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クララにあって私にないやつ。

昔、怪我をした時のことを
noteにチラホラ書くことがあったので、
振り返って記憶を掘り起こしてみる。

あれは、そうだ、
自分史の中で、
すごく大した事件の筈なのに
すごく大したことが無い記憶になっているんだよな、と考える。

まぁ、ちょっとあの時の話し、
聞いてください。


あれは、10年以上前の1月末。
旦那の転勤で訪れた
初めての札幌の冬。

私はとある学校の1階喫茶店で働いていて、
喫茶店で必要な食材などは、
地下1階にある、食堂のおばちゃんから貰い受けていた。

地下に行くには、外階段と、内階段があるのだが、内階段では、やたらと学生さんに会って呼び止められる。
なにせ、私は、喫茶店で人気の姉さんだ。
まぁこの辺の思い出は、都合良く変化するものだから、深追いしないでほしい。

とにかくそれで、外階段を使う様にしていたが、外は雪が降っている。

その日は、卵が必要になった。
いつものように、細心の注意を払って、階段を下る。
下って、きちんと下りきったのだ。
下り切って、安心して、急いでいた私は、最初の一歩目で派手に転んだ。

ちょうど外に出ていた学生さんが
「大丈夫ー?」とケラケラ笑ったが
私には、もう確信があった。

これはもう一歩たりとも歩けないやつだ
衛生兵をよんでくれ

「え、マジで?大丈夫?」
そう言って寄ってきた学生さんに
「卵を、卵を、上の店に…」

ダイイングメッセージか。

かくして私は、大量の学生に囲まれる状態になって、車椅子に乗せられた。
「誰かが、階段で落ちたらしいぞ!」
わらわら集まる生徒ひとりひとりに訂正したい。落ちてないんだ。


「救急車呼びますか?」と聞かれたが
いやいやそんな、全然大丈夫ですよー!
実は痛みで白眼剥いていたが、
そのまま車椅子に乗せられて病院へ。

捻挫かしら、それとも折れてる?

レントゲン後、いよいよ呼ばれた診察室で、
大袈裟に痛がって、大したことなかったら恥ずかしいな、と思っていた私に、

「あー、内くるぶしと外くるぶし複雑骨折、足首全体が粉々だぁ。救急車呼べばよかったのに。腫れが引いたら手術するから、結構入院長引くよ」
と担当医は言い放った。

待って、情報量多くないですか。


「それと、脱臼もしてるから、それ、今から入れるね」

今思い出しても恐ろしい。
看護師さんに左右から抑えられて、私の粉々になった足首は、力一杯引っ張られ、右へ左へねじり倒された。
「言います言います!隠し金庫と裏帳簿!」
本当に、知っていたらすぐに言ったと思う。

そして入院生活がはじまった。

手術は、腫れの引いてきた一週間後で
プレート1枚、大ボルト3本、小ボルト7本を入れると言う、これまた、私の想像を遥かに超えるやつで、
「機械の体を手に入れたいんだ」
って言って銀河鉄道を旅してるあの少年に全力で伝えてあげたい。

ボルト数本でも、ものすごい痛いぞ。

ちなみに、1年後、それを取り除く手術をおえて、「ハイどうぞ」とそれらの部品を返却されたが、これを一体どうしろと。

さておき、
術後の痛みは、怪我した当日の痛みの比ではなかった。
瓦礫に足が挟まって動けないという夢を再三見ては目が覚める。

その夜は、
「さっきの座薬を入れてくれ!尻なら、いくらでも出すから!
と、ナースコールを散々押したが、頻繁にはダメよと断られ続けた。
気分はもう、反社会世界の住人だ。
いいから薬をよこしてくれ。

さて。
これは仕事中の怪我だったので、労災保険が適用になるらしい。

労災保険の認定が降りるまで、入れ替わり立ち替わりで、書類作成をするための仕事人みたいな人たちが調査に来た。

「階段から落ちたんですよね?」
違います、ただ転んだんです。

「いやいや平面で、その怪我は鈍臭過ぎですよまさか」

思えば、階段下で身動き出来ないほどの怪我をした人間が倒れているのだ。

自殺か、事故か
あるいは悪意による他殺ー?
あの日、喫茶店で何がー

待って、死んでない。

「それで、卵は、ひとつ必要だったのですか?それともふたつ?」

そう聞かれ出した時には
あれ、もしかして、杉下右京?
と思ったものです。
労災認定の道のりは長い。

そして後から聞いたが、外階段は冬季封鎖になってしまった。キープアウトの黄色いテープが脳裏に浮かぶ。
死んでないし落ちてないけど、みんなごめん。

入院期間は2ヶ月に及んだ。
その間、あまりにもベッドに座っていたものだから、未だに治らぬ痔になってしまった。
これも労災適用して欲しい。

そして私は、来る日も来る日も、毎日暇で、
リハビリ以外することがなかった。

「もしかしたら、一生、歩く時、足を引きずってしまうかもしれません」
と、念のために伝えられたが、
リハビリをしたおしたので、現在普通に歩ける様になった上、なんなら走れるし、今めちゃくちゃフラを踊っている。

そう。
私は、やる気に満ち満ちたクララだった。
「クララが立った!」
あの名台詞を言わせる暇を与えることなく、果敢に攻め倒していた私は、きっとハイジどころかアルプスまでも泣かせる勢いがあったに違いない。

そうだ。
この骨折エピソードには、ハイジやアルプス要素がないのだ。

例えば、病院の屋上で雲を眺めて時の流れを感じるとか(病院に庭も屋上も存在しなかった)
そこで、風にゆらめくシーツから、ひょっこり顔出したペーターと羊を数えるとか
車椅子を押してくれるのが、ホームシックのハイジとか
病院食がチーズフォンデュとか
「教えてお爺さん」なエピソード。

どうりで、大怪我したわりに、記憶が薄いはずだ。
やっぱり、怪我したからには
それなりに治るまでの辛さとか、
「あなたは本当は立てるのよ!」とか
ちょっと欲しい。

あの時、私は、ただの暇な人だった。
人間、エピソードって大事だよなって、って
まだ残る傷をみて思う。

せめてクララの財と美貌があれば、あるいは。

そんなことを考える私は、
今も、けっこう、暇なのかもしれない。



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