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躁鬱レポート / 闘病記録【2022年】


こんにちは。
私は双極性Ⅱ型障害と診断されてから、毎日、記録をつけています。

この記事では、2022年の記録をまとめます。


私が記録に使っている睡眠覚醒リズム表(以下、リズム表)は、日本うつ病学会のものをアレンジしたものです。

リズム表にはいろいろ記録してありますが、この記事では、とりあえず水色のグラフだけ見てもらえたら大丈夫かと思います。





1月


17日に、1ヶ月以上帰省していた茨城の実家から北海道に戻ってきました。
北海道に戻ってきた数日後に、大きい鬱の波が出ました。

でも、「疲れが出たのかな」と自分で思えたのも良かったのか、鬱の波はすぐ落ち着いてくれました。

31日は、「あ、落ち着いてる」と、すっと感じられる日でした。
この感覚がすごく久しぶりな感じがしたので、記録に残しました。

1月はこのように、いい感じに安定した1ヶ月でした。


◆『日課』の功績

気分が比較的安定していた理由として思い当たるのは、一つは、『日課』の暮らし方を大切にしたこと。

この頃ちょうど、同じ双極性障害の当事者である坂口恭平さんの『躁鬱大学』という本を読んだのですが、彼も『日課』を推していたんですね。
私も『生活リズム(=日課)』が大事だと思っていたので、共感というか肯定されたというか、嬉しかったです。

そこで改めて日課を意識してみました。
結果、安定させられて、『日課』が大事だということにさらに自信を持てるようになりました。

そりあそび

『日課』をこなす感じで生活していると、同じような生活で退屈…とは意外とならず、むしろ充実感もあって、そして気分の波も落ち着く気がします。
私には合っているみたいです。




2月

かなりいい感じでした!

いやぁ〜いい感じ。

◆側溝掃除をしそうになる
3日、雪原のそばの道で車を脱輪させてしまいました。
幸い、とてもありがたいことに、通りがかった方々が車を引き上げてくださりました。感謝しかありません。

自責、後悔、喜び…。
精神的に不安定になり、その数日後に鬱の波が出ました。


◆朝7時に外に出て朝日を浴びるチャレンジ
息子が21時くらいに寝るようにしたいのと、自分たちも眠りを良くするために、朝7時に外に出て朝陽を浴びる、ということをやってみました。
リズム表では活動の欄の☆マークが付いている日です。
1日で一番寒い時間に外に出るのは億劫になるし(−15℃を下回る日も!)、着替えは面倒でしたが、効果は結構あったのではないかと思います。

息子と夫は毎朝遊び出して楽しそうでしたね。
私は指先がすぐかじかんで痛くなってしまうので、すぐギブアップしがちでした😂


◆20日前後で「躁になりそう?」と感じていました。
しかしその後はっきりと上がることはなかったです。


◆夫の二次試験
25日に夫の二次試験がありました。
前日の夜にまさかの息子が激しい夜泣き。それまでそんなに夜泣きしていなかったのに。
本当に、「こんなときに限って…」という感じでした。
子育てあるある?🤣
キレ気味の夫をはじめて見ましたね。

試験の点数などについては、一次試験である共通テストが終わったときに、夫がすぐ「微妙」と言っていたのがあって、なかなか私も微妙な心持ちで二次試験の日を迎えました。

夫が何年まで浪人しても良いかについては、この頃私は「気が済むまでやってみたらいい」と思っていました。
やりたいことやっていないと心が死ぬし(私自身の鬱になった経験から)、中途半端に終わらせてもずっとモヤモヤして生きていくことになる、と思ったからです。


◆下旬に荒れ始める
安定していた2月でしたが、最後の週から不安定になっていきました。
アルバイトに応募したり、28日から夫と息子が義実家へ帰省してしばらく一人生活
になったりといったイベントが控えていたからだと考えられます。
過食嘔吐も1回してしまいました。


◆ついに働くときがきた…!
夫の二次試験が終わったら応募しようと考えていた、アルバイト。
二次試験が終わるまで待っていたのは、『就活というストレスによって波が出るかもしれない。そうなったときに試験勉強に負担をかけないようにするため』でした。
波が大きくなっても大丈夫なときが来るまで待っておくという選択は良かったと思います。

〈ちなみに、アルバイトについて〉
内容は、調理補助。
早朝4時から7時まで。
厨房の仕事はやったことがなく、かなり不安でしたが、時間と時給の良さ、家から自転車で行ける距離だということで決めました。

牧場で働いていたときも3時半起きだったので多分大丈夫だろうとは見越していましたが、本当に通えるのかどうか判断するためにも練習のためにも、応募の1週間前から3時に起きて職場まで歩く(往復1時間!)ということをしていました。
極寒の中なのに、よくやっていたと思います。

下旬に応募バイトについては履歴書を書いて、面接に持って行くとすでに採用。
一つ大失敗だったのが、面接で給料細かい正確な金額を確認しなかったことです。
すごく気さくな社員さんで世間話っぽい雰囲気になっていったので、細かいところまで訊かなくてもいっか、と思ってしまったんですね。

金額を勘違いしていたことは、後で気づきました。
具体的には、求人票に書いてあった"早朝手当1H付き" という言葉は、時給の1時間分(私は950円)が付くのかと思ったんですね。
この“1時間分”をかなり期待して、朝4時からだけどめっちゃいいバイトじゃん、と感じていました。
実際は違って、早朝手当の1時間分だったんです。250円くらい。

しかも、求人票では4時〜7時30分の3.5時間だったのですが、実際は3時間でした。

貯金暮らしかつ夫は無職(将来は学生?)の我が家には大きな痛い誤算となりました。
自業自得ですが。
違和感をそのままにしないって大事確認って大事ですね。


◆ついにシミのレーザー治療
両方のほほにあった大きなシミ(アンパンマンの四角のやつみたいな)のレーザー治療をしました。
大学生になって札幌に住んで白くなって、気づき出したシミ。

レーザー治療は、痛すぎてびっくり。ジリジリしたほほで帰りながら、これが何日も続くのか…と思うと泣きそうになりましたが、痛みは夜には落ち着き安心しました。
お金はかかりましたが、やってみてから「私は結構シミがコンプレックスだったんだなぁ」と気づきました。





3月


簡単にまとめると、この月から始めたバイトの影響で不安定な1ヶ月でした。

バイト先は、大量調理。毎日のように早く早く、と急かされました。当時の職場の人たちは火花をバチバチ飛ばしている感じだったので、急ぐのも人づきあいも苦手な私には、3時間だけとはいえ負担が大きかったようです。


▽この月はレポートを記事に書いていました。もし詳細が気になる方はこちらをどうぞ


月はじめに夫の合格発表がありましたが、不合格。
でも思ったより「なんてことない」と感じていたように思います。
共通テストが終わってから厳しい状況だと聞いていたので、それから2ヶ月経っていましたから、腹も十分すわっていたのでしょう。
バイトの方に気が行っていたのもよかったかもしれません。自然と前に進めたように思います。

こうして我が家は2年目の浪人生活が始まったのでした。


◆こまごましたこと
鉄フライパンデビュー。鉄分取れるし、カリカリに焼けるのが気に入りました。




4月

かなり波があります。

『食べること』に向き合った1ヶ月でした。


◆慢性的な過食
リズム表でいちばん左にあるのは食事の欄なのですが、黒く塗り潰している部分は、『食べ過ぎ』だったところを示しています。
そこを見ると、月の前半はほとんど毎日過食している状態でした。
バイト先で朝食を食べることができるのですが、毎日おかわりしてモリモリ食べて、家に帰ってきてまた食べる…。

過食の治療法などを調べると「周りの人の理解も大切」みたいなことを見かけたので、夫に過食のことを「隠さず話そう」と考えました。
夫と私の過食嘔吐について話に出すことが増え、「吐きたい」とかその場で伝えることもありました。

体重が、どんどん増加。65キロ台。
バイトを始めたときは62〜63キロくらいだったのに、バイトを始めて1ヶ月ちょっとで3キロくらい増えてしまいました。


◆腹痛で病院へ
そうやって過食の日々が続く中、13日ごろから、お腹(下腹部)が痛むようになってきました。

前日は私の誕生日で、大好きな六花亭のケーキを、心いっぱいほおばったんですね。
だから、「ケーキで胃腸がやられたのかな?もう年かな😅」くらいに軽く思っていました。

ホールが売っていなかったし、どれにしようか決められなかったから3個!…Happyだったのですが…。

しかし、日に日に痛みが増してきて、一週間後には寝込むほどに。
痛みの波がくると立っているのも辛く、バイトもヒーヒーしながらなんとかこなしました。
痛くて辛くて涙がでたことも。

ケーキかどうかは分からないけれど『食べ過ぎ』が原因なのはなんとなく分かっていました。なので、愚かですが、そのうち治るだろうと考えて放置していました。

食べちゃダメだと分かっていても、精神的に余裕もないし痛みのストレスで食べたくなるしで、量を減らすことはなかなかできないままでした。

痛みはお腹の左下が多く、虫垂炎とも似ていたので、「炎症を起こしているのではないか?憩室炎かも⁉︎」と不安になり、ついに消化器内科を受診することにしました。
処方されたのは、抗生物質でもなく、【便秘薬】。

ただの便秘だったのです。恥ずかしくなりました。

便秘でこんなに大騒ぎして、夫の半日を潰してしまったりもして、申し訳ない気持ちになりました…。

今回のひどい便秘の原因は、
慢性的な食べ過ぎ
良かれと思って不溶性食物繊維を摂り過ぎて、逆に詰まっていたこと(さつまいも、繊維質の野菜、根菜類など)
でした。
そのため、それまでの考え方を改めることにしました。

〈便秘の予防法〉
 ・朝ご飯の後にトイレに行く
 ・水っぽい食事をとる
 ・よく噛んで食べる
 ・不溶性ではなく水溶性の食物繊維をたくさん摂る
 ・どうしても詰まってしまったときは便秘薬を使う

食べることを我慢するとそのストレスでかえって過食してしまうようになると分かってきたので、食事の量の制限は厳しくしないようにしました。

インスタでご飯記録を始めてみたりもしました。
目的は、「なるべく丁寧に食事する」ことで食べる量をセーブするためです。

…しかし、この4月はちょっと『食べること』について考え過ぎたのかもしれません。
だんだん、食べても食べなくてもストレスになってしまっていました。
そのストレスでさらに食べてしまう負のループ…。


◆そのほかこまごましたこと

  • 開業届を出す
    個人事業主になってみました。当時ほんのちょっとイラストを書いていたんですね。売上などは全く無いし、会社ごっこのようかもしれませんが、いつかはやりたいことだし、やってみた、というところです。開業届を出したのは31歳の誕生日。




5月


ぱっと見大きい波が少ないようですが、グラフが飛び飛びなところに不穏な感じを受けます。


5月はさらに頑張りすぎていたかもしれません。

◆9日の波:夫をキレさせる事件
この日の夜は、問題発言を重ねていました。
夫に「(義)お母さんへの態度がいつか私への態度になりそうで不安」とか、「こっち見ないで」とか。
ふだん菩薩のように心の広い夫もさすがにイラついたようで、「うるさいなぁ!」と大きな声。
はじめてキレさせてしまいました。

私の精神状態は『混合状態』だったのではないかと思われます。イライラと不安がどちらもありましたから。

15日ごろ:「ただ生きてる」感
振り返れば鬱だったということだったのですが、虚無感のような感覚が1週間くらい続いていました。
「あ、なんかただ生きてるだけだな」という思いが浮かんだりしました。ですね。

それまであまり浮かんだことがなかった言葉だったので、新鮮でした。
(「死にたい」とか「ただ生きてる」と言っている人に数人会ったことがあるのですが、その人たちと同じこと思ってる〜とテンションが上がりました。ほんのちょっとだけ。)

生きてるから、食べる。生きてるから、息子がいるから、なにかしていなければならない。働かなければならない…。


◆そのほかのこまごま

  • 24日:薬を飲み忘れたのですが、「ほんとに薬飲み忘れたの?」くらいに普通でした

  • 息子に浣腸
    6日の夜、息子がひどい腹痛で泣き、夫が浣腸を買いに走りました。
    私自身、先月に便秘で懲りたにも関わらず、息子に辛い思いをさせてしまって、自分の情けなく思いました。
    (息子はその後、食事と一緒に水分も摂らせるようにし始めたところすぐに普通のうんちに戻ってくれました)

  • お隣のお子さんとお友達になる

  • 毎日のようにお弁当を作った

お弁当があると、どこにいてもパッと食事にできるのは楽だったけれど、少し頑張りすぎてたのかも。
  • コロナ予防接種3回目
    …職場でコロナ感染し、深刻な後遺症が残った話を聞いたのがきっかけで急遽打つことに。
    副反応→熱、体や腹腔の痛み。バイトがつらかった。

  • 目が悪くなった?
    …この後目をこすらないように意識したら悪化が止まったように思います。

  • トマトを植えた
    …苗は大好きな直売所、愛菜屋で買いました。

  • ダニまくらを処分
    …私だけダニに刺されるのはなんで!?→独身時代からずっと使っていた枕のせいだった

  • 食事のインスタを止める
    …ちょっとだけでも映えるように並べたり、写真を撮って挙げるちょっとの作業すら負担に感じ始めたから。理由はポジティブでも、「我慢」のやり方では過食を抑えることはできない

月末、はじめて六花の森へ。幸せな気分。
  • 食費が過去最高を記録😱
    過食対策で、「おいしいもの・丁寧なものを食べよう」→毎日のように値段高めのおやつなど→いつのまにか6万2千円。
    貯金暮らしで節約しなければならない我が家なのに、こんな結果になりショック…。





6月

しんどい日が多かった1ヶ月でした。

◆仕事の日の過食は相変わらず
土日に熱が出ることが続き、バイトがハードなんだと自覚するようになってきた。
20:30には布団に入らせてもらうように相談した。

◆夫へのモヤモヤを伝えてみた
夫に理解してもらえない、否定されている感じがすると何度か伝えた。
夫の行動(ゲームしていることとか)が目につき、「言いたいことはある」と伝えた。
イライラしていました。

◆体重が過去最高に
67キロ近くまでいきました。
(私の標準体重は62〜63kgくらいで、過去のMAXでも66くらいだった)

↑体重のグラフ。黄色い線で推移。
記録するだけダイエットっぽく、記録するうちにやせるかな?とちょっと思ったら全然変わらずで笑えました😂

食費的にも、体調的にも、さすがにそろそろ食べる量を減らさなくちゃ、と考えるようになってきました。
具体的に何か行動できてはいなかったのですが…。


  • 体温が高い?

  • 食費の見直し
    お腹が空いたら米を食べたり、息子を買い物に連れて行かないようにしたりしてみる


あんなに食べているのに自分が本当に好きな食べ物を考えたらそんなに無いと気づいた

眠剤漬け→記憶力落ちた?

20日精神科診察(行きわすれていたことを薬無くなって気づく)
生理初日で虚脱感がすごくフラフラで、夫に送って行ってもらう
眠剤をもらいそびれた→脱眠剤のきっかけに

ペンが無い

いつしかお弁当を作らなくなった
今考えれば作ることがストレス、作る動機に「食べないように」があったのでそれもストレスだったんだと思う

息子のアトピーがまた悪化し、結局は強いステロイドになった
このこともストレスだった

中旬:「吐くほど頑張るのやめよ」木曜日は鬼門
バイトの休み希望をはじめてだした。




7月

ところどころ波が立っています。

◆バイトを辞めることを決断

22日に、バイト先に退職届を提出しました。
月の前半の、気分の波の左に引いた黄色い線は、バイトが特にハードな日が続いていた頃。
バイトが休みの土日になると微熱が出ることも続いていたので、これはもう「きつい」んだと考えるようになりました。
仕事の気に入っているところもあったので、それから1週間くらい考える期間として保留していましたが、続けたい理由も特に増えなかったので退職することを決めました。
退職届をカバンに入れて出勤したその日、仕事中に上司から「やめないでね」とはじめて言われ、「なんてタイミングだ」と、少し動揺しました。
身勝手なことではありますが、いきなりの形で退職届を提出。
「やめないで」は、今までの仕事では言ってもらえなかったことだったので(自分は社会不適合なんだと自信がなくなっていたので)その言葉は嬉しかったです。

◆記憶力の下がり具合に危機感
記憶力が自覚できるくらいやばくなってきた。
気づいたのは、ウトウト寝を何時間も続けているのが脳に良くないのではないか、ということ。
仕事から帰った後、「起き上がれるまで寝た方が、いい一日になる」という考えて、11時くらいまで寝ている日が続いていました。
9時までの30分くらいは布団で寝させてもらったのですが、それからは息子にYouTubeを見せておいてその横で寝たり(何かないか注意を薄く払いながら寝ているので浅い眠りを続けている状態)。
リズム表では、ウトウト寝をしていたところを紫でマークしてみました。
結局見つけたいい感じの方法は下のものです。

☆元気になるまでゴロゴロしていてもいいけれど、目をつぶって寝るのは30分以内に
☆延長して寝るときはタイマーかけて5分まで

午後にも昼寝は30分前後ならOK。

(10月追記:今は11時くらいまでウトウトしていても記憶力落ちてはいない。この7月のはストレスか?)

◆『曇りのち晴れ』にやられた
曇りのち晴れは、私は気分の波が荒れた経験が過去に何度もありました。
13日。この日、ずっと雨ばかりの中、パッと晴れました。
天気に合わせるように、一気に気分も上がりました。
しかしその夜、ふと「死んでいい?」と夫に言いたくなりました。上がってそのまま鬱が混ざってきた(混合状態っぽい)感じ。
次の日はずーんと重く鬱っぽくなり、あまり量を食べていないのに吐いたり。夜「やりたいことをやれていない」と泣いて夫の時間を取ったり。

『朝の光』を入れ忘れていました。朝の光は、やっぱり重要
改めて、曇りのち晴れのリスクを認識しましたね。

◆結婚式に参列も、落ちなかった
友人の結婚式に招待されました。結婚式に軽いトラウマがあったり、人がたくさんいるイベントの前は落ちがちなジンクスがあったり、結婚式というのは苦手意識があったのですが、結婚式の前後も荒れずに落ちずにこなすことができました。
無事参列できた理由は、披露宴は断って式だけにしてもらったことが大きかったです。


◆夢を応援してくださるメールをいただく
私のnoteの、宿をやりたい記事を読んでくださった方からメールをいただき、とても嬉しかったです。教えていただいた情報の周りを調べたり、馬の本を読んだり、加速している感じが嬉しいです。


8月

ストレスがあると分かりやすく波が立ちました。


◆上旬の荒れ:仕事のストレス
気温が高い中、不安になるような衛生管理の作業をすること自体もストレスでしたし、そんな中相変わらず怒られたり、「この職場バカばっかり」という発言をされたりがあって、結構やられてました。

◆10日頃からのほんのり躁:お盆期間で仕事が楽でストレスが軽減

◆18日頃からの荒れ:息子の発熱
数日後に親が会いにくる予定なのに、息子が38.8℃の発熱。この「予定が迫っている中での緊急事態」は、私はすごく苦手なようです。
喉に口内炎のようなものが見えたりしたものの、コロナの可能性も不安になり、翌日小児科を受診。抗体検査で陰性。解熱後全身に発疹ができ、ヘルパンギーナだったようです。帯広で流行っていて、スーパーで指しゃぶりをしていたときにもらってしまったと思われました。

〈この頃の一日の典型〉
 AM:疲れて動けず「今日は一日ダメな日かも」
 PM:「お、動けるようになってきた」あれこれ家事などをやり始める
 夕方:ごきげん
 夜:イライラ

◆その他

  • カビがひどい…
    この8月はほんとうに雨が多かった。どんよりした日ばかりが続く中、予想はしていたもののあちこちカビだらけになってしまいました。

  • 鼻の毛穴どうにかならないかな…


雨ばかりの8月。農産業とか大丈夫だろうかと心配になるほど


それでも大地の恵み
初めてのとうきびバイト!


9月

快適でした。

バイトは今月いっぱいで退職になったわけですが、辞めることになった途端ストレスが無くなったりするもので、それが私の精神的な安定にもつながっているのが目に見える9月でした。
全体的に上がり傾向だったのは、それに加えて気候も良くなったのも良かったのかもしれません。

◆躁の兆候がわずかに
月はじめに、体調はどちらかというと良くないのに、「躁のサイン:いつもと違ったことの多さ」と言う記述がありました。

◆下がったのは数日
6日、7日くらいが荒れています。その数日前の上がったのの反動か、疲れていたのか、息子の薬が見当たらなくて号泣しながら探したり、「不快な感じ」を感じたりしていました。

◆馬にひたる
10日ごろから、馬のことをあれこれ考えたり、充実した日々が続いていました。泊まりで行かなければならない馬の講座に申し込みました。大イベントの申し込みなので、躁の行動なのか?疑ったものの、その可能性も含めて夫にも相談し、数日考えてもまだ行きたかったら行く、と決め、数日経っても気持ちが変わらなかったので申し込みました。

◆波が出ずに済んだ下旬
下旬に、過食をしているところがありますが、仕事がハードでした。しかし人間関係が悪くなかったからか、天気がよかったからか、気分の波につながりませんでした。

◆その他
・ブログの片付け
 今月の目標に、26日でサーバー契約が切れるブログの引っ越し作業を完了することがありました。無事、中旬頃にはデータの整理・保存を終えることができました。



10月

人生の節目になりそうなくらい、充実した出来事(特に馬関係)・人との交流がたくさん詰まった1ヶ月でした。
緊張感があるとき以外は、ほんのり心が静かでさみしい気持ちが訪れました。

気分の波が飛んでいるときは、遠出していた日です。
荒れてはいませんでした。こういうときは緊張感があるからでしょう。

◆人と会った後に号泣してしまうのは『私の脳の仕組み』だ
息子を連れて泊まり旅。独身時代にお世話になった人たちに4年ぶりに会う。
4年前の自分は、会った後、決まって泣いちゃったり、過食してしまったりしていました。
もうあれからだいぶ経ったし、子育ても経験してだいぶ強くなったし、もうそんなことはないだろう、と思っていたのに、なんかやっぱり号泣してしまう帰り道。
そして、思ったのは、「これはこういう脳の仕組みなんだ」ということ。
もはや、誰かと会った後に泣いたり、「ああ言えばよかった」「嫌われてしまっただろうか」とか考えてしまうのは、会話して疲れてしまった脳がコントロールが効かなくなってでてきた感情なんだ。だからもう、囚われる必要はない。

悲しい気持ち、目から垂れ流される涙をスルーするのが、双極性障害の私がやるべきこと。
涙がだーっとでていても、その気持ちに留まることはしなくていい。時間がもったいないからね。

繰り返す季節のように、穏やかな日々は必ずまた訪れる。



11月

上旬から、茨城の実家への長期帰省が始まりました。今月のタイトルは「生き抜く…」。生活の大きな環境変化へ不安を感じながら臨んだ11月。
結果は、気分の波は意外と落ち着いていました!
少しの緊張感は、気分の安定にはプラスなのでしょうね。

鼻風邪のまま飛行機に乗ったら、(これは内緒ですが、耳抜きができない息子の耳はどれだけ辛いだろう、と自分も体験するために耳抜きをしなかったのが完全に良くなかった)。飛行機耳?は1週間経っても治らず、耳鼻科に通う羽目に。


下旬に、父方の祖父が亡くなりました。近年ずっとホームで生活していた祖父。亡くなる直前にたまたま面会に行けて、熱を出している祖父のおでこや体を撫でました。
茨城では亡くなった後に何日も家に置いておくのですが、その部屋は私が寝泊まりしている部屋のすぐ近くのため、私は怖くないか不安でした。
でもいざ亡くなってみると、怖くありませんでした。命が終わってしまう直前の、あの暖かさに触れられたからなんじゃないかと思っています。


12月

先月に比べると不安定さが増しています。

2日の大きな波の日、祖父の葬式だったのですが、私はなんと、一日中裏の部屋で体育座りをして泣き続けました。どうしたらいいか分からない、行かなきゃならないのに、動けない。途中からこれは流石に精神障害者だ、と認めざるを得ませんでしたね。
苦しかったですが、なぜこうなってしまうのか、データをまた一つゲット。

体育座りして泣き続ける、という私が出現したタイミング例:
 ・義実家に泊まりに行く直前
 ・『急な長距離おでかけ』の朝
 ・葬式の日
人と会うとか、大変そうとか、そういうことがトリガーとなって【不安】【抵抗感】みたいなのが一気に増幅して、圧倒されて、【パニック】状態までいってしまうのかなと思っています。ASDっぽいですよね〜。

実家の家業の手伝いもしていたので、ハードでしたが、
慢性的に食べ過ぎていたものの嘔吐までは行っていなかったようです。

去年苦しんだ「しもやけ」も今年はセーフ。


夫は北海道に残っていたので、クリスマスやお正月には一緒にいられませんでした(2年目)。

コイを眺める。茨城は、寒いなぁ〜。




以上で、2022年の双極障害レポートでした。

皆様に平穏なときがたくさん訪れますように。


▽双極レポート一覧



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