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新作落語「ドラゴン、選挙に行く」

 おんぼろアパートの一室に、一人の中年男が訪ねてまいります。
仁志「えーごめんなさいよ、俺だ、仁志《ひとし》だ。誰かいるかい?」
火炎竜「(どことなく間の抜けた調子で)あ、仁志伯父《おじ》さん。こんにちはー」
仁志「おお、火炎竜《ファイアードラゴン》か。相変わらずぬぼーっとしてやがんなぁ。今日はパパやママはいねぇのかい?」
火炎竜「パパとママはどっか遊びに行っちゃったー」
仁志「ああーそうかいそうかい、いやなに、べつに用事があって来たわけじゃねぇんだけどな、今日選挙があるだろ? それでそこの小学校へ投票ついでに、たまには弟夫婦の顔でも拝もうかと寄ってみたんだけどよ。そうかい留守かい。まぁいいや、せっかくだしちょっと休ませてもらってもいいかい?」
火炎竜「うん、いいよ。上がってー」
仁志「ありがとよ。そんじゃまぁ、お邪魔しますよ、と」
 仁志は部屋に上がって畳に座ります。
火炎竜「伯父さんはい、お茶。ペットボトルだけどー」
仁志「おおー気がきくじゃねぇか火炎竜。おめぇもちっとは大人になったんだなぁ。伯父さん嬉しいよ。(一息に飲んで)ぷはー、ああうめぇ。ちょうどのどが乾いてたんだ。(火炎竜をしげしげと見つめながら)しかしよぅ火炎竜、おめぇももう高校三年生だってぇのに、おめぇの名前は、なんというか、いまだにびっくりするなぁ。いつの間にか流行《はやり》になった、キラキラネームっていうのかい? 火炎の竜と書いてファイヤードラゴン。姓は只野、名はファイヤードラゴン。ただのファイヤードラゴン。どう見てもおめぇ、ただの人間だがなぁ」
火炎竜「そんなに褒めないでよー、恥ずかしいよ」
仁志「いや全然褒めてはいないんだけどな」
火炎竜「でも伯父さん、僕の友達はみんなこんな名前だから、僕はなんとも思わないんだよ。クラスには僕の他にもドラゴンがいるし。サンダードラゴン君とか、ダークドラゴン君とか、ドラゴンボール君とか」
仁志「……どうも最後のだけなんかジャンルが違うなぁ。七個集めると願いがかなうやつだなぁうん……。へぇー、するってぇと、学校には何匹もドラゴンがいるのかい。もうドラゴンクエストだねそりゃあ」
火炎竜「そうそう、勇者君とか魔法使い君もいるよ。大魔王君もいるし」
仁志「いるのかよ! 完全に県立ドラゴンクエスト高校だなおい……。そうだ、前々から一度聞こうと思ってたんだがよ、その名前は、パパがつけたのかい?」
火炎竜「うん、そうだよ。ママに内緒で市役所に届けたって」
仁志「(しみじみと)やっぱりなぁ、そうだろうと思ったよ。あいつは子供ン頃から、テストは常に0点、絵を描かせりゃ画用紙をはみ出して机いっぱいに描いちゃって、遠足だマラソン大会だってときぁ必ず一人だけ道に迷って行方不明になっちまうような、もう度の外れた与太郎だったからなぁ」
火炎竜「よたろう……? よたろうって何?」
仁志「ああ、そうかおめぇは現代っ子だから与太郎なんて言葉は知らねぇか。いいかい与太郎というのは落語の言葉でな……(ハッとして独り言をつぶやく)おっといけねぇ、いくら本当のことでも、おめぇのパパは阿呆だよなんて、わざわざ年頃の甥っ子に言うことじゃあねぇ、なんとかごまかさねぇと……(エヘンエヘンと咳をして、さも立派なことであるように声を張り)えー、与太郎というのはな、常識の枠にしばられず柔軟な発想を持った、非常に個性的かつユニークな人のことをいうんだよ」
火炎竜「(深く感心した風にうなずきながら)なるほど、パパはまさに多様性の時代にふさわしい人間なんだね」
仁志「(戸惑った様子で)え? ああそ、そうそう! その多様性ってやつよ多様性! 多様性は大事《でぇじ》だからなぁあっはっは! ……ぼさーっとしてると思ったら急に難しいことを言い出すねどうも……(話題を変えようと)そういえばおめぇ、もう十八歳になったんだろ? 選挙は行ったのかい?」
火炎竜「うん、この前総選挙に行ってきた!」
仁志「……総選挙? 今日やってるのは市長選だし、はて総選挙なんてあったっけ?」
火炎竜「やだなぁー伯父さん、知らないの? これだよこれ」
 火炎竜は戸棚から一枚のCDを取り出しまして、伯父さんに渡します。
仁志「このCDがどうしたってんだ? ああー、なんだAKBか。アイドルの選挙に行ってきたのかい」
火炎竜「違うよ伯父さん、AKBじゃないよ」
仁志「(CDジャケットの文字をじっくり読んで)えー? だっておめぇ書いてあるのはAとKとBで、つまり、AKBだろ?」
火炎竜「ロシア語だよ、ロシア語。エーケービーじゃなくて、アーカーベー」
仁志「あかんべぇ? あー、ロシア娘のアイドルかい。道理で、写真をよーく見たらみんな金髪で目も青いや。(不審な顔をして)でもよぅこれ……着てるのは軍服かい? 迷彩柄で、映画に出てきそうだなぁ。あとよぅ、この娘さんたち、なんで全員人殺しみてぇなおっかねぇ人相してるんだ? でっけぇ銃も抱えてるし、エーケービーっつうより、これどっちかというとKGBじゃねぇのか。(CDを振りながら)曲はどんなのが入ってるんだい?」
火炎竜「曲はねぇー、うーん曲っていうか、全然分からないモールス信号が入ってる」
仁志「モールス信号? やっぱりKGBみてぇだな。でもエーケービーの真似《まね》で選挙やるくれぇだから、握手会もやるんだろ? どうせCDなんかおめぇ、女の子会いたさにこづかいはたいて買うようなもんだもんなぁ」
火炎竜「うん。僕、ナターシャって娘《こ》が好きだからCD買ってるんだー。でも握手会じゃないんだよ、みんなで見張り会するの」
仁志「見張り? いってぇ何を見張るんだい」
火炎竜「防衛省とかー、自衛隊の基地に行ってー、出入りする人とか車を見張るのー」
仁志「いよいよKGBじみてきたなおい……。まぁとりあえずそっちはいいや、アイドルじゃねぇ方の選挙はどうなんだい? 行ったことはあるのかい?」
火炎竜「僕まだないんだー。なんかよく分かんないし、間違えたら怒られそうだし……」
仁志「ならちょうどいいや、これから伯父さんと一緒に投票しに行くか。確かになぁ、こういう作法はよ、意外と誰も教えてくれねぇからな。いっちょ俺が教えてやるよ」
火炎竜「やったー! 行く行くー」
 こうして二人は連れ立ちまして、近所の小学校へ向かいます。
仁志「ほれ、な、そこの体育館で投票すんだよ。靴は履いたままでいいからな。床にシートが敷かれてっからよ。(火炎竜の様子を見て)……どうした急にそわそわして。緊張してんのか? おしっこか?」
火炎竜「ち、違うよ、売店探してんだよ伯父さん。売店どこなのー?」
仁志「小学校におめぇ、売店なんかねぇよ。なんか買いたいんか?」
火炎竜「(とても困惑したように)ええ? 売店ないのぉー? おじさーん、僕まだCD買ってないんだよぉー! CDないと投票できないじゃーん!」
仁志「あっはっは! そうかそうか、おめぇはアイドルの選挙しか知らねぇんだったな。こいつは伯父さんが悪かった。こっちの選挙はな、なんと無料で投票していいんだ」
火炎竜「(びっくりして目をむいて)む、無料なのー? し、信じられない……。で、でも伯父さん、チケットは? 入場チケット買ってないよ! 怒られるんじゃない?」
仁志「心配《しんぺぇ》すんな、入場券はほら、ハガキで送られてくるんだ。おめぇのはさっきおめぇんちで見つけといた。これも無料だよ」
火炎竜「(仰天しながら)にゅ、入場も無料なの? すげぇ……普通の選挙すげえよ伯父さん……」
仁志「そうだろう? 全部無料なんだから、これからも普通の選挙にゃ行っといた方がお得だぞ。じゃあ受け付けするからな。なぁに、難しいこたぁねぇ、この入場券を見せて、名前を名簿で確認するだけだ。まず手本を見せてやるから、俺のあとにやんな」
 と言いますと、仁志伯父さん、受け付けの職員に入場券を渡します。
仁志「お願いします」
職員「お名前を確認いたします。只野仁志さんですね?」
仁志「はい、そうです」
職員「(名簿のページをめくって)確認できました。あちらで投票用紙をお受け取りください」
 職員がてのひらで指し示す方にはまた別の職員がおりまして、仁志伯父さん、スタスタとそちらへ歩いていきます。さぁいよいよ火炎竜の番です。
火炎竜「(コチコチに緊張しながら入場券を差し出して)お、お願いします!」
職員「お名前を確認いたします。只野……只野……(小声で)これなんて読むんだ……」
 大変気まずい沈黙です。こういうときはやけに時間がゆっくり感じるもんですが、実際には十秒くらいしか経っていなくても、極度の緊張状態にある火炎竜にはもう一時間も突っ立ってる気がして、汗が滝のように出っぱなし。一方職員の方はといいますと、これが入場券に目を落としたまま石像みたいに動かない。ついに耐えきれなくなった火炎竜、直立不動の姿勢で叫びます。
火炎竜「僕は、ただのファイヤードラゴンです!」
 うんうん唸りながら苦悩のどん底にいた職員、突然目の前で大声を張り上げられてびっくり。思わず素になって返してしまいます。
職員「……ただの人間に見えますが……」
 その様子をうかがっていた仁志伯父さん、ひょっとしたらと思っていたところでまぁ案の定のやりとり。すかさず助け船を出します。
仁志「あーすいません、そいつね、キラキラネームなんですよ」
 火炎竜も直立不動のまま続きます。
火炎竜「パパがよたろうなんです!」
 もう何がなんだかわけが分からない。職員はぽかんと口を開けて目を白黒させますが、だんだんと、ああそういうことか、今どきのキラキラネームで父親が与太郎なのかと飲みこめてまいりまして、急いで名簿を調べます。
職員「(裏返った声で)あ、あった! 本当にあった! た、ただのファイヤードラゴンさんですね? か、確認できました! あちらで投票用紙をお受け取りください!」
 いやはや、まだ受け付けを済ませただけなのにとんだ一騒動であります。さて、このあとは、ご存じの方には当たり前ながら、投票用紙を受け取りまして、候補者名を書いて、箱の中にポーンと入れて、さっさと帰るだけなんでございますが、なんにも知らない初心者にはなかなかそうもまいりません。
仁志「投票用紙は受け取ったな火炎竜? (火炎竜の手の用紙を確認して)ああ、よしよし、じゃあな、左側に四角い枠があるだろ、そこに投票したい人の名前を書いて、縦に二つ折りにするんだ。うっすら折り目がついてるからな。で、折ったらそこにある銀色の箱に入れる。これでおしめぇだ」
火炎竜「い、いつもの通り、ナ、ナターシャって書けばいいんだね?」
仁志「(苦笑しながら)どうもまだ緊張して色々混ざっちまってるなぁ。ナターシャはこっちの選挙には立候補してねぇから、今日は別のにしような。……と、いっても急だったから候補者を調べてきてねぇか。机の候補者一覧を見てみな。(指で名前を差しながら)一応教えといてやると、こいつは保守派だ。いわゆる右だな。で、こいつは改革派で、いわゆる左だ」
火炎竜「センターは? センターは誰なの?」
仁志「(困惑気味に)セ、センター?」
火炎竜「(熱っぽく)アイドルは、センター応援してナンボっしょ!」
仁志「だめだこりゃ、混乱しっぱなしだわ。まぁ、今日は練習みてぇなもんだからいいか。うーん、真ん中となると、こいつかなぁ。とりあえずこの名前でも書いときなよ」
火炎竜「(意気込みながら)そうする!」
 こうしてやっと名前の記入まで辿り着いた火炎竜、間違っちゃいけないと何度も候補者名を確認しながら慎重に慎重に筆をすすめまして、書き終わりましたら今度は二度と開くなとばかりに、投票用紙をぎゅうぎゅうに二つ折りにいたします。さぁ、準備万端整いました。火炎竜、両手で大事に投票用紙を抱えまして、投票箱の前に立ちますと、ふーっと息をついてから投票箱のスリットにサッと投票用紙を滑らせます。
 〝やった、僕はついに普通の選挙に投票したんだ〟一人前の大人になったような満足感に包まれながら、火炎竜は顔を上げます。すると、箱の向こう側で長いテーブルに座っている、謎の男と目が合いました。男はこちらをじーっと見つめております。ご存じの通り、この方はただの立会人なんでございますが、何しろ初心者の火炎竜には分からない。〝なんだこいつは?〟火炎竜にまた緊張が走ります。そういえば、投票したあとどうすればいいかは、伯父さんに教えてもらっておりません。〝考えろ、考えろ〟火炎竜は必死に頭を巡らせまして、ある答えに到達いたします。長いテーブルに座って、こちらを見つめている人といえば、そうです握手会であります。
火炎竜「(にこやかに立会人と握手をしながら)応援してます! 頑張ってください!」
立会人「(とまどった表情で握手をしながら)ど、どうも……」
 火炎竜は三人の立会人に次々と謎の握手会を繰り出しますと、やっと伯父さんの待つ体育館の外へ出ました。
仁志「よう、妙に遅かったが終わったか。どうだい、ちっとは勉強になったかい?」
火炎竜「(満足そうに)うん、極東日本の民主政治の現状について、いい調査ができたよ。さっそくアーカーベーの同志に報告書を送らなくっちゃ。伯父さん、今日は本当にありがとう。(軍隊式の敬礼をしながら)スパシーバ!」
仁志「(腑に落ちたように)ああ、あかんべぇってのはやっぱり、そういう組織なのね」〈終〉

あとがき

これは落語協会の第16回 2019年度 新作落語台本募集に応募して落選した作品です。

入選すると思ってたんだけどな。

ト書きの長い部分がよろしくなかったのかなという気はします。落語は会話劇なのでこういう部分はナレーションではなく独り言で処理すべきなんでしょうね。そうすれば火炎竜の挙動不審なところとか立会人からの視点でヤベェ奴来ちゃったとかできたんでしょう。完全に演出間違いですね。あと叔父さんが無理にちょっと江戸弁風なしゃべくり方なのもアレだったんでしょう。

もしこれを演じたいという極めて珍しい方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

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