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夏の実家の平和記念

コロナ禍があり、両親の大病があった。
今年で最後かもしれない、と思い続けた夏の宴を細々と続けつつ、毎年センチメンタルは暴走。
気づけば両親をだいぶ美化していたのは、どうやら彼らが弱っていたからだった。

今年の両親はなかなかどうしての復活ぶりである。
朝からまぁ元気に夫婦喧嘩。
水道が出しっぱなしだった、お前が冷めるまで蓋をしないからだ、テレビを切れ、リモコンどこやった、味付けが濃い、薄い、うるさい自分で作れ。

些細なことでやたら揉めている。
かと思えば、3人の孫とめっちゃ遊んでいるなぁとほのぼのさせておきつつ、その次の瞬間には「はー!もう帰ってくれうるさーい!」と叫ぶ。
いや、情緒。
これは、老人特有のイライラ期じゃないかと、漢方を検索。
義妹に「ずっとこんななの?」と不安になって聞いたところ
「いや、お姉ちゃんが帰ってきてからだと思う」とのこと。
どうやら、親子というのは不思議なもので、世界で1番遠くて近い生き物。

そうか、私がいることで生まれる、この絶妙な不協和音。
「娘は私の、いや、俺の味方だ!」
おい我が娘、お前はどっちが正しいと思う!?
両親は、私という味方を得るため、声高に自己主張する。
いや、ほんまどっちでもええて。

さて、完全復活を見せている両親。
これはもう、人を呼んでもいいのではなかろうか?

いや、なんやかんやで毎年BBQをしたりして集ってはいたけれど。
幼稚園から中学までの幼馴染で、結婚式にも呼ぶほど仲が良かった男友達の家族も呼ぶことになった。
結婚して以降、疎遠になって、丸18年ぶりの再会。
なんと、彼の奥さんと、義妹がママ友で、子供らの年もとても近かった。
そして、毎年会う中学時代の友人たちも来る。
「あんたも立派なお父さんになったねぇ!」
「お前も貫禄ある母親になったなぁ」
などと言いつつ、18年ぶりの同窓子供会となった。

総勢17名。
BBQをやるにはあまりにも暑いので、クーラーが効いた部屋で簡単に食べれるものをと、朝からおにぎりを握り、ばぁばは大量の唐揚げとカボチャの煮物を作ってくれた。
ゆで卵も簡単だからとりあえず作っとこうやとグラグラ煮る。

そうして、いよいよ全員が集まり、私たち幼馴染チームやママ友仲間は宴気分で話し出す。
子供達も大盛り上がり!
…と思いきや、幼稚園も小学校も別々の子供達。
距離感が掴めず、無言でおにぎりを頬張り、各々でゲームをしだす。

娘は小学5年生で、1番お姉さんだ。
つい、「みんなの面倒見てあげてね」と放り出してしまったがYouTubeを見ればちびっこに覗かれて、つまらなそうにゴロゴロ。
おいおい待てよ…なんだよその態度。と、どうしても思ってしまう。
せっかくみんなに会うんだからさ、楽しそうにしてよ。

そういや、昔、父の同級生会が毎年あって、花見やBBQに連れて行かれた。
低学年ぐらいまでは楽しかったのだが、年齢が上がってくるにつれ、なんでわざわざ一緒に行って、仲良くもない子供らと遊ばなければならぬのだと思ったものだった。

小学5年生か。そろそろ限界が来るのかもしれない。
そんなことをうっすらと思って、寂しくもなる。
そうだよな、ごめんな、無理やり楽しめなんて、親の勝手か。

しかしだ。
夕方少し風が出てきた頃、外で流しそうめんをする。
ここで子供達のテンションが振り切ったのである。

「早く!早く流して!」
「あー!僕全然取れない」
「見て!こんなにとれた!」

もはや、そうめんを食べるというより、掬うことに一心不乱。
己のカップの中に麺がたくさんあるというのに、次々とそうめんを流してくれとピーピー、それはまるで雛のよう。
ざるに盛ったそうめんに色めき立つことはないが、流れるだけでこうも盛り上がるのかと親たちはゲラゲラ笑った。

そのあと、母の畑で大量に実るスイカをまるで消耗品のようにスイカ割りに使う。
割れるごとに
「新しいスイカ、畑から持ってきな」と言われ、子供はみんなスイカを割る体験が出来るという、これは神々の遊びか。
ラグビーボールほどの小ぶりなスイカではあるが、どれも甘くて美味しいのに、食べきれなくて畑に戻す。
都会ではあれは全部売れるぞ。
そう子供達に伝えつつ、ゴミではなく、畑に戻せることがまた良きと思う。

そのあと、大量の水かけ祭りが始まり、気がつけば子供達は庭をひっきりなしに走り回っていた。
暇だつまらないと言っていた娘は、最終的によく食べ、よく笑い、来年もみんなに会いたいとそう言った。

平和だった。

食べ物がたくさんあって、子供達が走り回って、畑に行けばスイカもきゅうりもトマトもたわわに実っていて、ビニールプールの水は清潔な水で、頭からざぶんざぶんと水を被った子供達が大声で笑う。
じぃばぁがこっそり昼寝をしに行く。
義妹が子供達にたくさんタオルを出してくれる。
すっぽんぽんになった子供が、車に乗せられる。
「またみんなで遊ぶ?」
年に一度しか現れないおばちゃんに、その言葉は最高のプレゼントだ。
起きてきたばぁばが「野菜とゆで卵持って帰りな」
そう叫んで、友人が「ありがとー!助かる!」
そう言って帰った。

私の中の、絶対的な平和の場所。
それは、私がここに住まない間もずっとずっとこの関係を続けてくれてる、両親や、弟夫婦のおかげだ。
ありがたいこと。
本当にありがたいことだ。

灼熱の夏の空は、今年も私に平和を焼き付けてくれる。


「お前はいっつも元の位置に戻さない」
「何言ってるの、自分がさっき使ったんでしょ!」
両親がハリのある声で言い争っているのも、まぁ平和の象徴なのだ。

ふりかけ3袋使い切って握る
さぁ食えドーン!方式
冷えたスイカだけ切る。どんどん食べる。
1番盛り上がった流しそうめん。
そうだ、食べてから掬うのだ。
神々のスイカ割り
そこに水がある限り浴び続ける



78年前の今日という日。
平和の祈りと共に。
子供達の笑い声が当たり前に響く世の中でありますように。

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