「諦めるな」より「諦めても良い」と言える人間になりたい:銀の匙 Silver Spoon
これまた突然の告白になりますが、
私は今まで20と数年生きてきて二度「もう死んでしまいたいな」と絶望したことがあります。
一度目は中学生の頃に部活でベンチを温める生活が続いていた時、二度目は一年付き合った女性にフラれた時。
今回の記事ではその一度目の事について少し書いていきたいなと思います。
私がサッカーという競技に出会ったのは小学3年生の時でした。
地元のチームに所属していた彼に誘われて体験入部をしたところ、今までスポーツらしいスポーツをしてこなかった自分にとっては、ただボールを追って走っているだけでも楽しくて、
それからというもの、このスポーツの虜になりました。
自分はあまり身体能力が高いわけではなかったのですが、チームの人数も少なかったので試合に出る機会は多分にありました。
また土日の練習だけでなく、平日にはフットサルスクールにも通っていたので、ある程度のところまでは上達する事ができました。
そんな私のポジションはゴールキーパーでした。
身体を張ってゴールを守る。
勝利よりも、負けない事に貢献する。
もともと目立つことが苦手だった私には適任なポジションだったのかなと思います。
中学生になる上での最大の楽しみは部活でした。
自分の大好きなサッカーを、公園ではなくグラウンドで、壁ではなくゴールを使って毎日できるのですから。
それはもう、当初は毎日が楽しくて、朝練は誰よりも先に行ってボールを触ってましたし、一日でも早く試合に出られるように練習だけでなく身体づくりにも力を入れていました。
それでも人生というのはなかなか上手くいかないものでして。
まずどれだけ食べようが寝ようがしても身体が全く大きくならない。
私はゴールキーパーというポジションでプレーしていたわけですが、このポジションは第一に体格が求められるのです。
背の高い素人選手が真っ先に勧められるのがゴールキーパー。
下手くそだけど規格外の体格を持つ選手とうまいが体格に劣る選手ではほぼ100パーセント前者が選ばれる。
中学2年生の時点で身長が150センチもなかった私には無理があったポジションなのかもしれません。
さらに追い打ちをかけてきたのが度重なる怪我でした。
自身の無力感に焦っていた私は無理に練習量を増やしオスグッド病、肉離れ、靭帯損傷といった怪我をたびたび患いました。
年老いていけば病院へ通う事も多くなるでしょうが、おそらく私の人生で通院回数/年が中学生の頃を超える事はないでしょう。
それでも私なり頑張ってはいたつもりです。
怪我をしていてもできる限り練習に参加し、筋トレメニューやボールを使わずにできる練習を独学で学んで行っていましたし、
戦術面についてはチームの誰よりも勉強していたという自負があります。
そんな私の心をある言葉が完全に打ち砕きました。
ある日私は部活の練習を休むために職員室に居る顧問の先生の元へ許可をもらいに行っていました。
当時私は大きな怪我を患っており、ほぼ毎日のように整骨院で治療をしてもらっていました。
いつもなら練習終わりに向かうのですが、その日は接骨院の事情もあって夕方の間に治療をしてもらう必要があったのです。
その旨を伝えると、彼は私にこう言いました。
「なんや、さぼりか。そんなんやとずっとスタメンなられへんぞ。」
「まあ諦めずに頑張れよ。」
先生なりに私を励まそうとしたのかも知れませんが、
正直に言ってもう耐えられませんでした。
背が伸びなくて、その分一生懸命練習すると怪我をして。
それでも腐らずに練習に精を出し、治療や後の怪我の予防を怠らず。
これでさぼっているだの頑張れよだの、果たして私は何を頑張ればよかったのでしょうか?
その日は悔しさやら、やるせなさの涙で夜寝着くことができませんでした。
「どうせ努力なんてしても報われない。誰も見ていない。」
「もう死んでしまいたいな。」
「でも自殺するのは怖いから、明日家を出た時に車でも突っこんでこないかな。」
その日から毎晩のようにこういう事を思うようになりました。
結局私は中学3年間部活動を続けましたが、一度も公式戦にスタメンで出る事はありませんでした。
部活を通して学んだことは間違いなくたくさんありました。
それでも、私の自尊心があれから取り返されたことなど一度もありません。
学んだものと失ったもの。
どちらの方が多かったのでしょうか。
銀の匙 Silver Spoon
荒川弘先生の漫画、「銀の匙 Silver Spoon」。
私の大好きな漫画の一つです。
進学校出身の八軒勇吾は中学での勉強についていけず難関校の受験を断念し、偏差値の低い農業高校に進学をします。逃げてきたはずのこの学校で命を学び、仲間に囲まれ、新たな事にチャレンジしていきます。
酪農青春グラフィティというキャッチコピーで一世風靡した本作。
八軒のトラウマを抱えながらも誰かの悩みに寄り添おうとする姿や、
それに感化され変わっていく友人、彼を支えようとする仲間たち。
まさに超王道青春譚なわけですが、
そんな本作で以外にも最も心に刺さったのが、この農業高校の校長の言葉でした。
主人公の八軒と校長先生の会話のシーン。
先生は八軒の喋り方から、彼が自信を持てていない事に気が付きます。
八軒は自身が進学校にいながら周囲についていくことができず、逃げるように農業高校に進学したことに負い目を感じていると吐露。
すると校長先生はこんな事を言いました。
八軒君は「逃げる」という事に否定的なのだね。
逃げて来た事に負い目はあっても、その逃げた先で起こった事は、そこで出会った人・・・それらはどうでしたか?否定するものでしたか?
逃げ道の無い経済動物と君達は違うんですから、生きるための逃げは有りです。有り有りです。
この言葉を読んだ時、自然と熱いものが目をふさぐように覆っていました。
生きるためなら逃げてもいいんです。
私達には逃げる足が、力が、技術があるのです。
それを「あいつは逃げた」と後ろ指をさされることを怖がったりして逃げられなくなることが大半なのでして。
それで自分の内の何かを殺すくらいなら逃げてしまえばいいのです。
私は高校に入学してからもサッカーを続けました。
自分ではサッカーを好きだから続けたのだと信じるようにしていました。
サッカーが好きなのは本当でしたし、トータルして部活は楽しかったですし、この選択に何の後悔もございません。
ただ、やはり私がサッカーを続けた最大の理由は逃げること、諦めることをプライドが許さなかったというのが一番にあったのだと、今になって思います。
高校ではサッカーではなく別の部活に入ったり、アルバイトをしていればどんな出会いが待っていたのか、とそういう事を夢想する日もあるのです。
確かに、諦めないで、何かに向かって努力をするというのは素晴らしい事です。
そこには誰かを動かす力と、自身の行動を通した学びと、不毛の期間を耐えた自身と。本当にたくさんの感動がその先に待っているのかも知れません。
でも、努力って生きたいからするのではないですか?
死にたくなる努力って何ですか?
どうせ一定数の人々は「諦めるな」と言うのですから、
だったら私は「諦めて良い」と言える人間になりたい。
彼が、彼女が諦めようが諦めなかろうが、新しいステップを踏む時をじっと待ってあげられる大人になりたい。
というわけで、今回は私のちょっとした黒歴史と大好きな漫画「銀の匙 Silver Spoon」についてのお話でした。
少しでも頑張りすぎている誰かさんの肩の荷が下りるようなことがあれば幸いです。
それではまた今度・・・。
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