「私」が「私」を肯定できる心地よいものを見つけたくてお店を始めた
色んなことを受け流して生きていくのはもうやめようと思った。
2020年1月で私は40歳になりました。
とうとうこの時が来てしまったのかと、長いようで短かった30代にちょうどさよならを告げたばかり。
いわゆるロスジェネ世代の私は、就職氷河期を生き抜き、「好きなことを仕事に」の矛盾に苦しみ、「女性の自立」を応援されながらも男社会のなかで「女」であることの洗礼を幾度も浴びて生きてきました。
セクハラ発言も笑顔で受け流すのが「いい女」。いくら仕事ができても、30歳を過ぎて結婚も出産もしていない女性は人間的に劣っているという周囲の視線。
「結婚」か「仕事」みたいな図式に女性たちはいつも思い悩み、いい人を見つけたらそそくさと仕事をやめ、結婚していく友人も何人かいました。
仕事を続けていてもロールモデルになりうるような先輩もなかなか見つけられず、「このままでいいだろうか」と出産のタイムリミットが頭をよぎり、焦りに翻弄されていた当時の私。
仕事では身体的なセクハラ発言にも「どうってことない」顔をして、“冗談がわかるヤツ”という体(てい)で随分と心を削り、私のなかの「女性性」を貶めて生きてきたんだったとようやく気づくことができました。
今振り返ると、「そういうものでしょ」という押し付けの価値観のなかで、理不尽な現実を受け流することに精一杯だった20代を過ごし、
そんな価値観に違和感を感じ、しがらみから自由になると決めた30代をゆるりと生き、そして40代に突入した今。
人生酸いも甘いも経験したきたけれど、「人生こんなもの」と吐き捨てず、希望を見つけて生きていきたい。歳を重ねていくことが豊かさにつながることを身を以て示していきたい。
僭越ながら、そう思うようになりました。
いつか、どこかで自分や誰かが幸せになるものを
20代、30代を駆け抜けるなかで、私を支えてくれたもの。
それは大切に磨いて使っていたカバンだったり、勝負の日に身につけていたイヤリングだったり、モヤモヤした自分の気持ちを書き留め受け止めてくれたお気に入りのノートだったり……
そんな心のお守りのような「モノ」をそばにおいて、明日も頑張ろうと自分を奮い立たせたり、「お疲れさま」と自分を癒したりして、不安定上等な自分の気持ちとうまく付き合いながら私は生きてきました。
そして歳を重ねるうちに、その「モノ」とは自分の生き方を表すとても大切なものであることに気付いたのです。
「とりあえず安いものを、使い捨てる」ではなく、無理のない値段のものなら生活に取り入れ、「長く大切に使い続ける」という姿勢がいかに人生を彩り、その蓄積が自分自身の生き方にもつながるということも知りました。
それはきっと「自分を大切にする」「人生を丁寧に大切に生きる」ことにもなるのだと思います。
だからこそ、この世知辛い世の中をを自分らしく生きるための心のお守りを提供できるようなお店を作りたい。
顔は見えないけれど、遠くで頑張る誰かのためにエールを送るような気持ちで心ときめくものを届けたい。そんな気持ちが『tobira.』の原点だと思うようになりました。
それは辛い気持ちを抱えて生きていた当時20代の自分に向けた想いでもあるかもしれません。
便利を追求し、なんでも安く手に入るようになった今の世の中は「モノが売れない時代」と言われています。
そんななかで私が始めた『tobira.」というお店は、便利なものを取り扱っているわけでもないし、特別値段が安いわけでもありません。
ある人にとっては、パッとしないつまらないモノたちばかりかもしれません。
しかし取り扱っている商品は一点一点手作りされたもので、作り手の温度がちゃんと伝わるものを意識して選んでいます。
そして「環境に配慮され、搾取のないもの」というテーマも決して忘れないようにしています。
誰かの心に寄り添える駆け込み寺のようなお店にしたい
今まで紆余曲折を生きてきた私自身だからこそ、ただモノを売るのではなく、痛みや悲しみ喜びといった色んな感情に寄り添い、人々を労わり、支えられるような存在のお店にしていきたいと思っています。
年齢や立場は関係なく、『tobira.』をノックしたくなるようなぬくもりのある場所。
そんな温度のあるお店を目指しています。
不器用な私が作る『tobira.』というお店はいびつで、美しく整ったセレクトショップとは言えないかもしれません。
それでも正直に、希望を忘れず、この『tobira.』を今から大切に育てていきたいと思っています。