習い事は人生変えるのか?
趣味としての習い事。
いや、習い事が趣味なのか?
趣味を楽しむ人生は贅沢だと思うけど、
さて、その先に何が残っているものなのか。
昨日、転妻な私について考えて、
他に私ってどんなやつなん?
と考えていたんだけど。
私、何者かになりたい症候群?
それとも、何者にでもなれるぞ症候群?
とにかく、手当たり次第、思いつくまま
大人になってから習い事してまして。
私なりに、一応目的持ってるんだが、
どれもこれも、身についてないわ、
大金使ってるわ…おいコラ。
そのくせ、そんな自分が割と好きかも…
ってなったので、ちょっと紹介。
その①バイクの大型免許取得
まぁこれは習い事でもないか。
初っ端から。
あれは、23歳の頃だった。
ずいぶん早くに結婚した友人の
結婚式の2次会での席だった。
「私白バイ隊員なの」
ちょうど私の隣に座っていて、
その立ち居振る舞いがなんだかすごくキビキビしているステキな女性がいたので、私の方から色々と話しかけていたら、彼女はおもむろにそう言った。
23歳の私。
世の中に女性白バイ隊員がいることはもちろん知っていた。
が、本物が!お洒落して、隣に座っとる!
今でも異様に興奮したのを覚えてる。
なぜか、その女性に
「私も!バイクの免許取ります!」
と、高らかに宣言し、そらから数ヶ月後、バイクの免許証と、中古のバイクを手に入れた。
そこまでは良かったね。
我が情熱に感動してた。
が、実際バイクに乗ってみたら
どこに行くにも寒い
荷物はたくさん持てない
ヘルメットで髪の毛潰れる
なにより、めちゃめちゃ怖かった…!
どこへ行くにも、隣の車が怖い
右折でエンストしたらどないしよ!
(車の免許はAT限定)
ああ、安全快適な車に乗って出かけたい!
そもそも、白バイに乗ってる女性が美しくて憧れてしまったのであって、
バイク自体に憧れがないのが問題だった。
バイクに乗ったとて、私が美しい立ち居振る舞いになるかは、別問題だよおバカさん。
その②絵画教室
バイクじゃなかった私、テヘヘ。
と思いながら、次に唐突に向かったのは絵画教室だった。
思えば小学3年生の時、まぐれだったのだが
図工で描いた絵が何かで表彰された。
人生初めての賞状は、私の自己肯定感を高めるに最高の代物で、
以来、「私は絵が得意」と信じていた。
そうだ、腕を磨こう!
そして、油絵を趣味にして、家にアトリエなんか持っちゃって…グフフかっこええ!
しかし、叩いた教室で、私は絵が上手いどころか、大して好きでもないことを思い知る。
まずデッサン合格しないと水彩画に進めない。
生まれて初めてやるデッサン、合格もらうのに1年かかった。
消しゴムに使う食パンを、何度となく購入し続け、ちょっと飽き飽き。
その後、水彩画、憧れの油絵に進んで行って、教室の人たちとも慣れ親しみ、
数年間、下手な絵のまま、その後のお茶が楽しみで惰性で続けていた。
しかしその頃ちょうど転職をした私は、急に仕事に忙殺され、習い事に行く余裕なんぞ無くなった。
おまけに、その転職した職場で、未来のハズバンドと出会ったので、
忙殺中、恋愛している暇はあったが、絵を描く暇はなかった。
所詮私の絵に対する情熱はそんなもんだったおバカさん。
その③着付け教室
さて、結婚して、転勤で北海道に渡り、
パートタイマーの仕事をして過ごしていた私。
ある日、その職場で大怪我をした。
入院2ヶ月、全治6ヶ月ドドン…!
あ、いや…普通に転んだだけなんです。
北の大地の雪の上で…
どんな風に転んだらそうなるんだよという話はさておき。
パートを辞めることになり、とにかく暇になった。
で、いつぞやに観た映画「おくりびと」
そこに映る、モッくんの所作の美しさを急に思い出す。
あの、日本人独特の指先まで神経を行き渡らせる動き、着物だ!ジャパニーズキモノ!
ついでに、資格を得たら、重宝されるに違いない!しかも足が痛まない職業じゃんか!
(正座することが多いことに全く気付かず)
で、習った。
自分の着付けするとこまで。
ちょっとまて、着付けの資格を取るっていってなかったか?
…ということでその教室はさっさと終えた。
(教室がつまらな…ゴニョゴニョ…)
が、せっかく着物着れるんだから!
と、私は、平日着物を着ることにした。
札幌は、当時か今もか、とにかく着物の古着屋さんが多くて、うまく探せば、1枚2,000円ほどで手に入った。
洋服より安い!私は気を良くして、当時やっていた自分のブログに「今日のお着物」と、意気揚々に写真をアップし、お出かけに興じていた。数ヶ月間は。
が、これも、バイク同様な…
動きにくい、
腹一杯食べられない
雪降ると辛い
半襟付けるの面倒くさい
そして何より、洗濯出来ない
クリーニング代が購入額より高い
そう、着物着る自分が好きなだけで、
着物に対する愛情足りなかった。
着物着ただけで、モッくんの所作は手に入らないんだよおバカさん。
その④サックス
はい、もう、東京スカパラダイスオーケストね。カッコいいよね。
あと、のだめカンタービレで、黒留袖着てオーケストラやるシーン思い出してね。
「私、着物も着れるしイケる!」何が。
足も回復して、暇を持て余すのも限界だったので、新しいパートを始めたのだが、その近くに、ヤマハ音楽教室あった。
そうだ!私はスカバンドを組む!
と思ったかどうかは定かでないんだけど。
すごい下手くそだった。
笑ってしまうぐらい下手で、
でもそれを笑いあえる
歳下OLや大学生の女の子に囲まれた。
教室帰りに、若者に囲まれて飲みに行くのは、実に楽しく、サックスの上達さておき、数年楽しんだ。
が、ここで、念願の妊娠を果たす。
休会後、ちょっと安定して、久しぶりに復活したら、
映画「スウィングガールズ」の冒頭シーンよろしく、サックスの中に吐くんじゃねぇか?
って勢いで悪阻再発。
そうこうしてるうちに、出産、そして転勤とあいなり、出産後、サックスを続ける情熱は…無かったテヘ。
その⑤フラダンス
熊本に転勤になって、最初に仲良くなったママ友に誘われた。
「ねぇ!一緒にフラダンスやらない?」
漫画や映画に影響されがちな私だもの、そりゃもう「フラガール」脳にすぐなった。
その教室は、子連れOKだったので、それはもう良い気分転換だったんだが、
ここでも私は下手だった。
そもそも、初めて、自分の意思ではなく、誘われて始めたもんだから、やるぞ!という意識もとにかく低かった。
1年で熊本から転勤になるとき、もうやらないだろうなーと思いながらみんなと別れる。
が、次の香川県で仲良くなった友人、もとい、仲良くなるために「フラダンス大好き!」と嘘をついたために、ここでも、フラダンスを続けることに。
この友人のフラに対する情熱が凄まじかった。
すぐ影響を受ける私は、この友人の情熱に感化され、次の広島の地でフラダンス教室を探した。
そんなおり、フラのイベントを観覧していて、あるフラダンサーに衝撃をうける。
「…ここだー‼︎」
果たして私は、その教室の門をたたき、
過去最高記録の8年経過しても、まだフラに対して情熱をもっている。
その⑥ジャザサイズ
いや実は、フラと並行して通ってた。子供が幼稚園通ってる間、暇だったから。
そういや過去に、すごい大怪我してたよね?
っていう足なんだけど、これが、運動すればするほど、柔軟性が増して痛まないから、
暇つぶしに体作りに、足の機能回復、いいことしかない。
これは、相当な楽しんだのだ。
子育て中の発散には最高だったし、託児もあるし。
しかし、娘が小学生になると同時にパートを始めたのと、いよいよ本格的にフラに情熱を持ち始めた。
小さいけど大会に出場する!って機会に恵まれて、これがもう、金がかかるのなんのって。
ジャザサイズまで続けたら贅沢すぎるので辞めるに至った。
…で、今のところフラ!愛してるフラ!
っていうところに辿り着いてるんだけど、これも今後の人生わからない。
その⑦お次は…?
実は死ぬまでに陶芸もやりたい。
転勤したら、その先に何があるか分からない。
もしかしたら歌いたくなるかもしれない。
娘は、今、ちょっと嫌々ピアノを習っている。
先生が大好きだから通いたいが、練習は嫌なのだそうだ。
「ちゃんと最後まで頑張りなさい」
とは、どの口が言うんだ?と思いつつ。
先生好きだったら結構続くし、
これが何の役に立たなかったとしても。
「私、これ習ったことがある」
って言えるのは、贅沢で、
それからやっぱり、経験として習って良かったと思えることを、私は知っている。
まぁ、旦那には
「暇なら財テクの勉強とか資格とか、そういうの習ってきてよ!」と言われて、
とどのつまり、習ってきたことが、
本当に何の役にも立ってないんだけれども。
人生の役に立つ日は、いつか来るのか来ないのか?
まだまだ迷え、私!
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