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文明の利器と愛の表象:ヴァイオレット・エヴァーガーデン

突然なのですが、私はガラケーから携帯電話を使い始めた最後の世代の人間です。
自分の携帯を初めて持ったのが中学一年生の終わりのことでした。
一応スマートフォンはあったことにはあったのですが、まだまだ今ほどサービスは充実しておらず、LINEすら生まれていなかったと思います。
AppleがiPhoneを売り出した時なんかは、「こんなもの誰が買うのだろう」と思っていましたが、今となってはガラケーを使っている人を探す方が難しい。
これだけのイノベーションが一瞬にして起こってしまうのですから、本当に奇妙な時代に生を授かったものだなと実感させられます。

かくいう私も勿論スマホユーザーですし、メールやプレゼン資料等の書類はGoogleアカウントで管理していますし、初めての土地へ赴くにはナビが必須なわけですし、旋毛から爪先までどっぷりと文明の利器に浸ってしまっている始末です。
文明は便利なものです。
人類史とは人間の身体拡張の歴史です。
火も鉄も馬も電気も人間の身体の延長線上に置いてしまう。
それが文明なのです。

それでも、ふと昔を、ガラケー青春時代を懐かしむ事もありますよ。
YUIのCHE.R.RYなんて聴いた時には、もう懐かしさに殺されそうになりますよ。

携帯電話は連絡ツールなわけですから、それすなわち青春におけるインフラなんですよね。
インフラという生命線があるからこそ、恋という生活が存続しえるわけでして。
インフラの形態が変わると生活の様式も異なるのは自明の理です。

スマホの出現によって恋の様式(特に学生の)は大きな転換を迎えました。
まず何よりも、それまでと「初動」が違う!

日本においてコミュニケーションツールの最大手となったLINEは恋の初動に大きな変革をもたらしました。
それはグループチャットが簡単にできるようになったこと。
例えば、クラスやバイト先の人の連絡先を入手するには互いが所属しているグループのチャットから簡単に知ることができますよね。
「この前の授業のノート見せてくれない?」
とか
「今日は遅くまで閉め作業手伝ってもらってありがとうございました」
とか、適当な言葉を考えた上で連絡先をグループから無断で拝借すればいいわけです。

ガラケー世代にそのような方法は適用できませんでした。
連絡先は己で聴かないといけません。
何かしらの言い訳を作るのは同じですが、何よりも状況が違います。
フェイス・トゥ・フェイスですよ。
思春期真っただ中の人間が異性の顔を直接見て、その上で相手のプライバシーに飛び込むのです。
相手の個人性に飛び込むために自身の個人性をさらけ出す。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」がガラケー世代の恋の入り口だったのです。

そういう勇気の第一関門を突破しても問題は山積みです。
相手が赤外線受信機能を持っていないこともあるし、
既読は通知されないから返信が無いと気が気でないし、
変な言葉を送っても取り消しは出来ないし・・・。

それでもこれらの難題たちがReの増殖の喜びを倍増させてくれるのです。

こんな感じで述べてしまうと、やれスマホ世代の恋愛は簡単だ、さぞガラケー世代の恋は難しい、みたいな言い分になりそうですが、話しは勿論そう単純ではありません。
ガラケーより前となるとポケベルだったり、家電だったり、もしくは文通だったりもするので、我々も随分連絡先の入手は簡単になった方なのだと思います。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

私の愛してやまないアニメ作品の一つが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。
戦士として育てられた少女、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが手紙の代筆業という仕事を通して「愛している」を学ぼうとするストーリー。

本作では「手紙」というインフラを通して様々な愛の形が描かれています。
兄への愛、恋慕う者への愛、亡き人への愛、そしてこれから一人で生きる娘への愛。
想う相手との関係性の違いこそあれど、それらは全て高純度高濃度の愛で溢れています。

さて、この物語で重要なのは、キャラクター達が想いを伝えるために手紙を利用することにあるのではなく、
彼彼女らがヴァイオレットというドール(作中での手紙代筆者のこと)に頼ることにあります。
この作品におけるドールの位置づけとしては、字の読み書きができない人の代わりに手紙を書く、であったり、手紙を書きたいけど上手く心を言語化できない人の話しを聴くというものであります。
しかし、ここでヴァイオレットが担う役目はそれだけでありません。
彼女は作中で愛を伝える時に生ずる、ありとあらゆる障壁を取り払う役割もこなしているのです。

依頼者は皆、ヴァイオレットを頼ろうとしている時点で何かしらの言葉を誰かに伝えようと思案しているわけですが、
そもそも、その行為に何の障壁も無ければ彼女を通して言葉を紡ぐ必要はありません。

愛を伝えるには勇気がいる。
性格や社会的な立場のせいで素直な言葉は発することができない。
愛を伝えたい人はもう居ない。
愛を伝える時にはすでに自分が居ない。

どんな愛にも障壁があって、困難があって。
どれだけインフラが整備されようが愛を他者に伝えるには途方もない苦労と勇気が必要で。
そんな愛が、「愛」を知らないヴァイオレットの無自覚な優しさと奔走の末に一つの物語として紡がれていく様に我々を感涙するのです。

いつしか私達は手紙を書くことがめっきり減って、周りから赤外線受信も無くなって、家に固定の電話すら置かなくなって。
無くなったものはたくさんあるのに生活はどんどん便利になって。

それでも「追加」をタップする勇気はなかなかでないし、既読がついても返事が来ない夜は眠れないし、好きな人がSNSで知らない異性と一緒に居ると気がおかしくなりそうだし。
昔よりずっと便利な世の中になっても愛する事、恋する事は難しい。
文明の発達で、愛の表象は変化したけど、その本質は変わらない。

きっと私たちの愛が簡単になる日なんて一生訪れないわけですが、
困難な愛の先の幸福についてはヴァイオレットが教えてくれます。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンはNetflixにて配信されていますので、気になった方はどうぞ。

それではまた今度・・・。

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