社会と私。ブレない人生を歩みたかった20代と信じることを信じ続けたい不惑の時代
「ブレてないですね」
昔の同僚から受け取った言葉になんだかしみじみした。
私はずっとブレない勇気を持てなかったから。
「ダメだと思ったら次」という考えで、よく言えば柔軟に、悪く言えば行き当たりばったりに生きてきた。
まぁ、あの頃の私は自分のことをなにひとつ信じてあげられなかったのだ。
自分には才能がないからとか、あの人は特別だからとか言って、気持ちのうえでずっと逃げ続けていた。
でも今はもう、そんなことは言っていられないくらい歳をとったし、人に認められたいという以前に「君はどう生きたいの?」と自問することが多くなった。
若い頃は、「いつまでそんなことやってるの?」とか「早く大人になりなよ」みたいなことを言われるのが嫌で、社会になじむことに精一杯だった私。
でも、そこから一周まわって思うのは、若い頃から大切にしていた”好き”を捨てなくてよかったということ。
人は毎日同じことを繰り返していれば、ある程度はその作業や環境には馴染んでいくだろうし、できなかったこともできるようになる。
もちろん初めは苦痛を伴うけれど、ある種の諦めによって、熱々だったお湯もいつの間にかぬるま湯に落ち着いていく。
要するに人は嫌でもある意味大人になっていくし、ならざるを得ない。
それが社会性を身につけることでもある。
けれど、それはなにも自分を押し殺して生きていくことではないと今の私は思う。
そんなものは続くわけがない。
間違った場所で”大人だから”といって無理に頑張り続けるのではなく、どうしたらもっと生きやすく自分らしく生きられるかの知恵を持って生きていくことこそが大人になることの一つでもあると思うのだ。(これが難しいのだけれど)
もちろん苦労や苦悩はどんな状況であれ尽きないけれど、目的のない、目標のない苦悩など取り越し苦労なだけだ。
だから人は本来の”好き”や”大切にしたいこと”を多少わがままにでも貫いた方がいい。
大切な物事を見失わず、自分自身の目標を忘れないように。
そして何事も継続は力なり、なのだ。
ブレない思いはどんな形であれ実を結ぶ。
私なりに多くの人を見てきて、そうなんだろうなと最近思う。
もちろんこれは長い目で見た結果論であり、実を結ぶまでに時間がかかることもある。
だからこそ、恐れや不安から途中で諦めることを選択する人が多いのだ。
でも、かといって諦めることが悪なのだろうか。
新たな人との出会いがあり、もしかしたらその選択の方が本人にとって本来進むべき道かもしれない。そんなことは流れついてみなければわからない。
話が脱線気味になってしまったけれど、とかく物事の選択をするときには、社会とか大人とかそんなフワッとしたものに支配されず、本来の自分自身の声を聞いた方がきっといいんだと思う。
長い目で人生を見て、今を生きるということがとても大切なのだ。
私はそれができず、ずいぶん回り道をしてきたけど。
だからこそ今は、自分の中にいる青臭くて子どもっぽい自分のこともちゃんと信じて可愛がりたい。
信じることをちゃんと信じ続けられる大人でありたい。
もうあの頃の自分には戻りたくないから、信念を持ってちゃんと私自身を守ってやりたいのだ。
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