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昔から変わらない私を人は「変わった人」と言うらしい:変身

喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
私はよく「変わった人」と言われます。
一口に「変わった人」と言っても、その意味を関する言葉は多種多様で、それらの中でも実際に言われた呼称としては「変人」「変わり者」「偏屈」「個性的」「社会不適合者」等々。
個性的はまだしも社会不適合者は流石に手放しで喜ぶ事は出来ませんね。

友人や教授は「そこが君のいいところ」なんて言うのですが、自分としては素直には受け入れられないわけですよ。
みんな違ってみんないい、な世の中で育ってきたならまだしも、行進と前へならえと右向け右を若干6歳から英才教育で叩き込まれる国で育成されてきたわけですから、
私だけ足並みがずれていたり、前に人が居なかったり、もしくは左を向いていたりするならば、それはもう心配にもなるわけです。

と言っても、私も少しずつ悟ってきた部分はあるわけでして、
これだけ、やれ変人だの変わり者だの言われても、それを言ってくれる友人は居るのですから、決して仲間外れにされたり誰かの人生を台無しにするほどの迷惑はかけていないわけで。
だから、変人でも変わり者でも偏屈者でも個性的でも社会不適合者でも幸せだなと思うのです。

さて、そんな私ですが、何故人から変わっていると言われるのでしょうか。
ある友人は私にこんな事を言いました。

「東中下層はどんな事にでも疑問を持つ。普通の人間が疑わん事でも。しかも疑問に思ったものがタブーでも口に出すし、その疑問を解決するまで手放そうとしない。そこが人と変わってるし面白い。」

なるほど、普通の人はポンポンと疑問は浮かばないし、たとえ浮かんでもそれがタブーなら口はつぐむし、難しそうな問題なら放置するのか。
自分はむしろタブーだからこそ放っておかずに議論するべきだと思うわけですが。

しかしですね、どれだけ一般的と言われる人であっても小さい時は色々な事を疑問に思ったのではないですか?
なぜ空は青いのかとか、なぜ箸を使って食べないといけないのかとか、なぜ学校で勉強しないといけないのかとか。
そういう批判的な懐疑は多かれ少なかれ誰でも持っていたはずじゃないですか!
それを今になっても持っていることは果たして変わっているのですか?

もしかすると「子どもにはタブーという概念がない。だから疑問がタブーに触れても仕方ない。でも君はすでにそういった概念を知っているのだから自重するべきだ。」なんていわれるかもしれませんが、
それは子どもをなめすぎです。
子どもも十分に親の顔色を窺っていますよ。
ちなみに、昔学校の授業で聴いた話で、果たして本当なのかわかりませんが、イヤイヤ期の子どもは物事を拒否することで、自分の我儘が世の中でどこまで通るのかを見定めているらしいです。

そこで私は思うのです。

私は昔から変わらないという道を選んだ。
「一般的」な人は変わる道を選んだ。
変わる道を選んだ誰かが、変わらない私を「変わった人」と呼んでいる、と。
こうゆう屁理屈もまた私を変人たらしめる一要因なのかもしれませんが。

変身

フランツ・カフカという作家の作品で「変身」というものがあります。
様々な創作物でオマージュされたり引用されることがあるので、あまりにも有名なわけですが。
確かこの作品に出合ったのは高校生の時でした。
学外の模試か何かを受けた時に現代文の試験の中で「変身」に関する評論が使われていまして、そこから興味を持った事をよく覚えています。
一応読んだことがない人のために話しを要約すると、

両親と妹を養うセールスマン、グレゴール・ザムザはある朝目が覚めると自分が一匹の巨大な毒虫に変わっていたことを発見します。理由も原因もない理不尽な事実。家族との奇怪な生活が始まって・・・。

とまあこういう話です。

私が今まで観た映画で一番理不尽な話しは「ダンサーインザダーク」なわけですが、小説となれば「変身」は間違いなくランキングに入ってくる。
そういう小説です。

さて、この物語のどこが理不尽で残酷なのか。
目が覚めると虫になっているというだけでも十分に残酷なわけですが、それだけでは物語をここまで劇的なものにできない。
問題は虫になってしまったグレゴールの中身がグレゴールのままであり、なおかつ彼の周囲は変化していく、という点にあると思うのです。

グレゴールは虫になってしまいました。
話す事は出来ないですし、筆談はおろか、何かをジェスチャーで伝えたりする事すらかないません。
それでも彼は確かにグレゴールなのです。
彼の行動や食の嗜好も少しずつ虫に近づいていきます。
それでも彼は、その身体が人間であった日々の事を思い出す。
虫の姿になっても、一時は家族を養うことを考える。妹のヴァイオリンの演奏が聴こえると、自室を出て一目見ようと試みる。

しかし、家族はそうはいかない。
グレゴールの存在を家族以外に知られてはいけぬと考える。
グレゴールの世話をしていた妹も、最後には彼を見捨てるよう家族に提案する。
グレゴールの稼ぎに頼れなくなった三人はめいめいで自身の職をみつけ、仕事に精を出す。

グレゴールは姿を変えた。
家族は虫にならなかった。

グレゴールは変わらず家族と過去を愛した。
家族はグレゴールを愛することを諦めた。

変わったのは、変わっているのは、変身したのはどちらなのでしょうか?
その答えは「変身」を読んだあなた自身のみが知ることでしょう。

というわけで、今回は私の世間へのちょっとした愚痴と「変身」のレビューでございました。
少しでも「変身」に、またはカフカという作家に興味を持っていただければ幸いです。

それではまた今度。

今回紹介した作品


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