対策のための師匠探しと実験

今って、芸能人や企業や、…や、…や、、、
メディア対策!!は必須必死だと思われます。誰に対して?どんなことに対して?

我ら人間同士の日常における話題!がテーマであり、どこかでは敵や味方のような視点もあるのだろうか。一括りでは難しいけれども、どこかで受け入れにくく、しかし、受け入れて欲しいとゆう観点から遠ざけるも近づけるも距離感の難しいところで、、対・人間に対する言動の対策がなされる。

真ん中にメディアがあるような、上や下、視点がわかりにくいところで、ヒトビトの目に触れる情報が、全人間の質にも響くようだな。

勿論、一般人!にもメディア対策は必要で、もう、なんてゆうか、惑わされたくない!踊らされたくない!数字で簡単に判断されたくない!、そんな思いも募ります。クリックしたら?ついつい?、、って導かれてしまう情報が、、だんだん我らの程度の低さになっていって全体的に落ちてしまうような。そんな事ばっかりじゃないよね、そんな人ばっかりじゃないよね。

でも、自分が絶対正しいとも思えず、誰が正しいのか?ヒントちょうだい!って、沢山のヒトビトの言葉に触れて、ココロ動かされることとか、納得できることとか、教えや学びの言葉を探している、師匠!を探している。ネットワークの中で、共感とか感動とかココロ動くモノを探している。

それで、最近のテーマとして、[肯定する!]ってことを実験してみてます。ある話題は肯定できることかどうか。その言葉を肯定できるかどうか。絶対的に肯定できる!みたいな強みとなるところまで探求したい。そうした積み重ねから、程度を引き上げる!とか程度を高める!とか程度の厚みをもたせる!とか、そんなことで我らの意識とか感覚が深まれば面白そうだし、面白い景色も見られるんじゃないかと想像しています。。どうかな。

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