見出し画像

私、絶対パンになる

「あ、大変、この子、もうパンになりたがってるわー」

パン作り工程の一次発酵中、他の作業が滞って、「ちょっと待っててねー」と目を離した隙に、発酵が進んで、ホワッホワの生地になってる時に、よく店長が言っていた。

パン屋さんで働いていたときの話し。

それまで、我が家にもホームベーカリーがあったけど、全自動で、食パンが焼き上がった状態で出てくるものだから、「パンになりたがってる状態」をほぼほぼ見たことがなかった。

「パンになりたがっている子」は、なるほど、もう自分がこれからパンになる、なってみせる!という気合いみたいなものが漂っている。

さっきまで、「出来たらパンになりたいな、打ち粉はちょっと嫌だよな」とか言っていそうな曖昧で頼りない粉の状態だったのに。

その発酵が、さらに進むと、私たちは「あ、この子、もう怒ってるよ、急がなきゃー!」と、よく慌てた。パンになれなきゃ爆発するぞ!という面持ちになっているのだ。

慌てて成形して、2次発酵をさせてあげる。
二次発酵の時は、もはやパンになるまであと一歩、彼らは立派なパンになるために、粛々と己と向き合い、オーブンに入れられる時を待つ。

店長も、子育て真っ最中の主婦だったからだろうか。パン作りの工程は、本当に子供を育てているようだった。
「この子の様子おかしくない?」水の量だったり、その日の気温だったり、塩や砂糖の加減が違う時、「わっ、ごめんごめん!大丈夫?ちゃんと美味しいパンになれる?」と生地に聞く。
焼きあがってからも「べっぴんさんになったねぇー」と褒めてあげる。落としてしまった日には絶叫だ。「ごめんー!せっかくかわいいパンになったのにぃぃぃ」

私もつられて、よく生地に話しかけた。
「あなたいい子ね、なんて丸めやすいの!」
「ちょっとごめん、もう少し言うこと聞いてくれる?包ませて、この具材をっ」

そうやって、たくさん話しかけられていたパンは、やっぱり本当に美味しくて、持って帰ると娘もとても喜んだ。

パン屋さんを卒業した後、しばらくパンが家になくなって、美味しいパンを探して食べたけど、なんとなく、心にぽっかり穴があった。
あのパンじゃなきゃだめなのか?と、店長から送ってもらったパンを食べた。やっぱりすごく美味しい!だけど、心にぽっかり空いた穴は、小さくなったけど、全部埋まってはいない気がする。


なんだろうなぁ?作ってみたら分かるかなぁ?



それで久しぶりに、ホームベーカリーに手伝ってもらって、一次発酵を終えた生地を触った。

わぁこれだ!「パンになりたがってる子」に久しぶりに会った。やる気満々の面持ちで、私の前に現れたその子は「私、絶対パンになる!」と言っていた。

まるで、この間まで、ふにゃふにゃの赤ん坊だった娘みたい。
今や、パツパツのまん丸に育って「大きくなったら、パティシエか歌手になるの!」そう言う顔は、そりゃもう希望に溢れていて、自分が決めたものに絶対なれると信じている。

娘みたいなパンと、パンみたいな娘。
どっちもギュムッと幸せが詰まってて、触っていると、心地よくなってくる。


それから成形して、二次発酵しながら、しまった、私、焼く仕事は、任されたことないのよなー!と気づいた。
あの希望に満ち溢れた子を、ちゃんといい色で焼いてあげられるかしらん。

焼き上がったパンは、やっぱり少し焼き過ぎだった。あららごめん、経験不足。

それでも、焼き上がったパンに言う。
「ちゃんと立派にパンになったね、エライエライ」

店長は、今も行列の出来るパン屋さんをしている。
あのパンが恋しくて、月に一度、遠方から発送してもらう。(この過程には色々あって話し長くなるから割愛)

お店を卒業する時に「これからもパン作ってな」と言われて「えー面倒だから送ってもらったの食べるよー」と答えた。
「絶対作りたくなると思うんだけどな」と彼女は笑ったけど、こういうことだったのか!

パン作りが趣味になる、までは行ってない。
正直、寝かせて、起こして、また寝かせて、の工程は、さぁ今日は、パンを作るぞ!と気合を入れないと、私にはなかなか難しい。

だけど、ちょっとだけ、何か足りないかもしれないと、日常ふっと感じたら、私はパンを作ろうと思う。

「私は絶対パンになる!」希望にあふれてる、パンになりたがってる子に会ったら、多分元気がわくし、お腹も満たされて、一石二鳥だ。

店長、やっぱり私、パンが作りたくなったよ。
そんなLINEを送った。
店長は、パン生地を褒めるみたいに、私のこともたくさん褒めてくれた。
ちょっと焼きすぎたパンがピカピカ、誇らしげに光った。
多分、LINEを読み返してた私の顔もね。



この記事が参加している募集

#おうち時間を工夫で楽しく

95,505件

#最近の学び

181,393件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?