に落胆し、離れていった人もいるでしょう。そこへの葛藤も含めて、物作りの苦しさなのだろうとも感じています。しかも実際に、2020年は自信をなくしていく結果になったのですから。



池袋の上映会で、この作品の意味が変わった




──そこから、あらためて劇場公開へ進めたのは、いかなる心境の変化があったのですか。


私は「実態の伴わない慰めを自分にはしない」と決めているので、無理やりに前を向こうとしたわけではありません。3年という長い時間で、気持ちを整理整頓できたのが大きいですね。苦しかったり、悔しかったりしたことについても、ある程度は俯瞰して見られるようになっていったんです。


きっかけは、少女写真家の飯田エリカさんと「グラビア写真」のあり方を再定義するプロジェクトの『I'm a Lover, not a Fighter.』を始めたり、コラム連載やエッセイの執筆といった書き仕事をいただいたりするなかで、その表現のために自分自身と向き合い続けざるを得なかったことが大きいです。その度、精神を見つめる目線にも変化を感じ、それを積み重ねるなかで、自らを卑下するような気持ちが薄まっていきました。


私が作った映画は全く価値がないものではなく、観て何も感じない人がいるとしても、その人の基準に評価を合わせることはないのかなぁ、と。むしろ、自分のなかでは何か大事なことを成し遂げたような思いもよぎりました。ただ、クラウドファンディングでご支援いただいた作品を正式上映できていない状態は、まるで借金を負っているような苦しさにも似ていました。


飯田さんは「この映画は上映すべき」と励ましてくれましたが、心のどこかで価値について疑う私もまだいる。でも、全てを受け入れた上で、一つの「けじめ」として上映会をしようと決めました。それが叶ったのが、2021年10月に池袋のホールミクサで開催した『ミスiD presents「永遠」を探す日』です。



「観たくて来てくださる方にご覧いただいたら、『永遠が通り過ぎていく』とはお別れしよう。もう映画を撮ることもきっとないだろう」と思っていましたが、上映後に「映画の感想」とは思えないような密度で、人生と照らし合わせながら言葉を寄せてくれた方々がいたんです。上映会後のトークに参加してくださった長久允さんや根本宗子さんといった、最高の映画や演劇を作る方たちも「作り続けてほしい」など心からの声を掛けてくださって。


上映イベントを通して、私の中にあった強迫観念にも打ち勝てました。それは表現に対しての主導権を、誰かに握られているような感覚です。「確かに『永遠が通り過ぎていく』は私の映画であり、いつの間にか外へ出てしまっていた言葉たちを私のビジョンへ取り戻す行為であり、私が私をあらためて愛するための行動だったんだ。それに今、やっと成功したんだ」と、池袋まで足を運んでくれたみなさんに観ていただくことで実感できたんです。



──本作を公開する意味を見直せた、ともいえそうですね。


この映画は「私が、私を取り戻すため」という極めて個人的な理由で作りました。世界のどこかにいるターゲットに共感してもらったり、その人を具体的に救ったりするためのものではありません。ただ、破壊から再生への道順は、扱われている対象が異なっていたとしても、誰もが似通っているはずです。だからこそ、「私を取り戻す」に至った道のりを開示することには大きな意味があるのかもしれない、と考えられるようになったんですね。


この3年間は『Blue Through』にとっては幸福だった



──先行上映会や上映イベントなど折々で作品を観てきましたが、三篇では『Blue Through』が大幅に編集し直されています。なぜ、あれほど変えることになったのでしょう?



先行上映会のバージョンは、外部の方へ編集をお願いしたものです。それは、ひとえに私が『Blue Through』に心理的に向き合えなかったせいです。現場トラブルも多くあり、時間的な制約からそもそも撮れなかったシーンがあり、素材も足りていない状況で……編集の中心に据えるべきビジョンが全く見えなくなってしまったんです。


それでも、どうにか映画の形として見せられるものにするべく、まずは委託することにしました。その次のバージョンからは、私が編集しています。


──再び向き合えるようになった契機があったのですか。


小説を書いたのは、大きなきっかけでした。書肆侃侃房の文学ムック『ことばと』に寄せた『海はほんとうにあった』です。


劇場公開までの3年間で、私はエッセイや小説といった言葉を書く仕事に取り組んできて、一つ新しく得られた観点がありました。私にとって表現することは、自分の中に住まう17歳や19歳といった「当時の私」が持つ感覚や感情を、物語の形へ変換する術でもあると思えたんです。


最も近いのは漫画のようなイメージなのですが、たとえば美しい見開きのページが頭に浮かぶ。それを描写することに素直になって、見えている景色をなるべく過不足なく文字に起こしていく。それができたとき、小説という形に落とし込むことができました。そして、『海はほんとうにあった』は、実は『Blue Through』と同じ感情を源泉として書いたものです。

『Blue Through』を撮った頃は、その感情は言わば「生傷」みたいなもので、さらには撮影を終わらせないといけない意識が強く、触れることさえ難しかった。それが『海はほんとうにあった』を経て、かなり俯瞰できるようになったんです。この映画にとって大事なシーンはどこだったのか、それをきちんと伝えるためにはどういった配置にするべきか……。


そこに、スチールとしても加わってくれていた飯田さんが、撮りきれないシーンがあることをわかっていて、現場でたくさんの写真を押さえてくれていたんです。それらの写真を交えて再編集を施し、自分が思い描いた本来あるべき姿に寄せられました。


さらに、今回新たに作った劇場パンフレットに、『Blue Through』で撮りきれなかったシーンを短編小説の形にして収めることができたので、ぜひご覧いただきたいです。その意味では、上映までの3年間には心苦しいことが多かった一方で、『Blue Through』にとっては、とても幸福だったといえるのかもしれません。



今までが、私にとってのエピソード・ゼロ


──最後に、ひとつ想像を聞かせてください。今回の上映がすべて終わり、観客が去ったあとの劇場に一人残ったとき、どのような感情を抱くと思いますか。


「今度は、私が撮りたい映画が、撮りたい」

たぶん、私は映画が好きなんです。いまさら、あらためて。自分の心と共鳴し合える、自分にとっての美しさを表してくれる映画に出会うと、私は本当に泣いてしまいます。


たとえば、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』。アダム・ドライバーが演じる、バス運転手が過ごす1週間を描くだけの映画です。ある朝、妻が「夢の中で見た銀色のゾウ」の話をするシーンは、本当にただの日常でしかないのですが、わぁっと泣けました。


それはきっと、ジム・ジャームッシュが見せてくれた「美しさ」と、私の心が日々求めている「美しさ」が、まるで同じくらいに釣り合っていて、生きることの悲しみが減ったからなのだと思います。


そんな体験をくれる映画が、私はすごくすごく、好きです。だから、すばらしいと思える役者や美術と共に、アングルも音楽も編集も、全てのタイミング、全てのバランス、全てのタイトルで、誰かの期待に応えるでもなく、自らの純粋な好奇心と欲望のみで物を作りたいです。それは、今までに経験したことがありません。たくさんの協力を得ながら、それでも遠慮せずに、どれほど難しくてもたどり着きたいところへ近づけたらいいですね。


でも、まずは今回の劇場公開です。観てくださる方々のおかげで、まだどこへもたどり着いていない私ですが、そんなふうに思えるまでになりました。



──今のお話を聞くに、戸田真琴として作った『永遠が通り過ぎていく』とは、また違った旅が始まるのだと感じさせます。次の映画は「シーズン2」ではない、というか。


そうですね。AV女優になるまでの自分は、それこそ「マイナス500」くらいからのスタートだったと思うんです。それが今、やっと人間として、イチからやっていけるような気がしていて。言うならば、今までが私にとってのエピソード・ゼロ。長い、長い、エピソード・ゼロでした。だから、どうあっても、ここから歩いて行けます。きっと。


映画『永遠が通り過ぎていく』

2022年4月1日(金) アップリンク吉祥寺にてロードショー

監督・脚本・編集:戸田真琴
出演:中尾有伽 竹内ももこ  西野凪沙 白戸達也 五味未知子 イトウハルヒ ほか
劇中歌:大森靖子『M』
音楽:GOMESS  AMIKO
共同プロデュース:飯田エリカ

2022年/日本/ 配給 para/カラー/60分



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戸田真琴
ありがとうございます!助かります!